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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第四章 知の都 リヒシュータ領 ダヴェニス
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第六十八話 教育は誰のために


「ここ、サンテジュピュリナ大学は、知の女神ホロウさまが一人の男に『知』を授けた地であると伝えられています」


 大学職員の男性の言葉に耳を傾けながら、ひんやりとした空気の中、上を見上げます。

 途方も無い大きさの大樹は、天井が見えません。

 外周をくるくると上る木製の螺旋階段。そして、各階に小さな部屋がいくつもあって、まるでツリーハウスの集合体のようです。

 幹の太さだけでも相当なもので、一階にはラウンジと食堂、そしていくつもの教室がありました。

 樹の中なので薄暗いと思っていたのですが、全ての洞に液体水晶がはめ込まれ、窓の役目を果たしています。

 あちこちから差し込む日の光が、学内に森の中のような心地よい雰囲気を生み出していました。


「この樹の校舎は圧巻ね」


 ヘレンさんが感嘆すると、職員の方は気をよくされたのか、より饒舌になられます。


「この樹は『生命の樹』と呼ばれています。ホロウさまに知を授けられた男は賢者となり、この地に一本の杖を突き立て、こう仰ったのです。『この荒地を知の緑で潤したまえ』。するとその杖がみるみるうちにこのような大樹になったのだとか」

「へぇ、面白いわね。昔の話?」

「女神サーリが降り立ち、このフレイローズを建国した頃と伝わっています」


 何でも、度重なる魔術戦争の末、焼け野原になった有様を、知の女神は、たいそう嘆き悲しんだのだとか。


――知なき獣はただひたすらに奪うのみ。汝らよくよく学びて優しき『人』となれ。


「女神ホロウは、知を授けることで、争いを防げると信じていたのね」

「えぇ、その通りです。そして我々も、そう信じています」


 私たちは螺旋階段を登りながら、一つ一つの教室の中を覗きました。

 どの教室も生徒でいっぱいで、皆静かに黒板を見つめ、先生の講義を聞かれています。

 黒板には、見たことのない図形や言葉や式がぎっしり書かれていました。


「高度な内容なのですね。私が見てもさっぱりわかりません」

「それはもう。学ぶために育てられた方々が、全国から集まっているのですから。どの大学でもそうですが、本学には中でも優秀な方々が集められているのですよ」


 職員の方はそう仰って自慢げに鼻を膨らませていましたが、私は彼の言葉に微かな違和感を感じました。


「あの、学ぶために育てられた方々というのは、どういった方のことを指すのですか?」


 私の疑問に、彼は「そんなことですか」とすらすら答えてくださいました。


「やはり学者の息子が多いですよ。あとは医師の後継とか。貴族のご子息も多いですね。将来政治に関わらないといけませんから」


 私は、開いた口が塞がりませんでした。


(たったそれだけ……?)


 そう言ってしまいそうになるのを、必死で抑えます。

 代わりに、控え目にこう尋ねました。


「ちなみに、市井の方は一人もいらっしゃらないんですか?」


 その瞬間、彼は弾かれたように笑い始めました。どうやら冗談だと思われたようです。


「えぇ、いませんよ」

「他の大学にも?」

「えぇ」

「では、もしそれ以外の方が入学を願い出られたら、どうなるのですか?」


 彼はきょとんとすると、「そんな人いるんですかね……」と腕を組みました。


「それは身の程を知るべきですよ。いきなり大学に来たところで、付いていけないでしょう。それに、その人が学んだところで一体何になるんです?」


 エドワードさんが彼に見えない角度でくつくつと笑いながら、「一瞬で矛盾が起こりましたね」と囁きました。



* * *



「ルコットさま、そろそろ元気をお出しください」

「……エドワードさん、ヘレンさん」


 ダヴェニスの外れの草原、通称「妖精の花冠」に向かいながら、私たちは街の中を歩いていました。

 目を向けると、どのお店でも、子どもからお年寄りまで皆がいきいきと働いています。

 それはとても自然な街風景に見えましたが、思えば小さな体の子どもが、大人と同じ負荷で働くのは、決して自然なことではないのです。

 貴族や王家の子は、成人するまで将来のために学ぶ期間があるのですから。


「……学ぶことは、本当に市井の方にとって、不要なものなのでしょうか」


 エドワードさまはそっと目を伏せ、ヘレンさんは困ったように微笑まれました。


「……私たちにもわからないわ。エドワードさんは貴族の、私は市井の立場に染まりすぎているから。諦めてしまってるの。『そういうものだ』って」

「そういうもの、ですか」


 私は再び視線を落としました。

 もし皆さまが現状に満足されているのなら、改革なんて、迷惑以外の何物でもないのです。

 そのとき、エドワードさまが凛とした声を出されました。


「しかし、リリアンヌさまは諦めてらっしゃらないようでしたね」


 その言葉は、一筋の光明のように、私の心をすっと照らしました。


「この国をより良くしたい。民の願いを叶えたい。そんな想いがあればこそ、ルコットさまをこの地に呼び寄せられたのでしょう」

「……そう、なのでしょうか」


 正直なところ、私にはまだリリアンヌさまの思惑がはっきりとはわかりませんでした。

 茶会の際の悪意と、無茶苦茶な要求。あのときの仰りようは、今でもはっきりと脳裏に浮かびます。

 しかし、同時に、ご家族の前での不自然な様子や、街の様子を憂う横顔もまた、本物だったのです。

 

「まぁ、とりあえず、暗くなる前にリリアンヌさまの言葉に従って『妖精の花冠』とやらに向かいましょう」

「もし罠だったら?」


 少々心配げなヘレンさんに、エドワードさんは綺麗な笑顔を作りました。


「私が叩きのめします」

「とんだ暴力執事だわ」


 三人で笑いながら歩いていると、今朝の暗澹とした気持ちが少しだけ晴れてきました。

 もう二度と彼に会えない寂しさも虚しさも、微かに薄らぎます。


(そう、立ち止まっている場合じゃない。恋しさにうずくまっている暇は、ない)


 今私にできることが、きっとある。


(ホルガーさま、見ていてください)


 私はきっと、あなたのかつての妻として恥ずかしくない女性になってみせます。





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