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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第四章 知の都 リヒシュータ領 ダヴェニス
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第六十七話 リヒシュータ領 ダヴェニス


 フレイローズ国西方リヒシュータ領。

 代々ハップルニヒ侯爵の統治する歴史ある領地である。

 特筆すべき産業はなく、気候は温暖。

 唯一の特色といえば、国全体の研究機関の約九割がその地に集まっていることだ。

 大学と呼ばれる、研究者の卵が集う学び舎さえ多数備わっている。

 これほど「知」に傾倒した土地は、他国を見ても他に類がない。

 まさに、世界に誇る知識人の聖地である。



* * *



 転移施設でいただいたガイドブックを眺めながら、私たちは外へ一歩を踏み出しました。

 薄暗かった施設内からは一変。

 眼前に広がった光景に、思わず息を呑みました。


 樹齢何万年とも知れない巨大な樹が遥か彼方に聳え立ち、そこへ向かって長い長い街道が続いています。

 両脇に並んでいるのは武器屋などではなく、華やかな飲食店や文具店、画材屋などもありました。

 街全体は落ち着いた雰囲気で、道を歩く人々もどこか粛々としているのですが、それでも、王都に比べると格段に活気があります。


「……すごい」


 思わず呟くと、リリアンヌさまは、特に感慨もなく「大学街だもの」と静かに仰いました。


「大学?」

「ほら」


 指を指された方に目を向けると、そこには先程の大樹が見えます。


「あれが世界最古にして最大の大学、サンテジュピュリナ大学よ」

「え、あ、あの樹が?」


 リリアンヌさま曰く、樹の内部が建物になっているのだとか。

 思わず間近で見てみたくなりましたが、まずはこれからお世話になるハップルニヒ侯爵さまへのご挨拶が先決です。


「今の時間帯なら、お父さまもお母さまも屋敷にいるわ」


 リリアンヌさまのお言葉に頷き、私たちは午前の明るい陽の中、ハップルニヒ邸へ歩みを進めました。



* * *



「ようこそいらっしゃいました、レインヴェール伯夫人、ルコット殿。お会いできて光栄です」

「お待ちしていましたわ、ルコットさま、どうぞおかけになられてください」


 私の背後でヘレンさんとばあやの目が点になっているのがわかります。

 それも無理はありません。

 リリアンヌさまのご両親、ハップルニヒ侯爵ご夫妻は、ご息女であるリリアンヌさまからは予想もできないくらい、慎ましやかな方々だったからです。

 真面目で堅実を型に押したかのようなお二人には、狐につままれた気分になってしまいます。

 てっきり招かれざる客なのだろうと思っていたのですが、お二人のご様子を見る限り、そうではないようです。

 

「リリアンヌが友達を連れて来る日が来るとは」

「どうか仲良くしてあげてくださいね」


 私が頷くと、リリアンヌさまは静かに席を立たれました。


「……もういいでしょ。部屋を案内してくる。――ルコットさま行きましょう」


 俯きがちに歩き出されたリリアンヌさまの後を、私は急いで追いかけました。



* * *



「リリアンヌさま!」


 ばたばたと令嬢らしからぬ急ぎようで後を追うと、リリアンヌさまは、二階の廊下で立ち止まられました。


「何よ」


 背中越しに、私はずっと疑問だったことを問いかけます。


「私をここへお連れくださった理由は、何ですか」


 最初は、私に意地悪を言われたのだと思っていました。

 気に入らないから無理難題を押し付けてやろう。

 そんなちょっとした悪意のために。


 しかし、今朝迎えに来てくださったときから、リリアンヌさまのご様子はどこかおかしいのです。

 私に意地悪をされたいなら、もう少し楽しげなはずです。

 それなのに、表情は始終真剣そのもので、まるで、何か重要なことを考えられているかのようでした。


「……あなたが気に入らないのは本当よ」


 落ち着いた、感情の読めない声が廊下に響きました。


「あの方のことなんて、何も知らないくせに、ぽっと出て止める間もなく結婚しちゃうんだもの。笑っちゃうわ」


 クスクスと自嘲するような虚しい笑い声でした。

 聞く者の胸を無条件で痛める、痛々しい独白。


「……でも、あなたをここへ呼んだのは、恋敵に仕返しをするためじゃない」


 くるり、とこちらを向かれたリリアンヌさまの表情は、やはり冷静そのもので、私情という私情が全て排斥された氷のようでした。


「言ったでしょ。『私の前であなたの功績を見せてみなさい』って」

「それは、何なのですか。リヒシュータ領には、一体どんな問題があるのですか」


 私が問い返すと、リリアンヌさまは一瞬表情を曇らせ、視線を落とされました。

 何かを憂うその表情は、明確にこの地が問題を抱えていることを示しています。

 お茶会のリリアンヌさまと同一人物とは思えないほど、その沈黙は思慮と憂慮に満ちていました。


「……見ればすぐにわかるわ」

「え?」


 重苦しいため息とともに、リリアンヌさまは領地を見下ろされます。


「街へ出て、自分の目で見てきて」


 その琥珀色の瞳に映るのは、鮮やかで活気のあるダヴェニスの街。

 多くの大学が集まり、全国から学生の集まる、賑やかな領地。

 その豊かな様子は、統治の手本のようにさえ見えます。

 それでも、私は反射のように頷きました。


「はい、リリアンヌさま。ですのでどうか、泣かないでください」


 リリアンヌさまは、はっとしたように息を詰められると、ごしごしと乱暴に瞼をこすられました。


「……泣いてないわよ」

「はい」


 私は私にできることを。

 何度も繰り返した言葉を、もう一度胸の内で呟きます。


(彼に恥じない自分であるために)


 リリアンヌさまはどこか不思議そうな表情で、私の横顔を見つめられていました。





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