第四十五話 フュナとハントの攻防
「ハントさま、ここでしたか!」
鈴を転がすような娘の声に、ハントは肩を跳ねさせ、青ざめた顔で振り向いた。
「また君か!もう、いい加減にしてくれ……!」
「それはこちらのセリフです!絶対安静なのに、書庫にいらっしゃるなんて!」
王室貴重文書保管書庫。
通称、王文庫。
地上から地下三階にわたって広がる、国内最大の書庫である。
王宮内の施設であるため、一般開放はされていないが、王室帳簿から各地の伝承にいたるまで、さまざまな文書が保管されている。
いわば、この国の歴史の集積地であった。
「ここへは許可がないと入れないはずだろう!?」
「先ほどいただきましたとも!」
フュナはずいっと許可証を見せつける。
「誰だい!他国の皇女さまに許可証を渡したのは!機密文書もあるっていうのに!」
「あちらの見張りの方々です」
棚の向こうに二人の兵が控えていた。
どうやら監視の目はあったらしい。
「それにしたって危機管理がなってない!君がその気になれば、あの二人くらい一瞬で片付くだろう!」
「そんなことしません!」
二人の兵も、苦笑しながらうなずいた。
「フュナさまはそんな方ではありません、団長」
「そうですよ。フュナさまが治療に当たられてから、近衛兵の皆もみるみる回復しています。団長も意地張ってないで、早く診てもらってください」
フュナの治療にかける熱意は、皆の予想を遥かに超えていた。
つい数日ほど前、近衛兵の最後の一人が折れたらしい。
それ以来、皆がフュナの肩を持ち、ハントの逃走を阻んでいるのだ。
「……これが孤立無援というやつか」
ハントは悲しげに本を閉じると、足を引きずるようにして、書庫から地上へ上がっていった。
* * *
「ハントさま、ここは薬草園です!薬は私がお持ちしますから、ベッドで安静にされていてください!」
(よくまぁ、こうピーチクパーチク鳴けるものだ)
ハントは内心嘆息すると、くるりと向き直った。
周囲に人の気配はない。
「フュナ姫」
驚いた顔のフュナが、ハントのエメラルドグリーンの瞳に映る。
「私は、君の助けなんて必要ないんだよ」
フュナの目は一瞬、傷ついたように揺らいだが、すぐに平気な顔をして誤魔化した。
「わかっています。でも、私が放って置けないんです。身勝手なのは重々承知しています」
(厄介だ……)
ハントは小さくため息をついた。
フュナはまた少しだけ傷ついたようだった。
「こんなことで償えるなんて、思っていません。でも、この国に薬事室があるように、我が国にも薬学があるのです。どうか、信じてください。この方法ならあなたの傷も、少しはましになるはずなんです」
ハントは頭をがしがしとかくと、「あぁもう!」とフュナの手首を取った。
「な、何ですか?」
おっかなびっくりのフュナをよそに、ハントは自身の腕の包帯を乱暴にほどく。
その腕は、抜けるように白く、傷一つ見当たらなかった。
「どうだい?治療すべき傷はあるかい?」
フュナの手を、自身の腕に触れさせる。
指先には、生傷どころか古傷の凹凸さえ感じられなかった。
まるで、傷そのものが存在しなかったかのようだ。
「そんな……」
目を皿のように見開いて、フュナは傷口を探した。
(ない……!?でも、確かに私が斬りつけた!ここも!ここも!ここも……!)
ハントはそんな彼女に、微笑みかけた。
「私は不死身なんだ。切り傷なんてすぐにこの通りさ」
「……そんな馬鹿なこと、ありえません」
今度はハントが少しだけ傷ついたように笑った。
「あぁ、ありえないよ。人ならね。だが、私は人じゃない。わかったらさっさとどこかへ行ってくれ」
「そんなつもりで言ったんじゃ……」
伸ばされたフュナの手は、ハントによって払われた。
「……迷惑だよ」
その言いように、ハント自身も驚く。
(私は、何をむきになっているんだ)
フュナもまた、瞳を見開いたのち、泣き笑いのような表情を浮かべるのが精一杯だった。
「……失礼、いたしました」
さっと背を向け走り去ったフュナの後姿を、ハントはぼんやりと見つめる。
(数千歳の大魔術師が、二十歳そこそこの娘さん相手に、大人げないどころの話じゃない)
「はぁーーーーっ」
深く嘆息し、その場に座り込む。
それから、そっと胸を押さえた。
(痛い……傷が治りきっていないのか?それとも、これが良心の痛みというものか?)
「いやいや、私に良心なんて残ってるはずないだろう」
立ち上がり、秋の抜けるような空を見上げる。
薬草が、風にのって爽やかに香った。
「……どうも私は人の子のひたむきさに弱いようだね」
ハントは苦笑した。
王にしてもルイーザにしても、スノウにしても。
それから、あの大陸最強夫婦にしても。
ルコットはまだ自身の力を知らないようだが、そう遠くない未来、気づくことになるだろう。
その僅かな魔力に秘められた力に。
物語は、今動き始めたのだから。
「まぁ、ルコットちゃんなら、きっと大丈夫だろう」
ハントは「さて」と背伸びすると、「痛み止めでも貰おうか」と薬草園を後にした。




