第六話 スノウ王女の思惑
「今日あなたたちを呼んだのは、此度の婚姻の意義について知らせておくためよ」
第一王女の執務室。
王宮内でも上位の間に、私とレインヴェール伯は立ち尽くしていました。
「婚姻の意義、ですか」
突然の呼び出しに慌てて来られたのか、彼の額には、うっすらと汗がにじんでいます。
私もまた弾む息を整えていました。
「そうよ。でもその前に、我が国の現状を伝えておくわ」
お姉さまに促され、私たちは椅子に腰かけました。
「これまで、フレイローズは、周辺四カ国を武力で威圧し続けてきました。その結果、武具兵器は非常に発達しましたが、残念ながら、それ以外の収入源はほとんどありません」
鋭いお姉さまの瞳は、水色を通り越して、射抜くような銀色の光を放ちます。
「また、これ以上各国との拮抗状態が続けば、いずれ国内外から不満が爆発するでしょう。最悪の場合、国の存立にさえ関わります」
私は、信じられない思いで呆然としました。
遠い昔から、フレイローズは武力で他国から身を守ってきた国なのです。
この国のあり方が、いずれ国そのものを滅ぼすなんて、考えたこともありませんでした。
「フレイローズは、滅んでしまうのですか…?」
「いいえ、ルコット。私が王となる限り、この国を滅ぼすつもりはありません」
そのお言葉を聞いた瞬間、私は恥ずかしくなりました。
お姉さまは、未来の王として、既に覚悟を決められているというのに。
国の滅亡を恐れるのではなく、生き残る未来を、考えなければならないのに。
「ルコット、私は、この先千年、二千年と栄えるこの国を守らなければならない。しかし、城を離れることさえできない私では、力が足りないのです」
「それで、俺たちを呼ばれたのですね」
お姉さまは深くうなずかれました。
「そう、今はまず、一枚岩ではない軍を統率しなければならない。そのためには、あなたを軍のトップに任じるのが、最も手っ取り早く、確実な方法だったのよ」
「…そういうことでしたか」
異例の大出世の理由がわかり、レインヴェール伯はようやく疑問から解放されたようでした。
「しかし、お姉さま、軍備は縮小されないのですか?」
単純な疑問でした。
軍事大国というあり方が問題なら、強大な軍備をどうにかしなければならないはずです。
しかしお姉さまは、静かに首を振られました。
「まだその時期ではないわ。今軍備を縮小すれば、一気に他国に攻め入られてそれで終わり。失業した兵士や武具兵器職人によって、国は内部からも荒れるでしょう」
「ことはそう単純ではないのですね…」
私は、これまで王家の勉学に励んでこなかったことを、初めて後悔しました。
勉強は禁じられていたのですが、私は愚かにも、禁じられていることを強いてやろうとは考えなかったのです。
「…何故、私なのですか」
その言葉は、意図せず口からこぼれ出ました。
お姉さまのお考えに逆らうつもりはありません。
しかし、私にそんな大役が務まるとは、どうしても思えませんでした。
「陛下にも、同じことを言われたわ」
そう仰って、お姉さまは一瞬だけ微笑まれました。
「あなたは、私を裏切らないからよ。そんな者は、この国中探しても、あなた以外いないわ」
思ってもみなかったお言葉に、私はパチパチと目を瞬きました。
何故、そんなことがお分かりになるのでしょう。
「ルコット、あなたには、私の右腕としてこの国の財政基盤を整えてもらおうと考えています」
「わ、私がですか?」
「あなたがよ」
何かの間違いだと思いましたが、お姉さまの表情は真剣そのものです。
「他国から安く輸入したいなら、我が国からも、他国にないものを安く輸出しなければならない。そしてそれは、兵器であってはならない」
「…兵器以外に輸出できそうなものを探すのですね」
「その通り」
お姉さまはうなずかれると、また口を開かれました。
「観光業もそう。今他国の大使や観光客の目に映るのは、多くの軍需工場のみ。これでは、我が国のイメージは、他国を脅かす軍事大国のままです」
そのとき、レインヴェール伯が、おもむろに口を出されました。
「…しかし、ルコット殿下お一人でというのは、酷なお話ではないですか」
まさかレインヴェール伯がお姉さまに反論されるなんて。
驚きに目を見開いていると、お姉さまは何故か面白そうに笑われました。
「ベルツ殿は、ルコットに甘いのね」
その瞬間、レインヴェール伯の顔がさっと赤らみます。
それから、どこか決まり悪そうに頭をかかれました。
「あなたがルコットを助けてくれるのでしょう?」
「…もちろん、そのつもりですが」
「お姉さま、レインヴェール伯に無理を申し上げてはいけませんわ…」
おずおずと進言すると、お姉さまは楽しげに「そうね、悪かったわ」と微笑まれました。
「まぁ、つまり、あなたたちには、地方を回ってほしいのです」
「地方を?」
私が首をかしげると、お姉さまは「そう」と姿勢を正されました。
「広大なフレイローズを旅して、他国に売れそうなもの、珍しいもの、美しいものをたくさん見つけて報告してちょうだい」
つまり、滅多に外に出られないお姉さまの代わりに、各地を旅すれば良いのでしょうか。
それなら、あまり学のない私でも何とかなるかもしれません。
「わかりました」
「はい、できる限りのことをいたします」
レインヴェール伯もまた、力強くうなずいてくださいましたが、そういえば失念していました。
彼はとても多忙な方だったのです。
「しかし、お姉さま、レインヴェール伯には軍でのお仕事があります。そう頻繁に王都を離れるわけにはまいりませんわ」
そう申し上げると、レインヴェール伯はどこか慌てた様子で立ち上がられました。
「いえ!全く!これっぽっちも問題ありません!殿下!俺に行かせてください!」
あまりの勢いに、私は暫しあっけにとられました。
そんなに旅好きだったなんて、知りませんでした。
「まぁ、ベルツ殿もこう言っていることだし」
お姉さまがくすくすと笑いながらそう仰います。
もちろん、レインヴェール伯たっての希望なら、私に異存はありません。
「よろしくお願いします、レインヴェール伯」
私が頭を下げると、彼の顔が更に赤く染まりました。
走って来られたのでまだ部屋が暑いのかもしれません。
「お姉さま、窓を開けて差し上げても良いですか?」
「…えぇ、そうしてあげなさい。……ベルツ殿、苦労するわね」
お姉さまが哀れみのこもった目をレインヴェール伯に向けられています。
あんなお姉さまの目は初めて見ました。
私も末の王女として、なるべく彼の負担を減らそうと、心に誓いました。
「――さて」
お姉さまは美しく微笑まれると、立ち上がり腕を差し出されます。
「では、命じます。フレイローズ国第二十王女、ルコット」
「はい」
「陸軍大将、レインヴェール伯、ホルガー=ベルツ」
「はい」
「貴殿らに、辺境領の監察及びその内情の報告の任を言い渡します」
「拝命いたします」
「かしこまりました」
その瞳は冴え渡り、抜き身の刃物のような輝きを放っていました。
お姉さまの抜かれた剣を、私たちは、血で汚さずに済むのでしょうか。
数多の命を犠牲にしてきたこの国の在り方を、変えることが、できるのでしょうか。