第五十五話 アルシラの報告
「まず、一つ目はサフラ湖畔です」
ルコットはその目で見たサフラ湖がどれほど美しかったか、身振り手振りで説明した。
「昔スノウお姉さまも仰っていましたが、あの湖はもっと多くの方に知っていただきたいと思いました」
「アーノルド、ちゃんと書き留めてる?」
「へーへー、俺はいつからあんたの秘書になったんだか」
スノウは「ふん」と顔を逸らすと、「続けなさい」とルコットに向き直った。
「はい、それから、これはただの思いつきなのですが――魔石に、魔力を補充するための魔石があれば、便利なのになと思いました」
スノウの白水色の瞳がすっと細まった。
「魔石に、魔力を補充するための魔石?」
「は、はい……」
「興味深いわ。続けて」
ルコットはほっと胸を撫で下ろした。
「はい。もしそれがあれば、全国に魔術師の方を派遣する必要がなくなります。それに、皆が日々の暮らしに魔術を取り入れられるようになるはずです」
「……人員の削減と国民の生活の向上ね」
スノウはアーノルドへ目を向けた。
「できそうかしら」
「俺は魔術は専門外なんで。師団長に聞いてみないことにはなんとも」
「……何としても作り出したいところだわ」
緊張した面持ちで、じっと成り行きを見守っていたルコットに微笑する。
「その魔石――魔源石と呼びましょう。必ず作り出してみせるわ。ハントとマシューがね」
アーノルドは小さく笑うと、「まぁあの二人なら大丈夫でしょう」と請け合った。
「それで、その大きなかごには一体何が入っているの?」
ルコットは、がさごそと中を探ると、手のひらサイズの小瓶を取り出した。
「これは、お姉さまへのお土産ですわ」
「……まぁ、ありがとう」
スノウは両手でそっと受け取ると、薄青色のガラス瓶を光に透かした。
「……これは?」
「アルシラ特産の花麦を煮出した水ですわ。お肌に塗ると綺麗になれるのだそうです」
「お姉さまは元々お綺麗ですから、必要ないかもしれませんね」と笑うルコットに、スノウは「いいえ」と首を振った。
「……本当に、ありがとう」
壁際のアーノルドは小さく微笑すると、そっと目を閉じた。
「花麦――確か、美容に良いのよね?」
「はい。食べてもお茶にしてもお肌に塗っても良いのだとか」
ルコットはかごの中から花麦の粉と茶葉を取り出した。
「これも、何とか広められないでしょうか?」
スノウはそれらを受け取ると、しげしげと考え込んだ。
「……そうね、良いアイデアだと思うわ。美容に良いお茶に、肌に塗る水――まずは薬事室で成分を調べてもらいましょう」
ルコットの瞳がぱっと明るく輝いた。
「…よかった」
明らかな安堵の表情に、スノウの頬も緩む。
妹を休ませることには失敗してしまったけれど、どうやら彼女はアルシラで有意義な時を過ごせたらしい。
「あなたたちの活躍はハントとアスラから聞いているわ。しばらくゆっくり休みなさい。あと、傷の手当てはしっかりするようにね」
ルコットは頬の傷に触れると曖昧に笑った。
「はい、そうします」
「随分無茶をしたようだし、それは褒められたことではないけれど――あなたのおかげでこんなにも多くのものが見つかった」
スノウは、ルコットの全身についた傷に目をすがめながらも、確かな感謝の念を込めて微笑んだ。
「ありがとう、ルコット。これからは、どうか無茶はしないで」
「はい、気をつけます」
気をつけていても、きっとそのときが来れば、どんな無茶でもするのだろう。
(この子はそういう子だったわ)
ホルガーに、くれぐれもルコットから目を離さないよう伝えることにした。
「そういえば、サファイア、メノウ、フィーユにはもう会った?」
「いいえ、まだ」
「皆あなたのこと心配していたわ。顔を見せて安心させてあげなさい」
* * *
スノウに言われた通りにサファイアの私室へ向かい取次ぎを願うと、中からばたばたと音がした。
