第四十六話 陸軍隊員とシス
「で、結局彼女とはどうなったんだ?」
大聖堂の床の割れたステンドグラスを集めながら、フリッツはシスに話しかけた。
「フリッツ大佐、それは大きなお世話じゃないですか?」
「いい加減この作業に飽きてきたんですね」
思い思いに口を挟む陸軍第一部隊の面々に、シスは首を傾げる。
「彼女?ランのことか?」
「そうそう」
「どうと言われても、あれ以来会っていない」
「何でだよ!」
思わず周囲一円の者が突っ込んだが、シスは不思議そうに答えた。
「皆が大変なときに俺だけ席を外すわけにはいかない」
「あ、こいつ思いのほかいい子だわ」
兵の一人がぽんぽんとシスの頭を撫でた。
「そんなことより、何故皆手伝ってくれるんだ?本来なら俺たち二人で片付けなければならないのに」
「まぁまぁ、堅いこと言いなさんな。一人より十人の方が早く終わるだろ」
「皆さんの仕事は?」
「……いやぁ、いい仕事をすると気持ちがいいなぁ」
フリッツは深くため息をつくと、「心配はいらない」と答えた。
「きちんと合間に終わらせている」
「フリッツ大佐はかなりできる子ですからね」
にこにこと笑うリヴァルに、フリッツは「リヴァル中将が仰ると嫌味です」と返した。
「それで、そのランさんはどこにいるんだ」
「あ、その話まだ続けるんですね」
呆れた様子の部下を無視して、フリッツがシスの方へ顔を向けると、黒髪の美青年は再び首をかしげた。
「どこにいるのだろう」
「知らないのかよ!」
もう一度、周囲の者は盛大に突っ込んだ。
「この子国に帰ってから大丈夫か?政敵にスパッとやられないか?」
「飴ちゃん食うか?」
生真面目に「心配ない」と答えるシスに、皆各々ポケットに入っていた駄菓子を握らせた。
ハーディは、胸ポケットから手帳を取り出すと、「確か……」と呟く。
「ランさんは王宮の中庭の修復に当たっているはずです」
「……お前は他人のスケジュールまで把握しているのか」
ハーディのマメさに、フリッツは内心おののいたが、そもそも今に始まったことではなかった。
気を取り直し、またシスに向き直る。
「王宮の中庭なら歩いて行ける距離だろう。ひとっ走り会ってきたらどうだ?」
きょとんとするシスを横目に、隊員はこそこそと耳打ちし合った。
「……とうとう世話を焼き出したぞ」
「父親か」
「フリッツ大佐は何だかんだ面倒見がいいからなぁ」
「お前たち聞こえてるぞ」
地を這うような声に、皆急いで口を閉じた。
大将をからかっても仕返しされることはないが、フリッツ大佐は容赦なく報復してくる。
怒らせないのが懸命である。
シスはしばらく悩んだのち、「心遣いはありがたいが」と目を伏せた。
「それは駄目だ。こんな状況で、浮つくわけにはいかない」
「真面目か」
ここまで融通がきかないとは、と皆頭を抱えた。
部隊一真面目なアサトだってもう少し柔軟だ。
「でもね、シスくん。これで君たちが幸せになれなかったら、私たちが報われないと思いませんか?」
幾分卑怯な説得方法だったが、リヴァルの言葉にシスの心は揺れた。
「しかし…」
(さすがリヴァル中将……)
「もうひと押し」と内心エールを送っていたそのとき、聖堂に黒髪の娘が駆け込んできた。
シスはゆっくりと立ち上がり、その娘に目を向ける。
「フュナ、驚いた。どうした?」
「……いや、全然驚いてるように見えないけどな」
陸軍一同も立ち上がり、彼女を迎える。
フュナは「邪魔してごめんなさい」と頭を下げた。
「シスに、相談があって」
「相談?」
「俺たちは外した方がいいか?」
気を利かせたフリッツに、フュナは首を振る。
「いえ、聞かれて困るような話ではないので」
「そうか」
「それならお言葉に甘えて」とまた作業に戻ることにした。
黙々とガラスの破片を集める皆の隣で、シスとフュナは向かい合う。
「それで、相談とは?」
「ハントさまに『迷惑だよ』と言われたの」
淡々と相談を進めるフュナを尻目に、隊員らはこっそりため息をついた。
(魔導師団長きついこと言うなぁ……)
しかしシスは至極冷静に、「そんなの分かりきったことだろう」と返す。
(弟、鬼か!)
