第五十四話 嵐の執事 エドワード=ハームズワース
「あぁホルガー殿!やっとお帰りになりましたか…!」
門戸を開けるなり飛び出して来たばあやに、ホルガーは大いに戸惑った。
このばあやが、ルコットとの再会を喜ぶより先に自分に飛びついて来たことが信じられないのだ。
後ろでルコットも驚いている。
「一体何があったのですか?」
「説明している暇はありません。今日もあの男が来ているんです」
「あの男?」
いまいち話の掴めないホルガーの背を押して、ばあやは廊下を進んでいく。
一行は旅装のまま、息つく間もなく客間へ向かうことになった。
* * *
「お初にお目にかかります。私はエドワード=ハームズワースと申します」
銀色の眼鏡をかけた男は、そう言って頭を下げた。
いまだに戸惑ったままのホルガーは「これは、ご丁寧にどうも」と頭を下げ、ルコットも訳がわからないままに会釈をする。
三人の前に、ヘレンがことりと紅茶を置いた。
給茶をする簡素な私服姿の女性を訝しげにちらりと見やり、男は再び口を開いた。
「この度、執事を募集されているというお話を王宮で小耳に挟み、こうして伺った次第です」
「あぁ、なるほど、そういうことでしたか」
どこかほっとしたホルガーと対照的に、ばあやの顔が青ざめる。
それは無理もないことだった。
ホームズワース家といえば、フレイローズ国随一の権力を誇る公爵家である。
古い伝統と格式を重んじる保守的な家風。
王家の血を引くプライドの高さ。
そして、全ての欠点を補っても余りあるほどの優秀さ。
その扱いにくさは議会でももっぱらの評判だった。
さらに、このエドワードという男は、中でも一筋縄ではいかない厄介な男だった。
公爵家の次男坊でありながら、当主に反発し、家出まがいの真似をしているのだ。
そしてその間どうやって生活しているかといえば、こうして他家で使用人として暮らしていた。
まさに、公爵家の問題児である。
その上始末が悪いことに、彼はまた多分に漏れず、非常に優秀な青年だった。
執事としての腕も申し分なく、気品さえ備え、会話にもソツがない。
唯一欠点があるとするなら、それは彼の恵まれた容姿だった。
どこへ行っても同僚の女や女主人に言い寄られる。
どれだけ上手く躱したところで、彼らはしつこく食い下がってきた。
結局嫌気がさすか、トラブルになるかで、また他の職場を探す羽目になる。
これまで転々としてきた家の数は、両手の指では足りないほどだった。
「繋ぎでも構いません。しばらくの間置いてくだされば、使用人も揃え、完璧に屋敷を回してみせます」
「繋ぎだなんて…」
「えぇ、そんなことはできません」
ルコットとホルガーは顔を見合わせると、頷きあった。
「これも何かの縁です。宜しく頼みます」
「本当に、良いのですか?」
あまりにあっさり承諾され、エドワードはぽかんと口を開く。
「お待ちくださいホルガー殿!この男はお二人が不在の間、『屋敷に当主も女主人も代理人もいないとは何事だ』と私をゆすり続けていたのですよ!」
エドワードは一瞬ばつが悪そうに顔をしかめるも、素直に頭を下げた。
「その節は申し訳ありません。失礼ながら、乳母殿が私を門前払いしようとされているのかと勘違いしておりました」
「確かにそんな状況の屋敷は普通ありませんものね」
ルコットが朗らかに笑うと、ばあやはしおしおと肩を落とした。
結局、彼女がこうして笑うときには何を言っても無駄なのだ。
とりあえず、今日はこれからスノウへ報告に行かねばならないので、明日また出直してもらうことになった。
「初出勤はいつでも構いません。エドワードさんの都合の良い日に」
「それでは恐れながら、明日でも構いませんか?」
「それは願ってもないことですが…」
あまりに急な申し出だが、断る理由もない。
今日のホルガーは戸惑いっぱなしだった。
ばあやの非難めいた視線から目を逸らし、「それでは明日から」と返事をする。
「お部屋を準備しておきますね」
と笑うルコットに、ばあやは「もうどうにでもなれ」と匙を投げた。
冥府の悪魔に王家の姫君、公爵家の次男。
(この屋敷、濃すぎないか?)
アサトは壁際に控えながら、遠くの空を見つめた。
* * *
「あら、ルコット、あなた少し痩せた?」
スノウは椅子から立ち上がると、じっとルコットを見つめた。
今この部屋にはスノウとルコット、そして護衛のアーノルドしかいない。
ホルガーは道中、大わらわの部下たちに捕まってしまったのだ。何でも承認期限の迫った書類がいくつかあったらしい。
もっともスノウは全く気にしていないようだった。
視線はじっとルコットに据えられたままだ。
「痩せましたか?」
「えぇ。あなた旅行中ちゃんと食べてたの?」
そういえば、テスラでは食事さえ満足に摂れなかったと思い返す。
シュトラに帰ってからは美味しい食事をたくさん摂ったが、忙しかったので間食をする暇はなかった。
そう伝えると、スノウは眉間にしわを寄せた。
「とにかく、食事はきちんと摂りなさい。倒れたらどうするの」
「せっかく休ませる口実を見つけたと思ったのに…」と呟くスノウに、アーノルドが小さく笑っていた。
「それで、報告があるのですって?」
「はい、いくつか」
ルコットはうなずくと、大きな手提げかごの中から一枚の紙を取り出した。




