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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第二章 北の大地 アルシラ
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第五十話 雪の都アルシラ


「……アルシラは、美しい土地ですわ」


――この国は、美しい。


 スノウお姉さまのお言葉が染み入るようでした。


 テスラで出会った親切な人々。

 優しいノヴィレアさま。

 未来を想うロベルトさんとローラさん。


 この国はきっと、無慈悲な軍事大国なんかじゃない。

 もっともっと、多くの優しさと輝きに満ちている。

 私はそう、確信しました。

 

「……アルシラに、来てよかった」


 最初の旅がアルシラで、本当によかった。


「ホルガーさま、ありがとうございます」


 私を連れて来てくれて。

 この目にたくさんのものを映す機会を与えてくれて。

 ホルガーさまは、静かに目を見開かれると、眉を下げて笑われました。


「殿下がいらっしゃったから、ヘレン嬢を見つけ出すことができたんです。ノヴィレア神と領民の誤解も解けました。……俺にとっても、大切な思い出になりました」


 茫然とホルガーさまを見つめます。

 降るような煌めきに包まれた世界。

 彼の瞳に映る私は、かつてない胸の高鳴りに戸惑い揺れていました。

 ホルガーさまの真摯で慈愛に満ちた眼差し、微かに染まった頬。

 全てを忘れ、見つめていると、ホルガーさまが、私の方へそっと手を差し出してくださいました。

 あの日は取れなかった彼の手――私はゆっくりと、震える手を動かします。


 そのとき、ホルガーさまの軍服のポケットが、澄んだ紫色の光を放ちました。


――奥さま……!


「え……!?」


 響いたばあやの声に、意識が一気に覚醒します。


(一体、どこから?)


 この場を見られていたのでしょうか。

 気恥ずかしさから、さっと手を引っ込め、ホルガーさまに視線を投げかけました。

 皆さまも、「どうした!?」とこちらへやって来られます。案外近くにいらっしゃったことに、頬が熱くなりました。


「通信魔水晶ですね」


 ホルガーさまはポケットから水晶を取り出して、一振りされました。

 すると、ばあやの顔がぱっと映し出されます。

 その表情はひどく切迫していました。


「あぁホルガー殿!奥さま!早くお帰りください……!もう私ではどうにもなりません……!」


 常になく取り乱したばあやの様子に、私もホルガーさまも思わず立ち上がります。


「ばあや殿ご安心を!すぐに俺だけでも転移して…」


 「転移」という言葉を聞いて、ばあやが慌てて両手を振りました。


「いえホルガー殿、身に危険が迫っているわけではなく……ただ、直接ご判断を仰ぎたい案件があるといいますか……」


 歯切れの悪いばあやは、「あぁ頭がいたい」とこめかみを押さえました。

 私は「どうしましょう」とホルガーさまを見上げました。

 明日以降もベータさま、ブランドンさまとの予定があったのですが、ばあやが気がかりで気もそぞろになってしまいそうです。


 ホルガーさまは一瞬たりとも迷われませんでした。


「ばあや殿、すぐに帰ります。今夜ここを発ち、途中寄るべきところがあるので、明々後日の朝には着くかと思いますが、大丈夫そうですか?」


 ベータさまとブランドンさまも、「早く帰り支度を始めねば」と広げたものを片付け始められています。

 私と同じくらいばあやも驚いているようでした。


「そんな、十分ですよ。本当に、お邪魔をしてしまって申し訳ありません」

「ばあや殿、邪魔などとんでもありません」


 ホルガーさまは、「何かあればまたすぐに呼んでください」と約束されて、通信を切られました。

 

「さぁ、殿下、帰りましょう」


 差し出されたその手を、今度はしっかりと握りました。

 ホルガーさまの迷いないお言葉に、私は涙が滲みそうでした。

 恐らくは無意識に、他の何よりもばあやを優先してくださったのです。

 私の大切な人を、同じように大切に思ってくださっているのです。


「はい、ホルガーさま」


 ベータさまとブランドンさまは「寂しい」とは仰いながらも、「再会が楽しみじゃ」と笑ってくださいました。


「次会うときには子どもがいるかの」

「気が早いです!」


 お二人の手を払いのけられたホルガーさまと、ぱちりと目が合ったので、曖昧に笑い返します。

 すると、すぐに逸らされてしまいました。

 

「何じゃつれない夫じゃな」

「ルコットちゃん、寂しくなったらうちに養子に来るといい」

「駄目だと言っているでしょう!」


 私は、ホルガーさまに遠ざけられそうになりながら、お二人と最後の挨拶を交わしました。


「どうか、お元気で」

「ルコットちゃんもな」

「あの唐変木をよろしく頼む。無茶ばかりする奴じゃからな」


 何だかんだで、お二人ともホルガーさまのことを心配されているのだと伝わってきました。


「できる限り、お支えいたします。いえ、必ずお守りしてみせます。……私にとっても大切な方なのです」


 その瞬間、ホルガーさまがぱっと手を離されて、「アサト!ヘレン嬢!出発だ!」と駆けて行かれました。

 無力な私の言葉は、やはり滑稽に響いてしまったのかもしれません。

 二十番目の末姫が、冥府の悪魔を守るだなんて。

 

(それでも、この気持ちは私の真実だもの)


 私はなるべく胸を張って、お二人に一礼しました。

 お二人は、驚いたように目を瞬かれたのち、力強く笑い返してくださいました。


「……とても、とても心強い」


 最敬礼。

 陸軍大将であるお二人の取られた礼。

 私は、たじろぎそうになる心を叱咤して、もう一度頭を下げました。



* * *



 馬車でシュトラの街を抜けていると、窓の外にちらちらと舞う白い雪が見えました。


「……初雪だわ」


 ヘレンさんの言葉には、驚きとどこか嬉しそうな響きがありました。


「ノヴィレアさまでしょうか」

「きっと、そう」


 馬上のホルガーさまも空を見上げられています。

 アサトさまも御者台で驚かれていることでしょう。

 どこかの家から、微かに聞こえてくる子守唄に、私は両目を閉じました。


――踊りましょう

  きらきらと凍った湖の上で

  細い月がわたしたちを見てる

  ここは雪の都アルシラ






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