ちらりと目を上げ二人の様子を伺うも、フュナは気にしていないようだった。
「そうなんだけど。わかってたはずなんだけど……でも、それから何故か胸が痛くて仕方がないの」
(可哀想になぁ)
温室育ちの皇女さまには、ショックな言葉だったろう。
彼ら自身が蒔いた種とはいえ、さすがに気の毒だ。
そう、内心同情していると、フュナは意を決したように口を開いた。
「これって恋だと思う?」
「恋だろう」
「いやいやいや!」
とうとう口を挟んだ一同に、二人はパチパチと瞬きした。
「え?恋?今ので恋になっちゃうの?」
「どうしてそうなった!」
文化の差なのか!?と混乱する面々に、二人は首をかしげる。
「その人のことを思うと胸が痛くなったら、それが恋だと教わったから」
「大丈夫かカタル国の教育!」
心配になったリチャード隊員は、ポケットから愛読書『初恋』を差し出した。
身分違いの淡い恋を描いた、もはや古典ともいえる国民的ベストセラーである。
「ほら、これ読んで勉強しな」
「『初恋』?」
「最後のセリフは涙なしには読めないから」
「ありがとう…?」
とりあえず、フュナはその本を受け取った。
あとでゆっくり読もうと、帯の間に挟む。
「それでね、ハントさまが仰るには、不死身だから治療は必要ないんだって」
「不死身?」
「そんなことってあると思う?」
シスは数瞬間考えるように黙ったが、すぐに口を開いた。
「本人がそう言うならそうなのだろう」
「素直か」
「…いや、まぁ実際団長は不死身なんだけどな」
純粋培養にもほどがある。もう少し疑うことを覚えろと一同はハラハラしながら見守っていた。
フュナは、しばらく口を閉ざすと、思いつめたように微かな声を出した。
「……もし、本当に彼が不死身なら、私の治療は迷惑でしかないのかもしれない」
「本当にそう思うのか?」
対するシスは、ごく冷静に問いかけた。
まるでフュナの本心に問いかけているかのようだった。
「治る傷は無視していいと、本当に、そう思うのか?」
その瞬間、フュナの目に光が灯った。
「…よくない。無視していい傷なんて、ない」
無視していい痛みなんて、あるはずがない。
「シス、ありがとう。もう一度行ってくる」
「あぁ、気をつけて」
フュナは一同にもきちんと礼をすると、裾を翻して駆けて行った。
「頑張れよー!フュナちゃん!」
「さぁシス!お前も行ってこい!」
とん、とシスの背が押される。
「いや、俺は…」
「男は度胸だぞ」
周囲を見回すと、皆一様に「行ってこい」と笑っている。
シスは、唇を噛むと、目元を拭い、小さくうなずいた。
「……行ってきます」
遠ざかる背中に、温かい言葉が次々にかけられる。
その全てが、シスにとってかけがえのない宝物になった。
彼女に話してみよう。
この国のこと、彼らのこと、そして、変わらぬ自分の気持ちをもう一度。
もう二度、不安にはさせないと。
二人を見送った一同は、いつまでも開け放たれた扉を見守っていた。
「いい子たちですよね」
「あぁ、子煩悩な父親みたいな心境だ」
「彼らはしばらくリヴァル中将に弟子入りした方がいいですね」
「……それはどういう意味かな?」
翌日、シスの報告を聞き、この聖堂に歓声がこだまするなんて、今の彼らには知る由もない。
「頑張れよ」
ステンドグラスの抜け落ちた窓越しに、青空を見上げながら、フリッツはもう一度呟いた。