「サファイアさま!はしたのうございます!」
「いいからどきなさい!」
ばたん!と勢いよくドアが開き、ルコットは肩を揺らす。
そこには、取次ぎの侍女を押しのけたサファイアが目を丸くして立っていた。
深い海のような瞳が、陽の光を受けてきらきらと光っている。
ルコットは思わず呟いた。
「いつ見てもお姉さまの瞳は宝石のようですわ」
サファイアは深くため息をつくと、「人の気も知らないで…」と室内を振り返った。
「二人とも、本当にルコットが帰ったわ。カップをもう一つ用意してちょうだい」
* * *
「へぇ、花麦ね」
メノウは指先で小瓶を振った。
フィーユも「ふぅん」と興味深げに花麦茶を手に取っている。
「本当に綺麗になれるかしら?ねぇ、メノウ姉さま?」
「さっそくこのお茶淹れてみましょうよ」
楽しげにはしゃぐ二人を尻目に、サファイアはルコットの傷に眉を寄せる。
「それにしても、また派手にやられたわね。手当てより先に登城してくるなんて」
腕を組むサファイアに、ルコットは眉を下げた。
「痛みはあまりないんです」
「あなたが痛みに鈍いだけよ。ねぇルコット、痛みに慣れてはいけないわ」
そのとき、フィーユがふいに立ち上がり、胸元の傷を覗き込んだ。
「この位置だと、茶会用のドレスなら隠れるかしら。顔の傷は隠しようがないけれど」
「お茶会ですか?」
ルコットが首をかしげると、メノウが愉快そうに笑った。
「そう、あなたに招待状が着てるのよ。侯爵令嬢リリアンヌ=ハップルニヒから!」
サファイアは顔をしかめ、フィーユはそっとため息をついた。
メノウでさえ、面白がりながらも「まぁ、行くことないわ」と肩をすくめている。
リリアンヌの噂はルコットも度々聞いていた。
気位が高くわがままで、とにかく気性の激しい令嬢なのだとか。
ルコットは「何故私に?」と内心首を傾げながらも、「それではドレスを用意しないといけませんね」と笑った。
サファイアは深く嘆息する。
「……はぁ、そう言うと思ったわ。まったく、お気楽なんだから」
「せっかく誘っていただいたのですから」
社交に消極的だったこれまでを後悔していたルコットにとって、この話は正に渡りに船だった。
リリアンヌの思惑はさておき、彼女はとても顔が広い。
行ってみれば知り合いの一人もできるかもしれない。
「茶会は三週間後よ。せいぜい綺麗なドレスを用意なさい」
「はい、そうします。あ、サファイア姉さま」
ルコットは何かを思い出したかのように、突然悲しげな顔をした。
「何?どうしたのよ?」
心配になったサファイアが詰め寄ると、ルコットは「申し訳ありません」と謝った。
「お姉さまにいただいたコートを、駄目にしてしまったんです」
涙目で俯きながら、「いただいたとき、とても嬉しかったんです。大事にしたかったんです」と謝罪を重ねるルコットに、サファイアは「わかった、わかったから!」と両手を挙げた。
「何よもう!落ち込み過ぎよ!そんなのいくらでもあげるんだから、泣き止みなさい」
「でも…」
「でもじゃない。謝る必要もないわ」
何とかなだめてすかして「今日は早く帰って傷の手当てをしてもらいなさい」と帰らせる。
ルコットが完全に退室してしまうと、サファイアはメノウ、フィーユに向かって鬨の声をあげた。
「さぁ、仕立て屋を呼びなさい。ルコットの茶会用のドレスを仕立てるわよ!」
「はいはい」とフィーユが侍女を呼び、メノウが「どんなデザインにしましょうか」と腕を回す。
どんな労力も惜しまない、と三人の瞳は雄弁に物語っていた。
「それにしても、ルコット少し痩せたわよね」
「えぇ、きちんと食べているのかしら」
「婚礼から色々あったものね」
「心配だわ」と三人は思いおもいに想像を膨らませ、結局、何かストレスがあるに違いないという結論に至った。
「私、食欲増進用の薬草茶を取り寄せるわ」
フィーユの言葉に、サファイアとメノウは真剣な面持ちで頷いた。




