第六十二話 両親襲来
「あぁ、ルコットちゃん……!」
まるで生き別れの娘に再開したかのように瞳を潤ませるロゼに、ルコットは緊張した面持ちで頭を下げた。
「これまでご挨拶に伺えず申し訳ありません。ルコットと申します。本日ははるばるお越しくださいまして……」
「もう、ルコットちゃん!そんなこと気にしなくていいのよ!ほら、ベッドに横になって。私たちの方こそ大変なときに押しかけちゃってごめんなさい。ルコットちゃんが怪我したって聞いて、居ても立っても居られなくなったの」
ホルガーの隣に立つハイドルが、「本当にお前にはもったいない、いい子だな」と耳打ちする。
ホルガーは、「だから何度も手紙にそう書いたでしょう」と口を尖らせた。
大男はすまなさそうに眉を下げている。大方、ロゼのわがままを制しきれなかったのだろう。
何だかんだで父は母に甘いのだ。
幼い頃からこの少々破天荒な両親に振り回されてきたホルガーは、ここぞとばかりに不機嫌そうな顔をした。
一方ルコットは、これまで浮かべたことのない浮き足立った表情をしていた。
「いえ、今は横になりたくはないのです。お二人と近くでお話ししたくて。お会いできて本当に嬉しいです。ロゼさま、ハイドルさま、お越しくださってありがとうございます」
ロゼはそっとルコットの手を取ると、そのままベッドまで導いた。
促されるままにベッドに腰掛けたルコットの背に、クッションを集める。そしてその上にふんわりと布団を掛けた。
「あ、あの……」
ほとんど強制的にベッドに入れられたルコットは、抵抗することもできず戸惑うばかりだ。
しかしロゼは意にも介さず、ふんふんと鼻歌を歌いながら、ベッドの傍に椅子を運ぶ。
とても貴族女性とは思えぬ振る舞いに、一同はぽかんと口を開けていた。
そして彼女は、そこに腰を落ち着けると、ベッドに横になるルコットの手を両手で包んだ。
「ほら、こうすれば近くでお話しできるでしょう?あなた、あなたもこっちにいらっしゃい。ルコットちゃんの傍でお話ししましょう?」
ハイドルは「あぁ」と目尻を下げると、妻に倣ってベッドの傍に椅子を並べた。
「ルコットさん、無理をしてはいけない」
低く、じわりと胸に染み入るような声だった。
そのときルコットは、「あぁ、この方々は本当にホルガーさまのご両親なのだ」としみじみ感じた。
「体の具合はどう?」
「ほとんど良いのです。あまり痛みもなくて。あと二週間もすれば治るだろうとのことですわ」
これ以上心配させないようにと、ルコットはなるべく明るく笑う。
ロゼはじっと眉を寄せると、ルコットの頬にそっと手を添えた。
「ルコットちゃん」
温かな指先に戸惑いながら、ルコットは黄金色の瞳に視線を合わせる。
ロゼは、もう片方の手でルコットの手をきゅっと握った。
「誰かを心配させるのは、悪いことじゃないのよ」
ルコットの目がじわじわと見開かれていく。
思ってもみない言葉だった。
「特に私たちには、遠慮することないわ。子どもの心配をするのは親の特権だもの」
「子ども……?」
無意識に溢れた呟きに、ロゼははっきりと優しく首肯する。
「えぇ。まだ初対面だから、戸惑わせてしまうだろうけれど。あなたはもう、私たちにとって大切な娘なの」
ルコットは、食い入るようにロゼを見つめた。
言葉が頭にじわりじわりと入り込むほどに、戸惑いは大きくなる。
だって、ついひと月半ほど前まで、彼らは見も知らぬ赤の他人だったのだ。
今日この日まで、互いにはっきりと言葉を交わしたこともなかった。
頻繁な手紙の交流はあったけれど、そこで義親子として何か重大なやり取りが交わされていたわけでもない。
ただの世間話程度の内容だったはずだ。
ルコットの困惑を見て取ったハイドルが、静かに言葉を添えた。
「今までたくさん手紙を送りつけてすまなかったね。返事を書くのも大変だっただろう?でも、君からの手紙を、私も妻もとても楽しみにしていたんだよ」
「今日来るか、明日来るかってね」
「あぁ」
微笑み合う二人に、ルコットの瞳が揺れる。
「あなたの手紙の中のホルガーは、とてもきらきらしていて、いきいきと輝いていて……あなたの見ている世界をあなたの言葉で丁寧に書いてくれるのがとても嬉しかった」
ルコットは、今まで書いてきた手紙を思い返した。
確かにホルガーのことは何度も話題に出ていたが、何を書いたかまでは思い出せない。きっと、何気ないことばかりだ。
それでも、二人はその内容をとてもはっきりと覚えているらしい。
それは不思議で気恥ずかしくて、それなのに何故か胸の奥が温かくなった。
俯くルコットに、ロゼが遠慮がちに声をかける。
「馴れ馴れしいわよね、ごめんなさい。私たちも初めてお嫁さんをもらうから、つい嬉しい気持ちに追いつかなくて」
「不思議なくらい、君が実の娘のように思えてしまうんだ」
申し訳なさげな二人に、ルコットはふるふると首を振った。
違う。馴れ馴れしいなんて思わない。嫌なわけではない。
ただ、どんな顔をすれば良いのかわからないのだ。
実の母親の顔もはっきりと思い出せない。
父と初めて言葉を交わしたのさえ、ついこの間のことだ。
こんなとき、どう接するのが正解なのか、失礼に当たらないのか、答えが出せないのだ。
ただ一つだけわかることがある。
ルコットは今、とても嬉しかった。
じわりと視界が涙で滲む。慌てる二人を安心させるように、ルコットは丁寧に言葉を紡いだ。
「申し訳ありません。私にはまだ、親子というものがはっきりとはわからないのです。ですが――私はお二人を両親と呼べることが、とても、とても嬉しいのです」
ロゼの瞳にじわりと膜が張る。
ハイドルは泣き笑いのような表情を浮かべていた。
「ゆっくり……ゆっくり親子になりましょう。時間はたくさんあるわ」
「あぁ、自然になれたらいい。そのときは、父、母と呼んでくれ」
不機嫌そうな表情を浮かべていたホルガーも、このときばかりは目尻の涙をぐいと拭った。
つかつかと三人の傍に寄り、両腕で彼らを抱き寄せる。
驚くルコットに、ホルガーは柔らかく笑いかけた。
「俺にとっても殿下は大切な家族です」
ルコットの見開かれた瞳の中で、ホルガーの表情が緊張で強張っていく。
「殿下、これから、あなたのことを、名前でお呼びしてもいいですか」




