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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第二章 北の大地 アルシラ
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第四十八話 花麦畑


「おや、お客さんかい?」


 馬車を降りて、花麦畑のあぜ道を歩いていると、そんな声が聞こえてきました。

 畑の中の年配のご夫婦が、手を振ってくださっています。


「こんにちは」


 あぜ道から斜面を降りて、畑の中へ入れていただき、麦の間を進みました。


「おやまぁ、お嬢さんたち、汚れるよ」


 お二人は「あらあら」と少し慌てたご様子です。


「ほら、スカートの裾を結ばないと。長靴に履き替えるかい?」

「いえ!大丈夫です」


 お仕事の邪魔をしてしまった上に、そこまでお世話になるわけにはいきません。


「突然降りてきてしまってすみません」

「いやいや、お客さんなんて珍しいからつい声をかけてしもうた」

「どこから来たんだい?」


 私とヘレンさんの間に立たれていたアサトさまが、まとめて答えてくださいました。


「私とこちらのルコットさんは王都から。こちらのヘレンさんはテスラからです」

「ほう、王都とテスラ。そりゃ随分遠いな。わしはロベルト、家内はローラという。ちなみに騎士のお兄さんのお名前は?」

「アサトといいます」


 お二人は結婚と同時にシュトラに越し、以来花麦農家一筋で暮してこられたのだそうです。


「もちろん不作の年もあるが、基本的に花麦は虫にも寒さにも嵐にも強い。おかげで、娘たちも何不自由なく育てることができた」

「花麦のおかげで皆別嬪だよ」

「ローラさんもとってもお綺麗ですもんね」


 ヘレンさんの言葉に、ローラさんは「あらやだ」と笑いました。

 確かに、彼女の肌は白くなめらかで、くすみ一つ見当たりません。


「花麦はそんなに美容に良いのですか?」

「あぁ、それは私が保証するよ。花麦は食べて良し、塗って良しの良薬さ」

「塗るんですか!?」


 麦を肌に塗るなんて、聞いたこともありません。

 ヘレンさんも目を丸くされていました。


「私も初めて聞いたわ」

「そこまでするのは農家わたしらくらいかもしれんな」

「濃く煮出してお茶にしたり、肌に塗ったりするんだよ」

「へぇ……!」


 ヘレンさんの目がきらきらと輝いています。

 私もついそのお話に惹かれてしまいました。


「お二人とも、そんな前のめりに…」

 

 苦笑されるアサトさまに、ロベルトさんは「女心とはそういうものさ」と温和に笑われます。


「よかったらうちに来るかい?見せてあげようか」

「いいんですか!?」


 勢い込む私たちに、ローラさんは「もちろんさ」と明るくうなずかれました。



* * *



「これが普通の花麦茶で、こっちが炒った花麦茶、あとこれが、まだ青い花麦のお茶。色も風味も全然違うだろう?」


 ローラさんは次々と色んな種類の花麦茶を出してくださいました。

 透き通った金色のもの、茶金色のもの、水色に近い緑色のもの。

 見た目にも綺麗で、それぞれとても香り高いお茶です。


「本当に花みたいな香り」

「普通の花麦茶は甘みがあるんですね」

「炒ったものも香ばしくて美味しい!」


 麦のお茶というよりは、薬草茶ハーブティーのようでした。


「青いお茶はすっと爽やかですね。食後に良さそうです」


 一歩引いた場所にいらっしゃったアサトさまも、いつの間にか一緒になって試飲されています。


「そうだろう、そうだろう」

「今肌用の水も持って来るからね」


 にこにこと誇らしげに紹介してくださるご夫婦に、私は迷いながらも尋ねてみました。

 

「あの…もし、花麦が国中に、いえ世界中に知れ渡ったらご迷惑でしょうか…?」


 お二人はきょとんとされたあと、互いに顔を見合わせられました。

 

「迷惑かって?そんなはずはない。生産が追いつくかはさておき、花麦の良さが広まるのを喜ばない作り手はいないさ」

「花麦は可愛い子どもみたいなものだからね。皆同じ気持ちだろうよ」


 私は親切なお二人の言葉に励まされ、意を決して事情を説明しました。


「実は、私はこの国の珍しいものや美しいものを探しているのです」


 そうして、かいつまんでですが、私の目的をお伝えすると、お二人はぽかんと口を開かれ、しばらく絶句されていました。


「…そ、それじゃあ、あんたは…いや、あなたさまはあのルコット姫なのかい?」


 どうやら大げさな噂が広まっているのは本当のようです。

 私は「確かにそのルコットなのですが…」と前置きして、噂はかなり誇張されているとお伝えしました。


「とてもそんなすごい姫君には見えないでしょう!」


 そう説得していると、アサトさまが「それは誇るところでしょうか?」と首をかしげられていました。


「いや、まぁ確かに王族らしからぬ素朴な良い子だ」

「育ちの良さが滲み出てるから、どんな事情なのかなとは思ったけどねぇ」


 いまだに目をぱちくりされているお二人は、とうとう「こんなことがあるんだねぇ」と笑われました。


「そんな事情なら、ほら、このお茶も花麦水も好きなだけ持って行きなさい」

「良いのですか…?」


 戸惑う私に、お二人ははっきりとうなずかれます。


「この国のために――生まれ育った故郷のためにできることがあるなら、何だってするさ」

「国の未来など、とても一個人に背負えるものじゃない。わしら国民一人ひとりも一緒に背負おう。それが国というものさね」


 国とは――民が豊かに心穏やかに暮らせる土壌。

 かつてスノウお姉さまはそう仰っていました。

 お姉さまにとって、国はあくまで土地――民を守る容れ物に過ぎなかったのでしょう。

 だからこそ、民を守るため、王族(責任者)である自分が容れ物の修理(国の立て直し)を全て背負われたのです。

 

 しかし、それは正しくなかったのかもしれません。

 国民一人ひとりの人生が国の一部であり、人々の毎日が国の歴史となるなら。

 国とは――人々の暮らしそのもの。

 日々紡がれる日常こそ、一人ひとりの背負うものこそ、国そのものなのかもしれません。


(もしそう申し上げたら、お姉さまは――)


 銀色のお姉さまを思い浮かべて、私は小さく笑いました。


(――きっと『生意気ね』とそう言って、笑ってくださるわ)



* * *



「本当に、こんなにいただいてよろしいのですか?」


 バスケットの中には、報告用の花麦以外にも、お土産の花麦茶や花麦水がたくさん入っていました。


「あぁ、気に入ってくれたみたいだからね。また切らしたらおいで。作ってあげるよ」


 ローラさんに塗っていただいた頬は、いまだにふっくらしっとりしています。

 ヘレンさんも「すごい!」と歓声を上げられていました。

 最後にアサトさまが「お世話になりました」と頭を下げると、それまで黙っていたロベルトさんが穏やかに口を開かれました。


「誇るべき美しい使命を持った方々――どうかその道に幸多からんことを。わしらにできることがあれば言ってください。力になります」


 私たちは涙ぐみながら、もう一度深く頭を下げました。


 馬車が動き出してもなお、私たちの耳にはお二人の言葉が優しく響きます。

 揺れる金色の花麦畑が、はるか彼方まで窓の外に広がっていました。




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