第四十三話 何度でも、春は巡り来る
「お初にお目にかかる、花嫁殿」
「我らのような爺を覚えてくださっているとは、嬉しいのぉ」
「さらに女神さまと共同戦線とは……長生きはしてみるものよなぁ」
大双剣を構えるブランドンに、身長ほどもある重長弓を小脇に抱えたベータ。
ホルガーは呆れたようにため息をついた。
「何年寄りみたいなこと言ってんですか」
「何を言うか。どう見てもワシらヨボヨボの爺さんだろうが」
「サイラスの奴め、さっさと後釜見つけて一抜けしおって。ワシらも後はお前に任せて引退しようかの」
「……勘弁してください」
ようやく引き継ぎが終わったと思えば、婚礼式の後始末に追われているのだ。
今一人にされてはたまらない。
「それで?」
好好爺は、黒い炎を纏う邪神に目を向ける。
「この小童を倒せば良いのじゃな?」
「……地殻は割らないように、お願いします」
のちにルコットは語る。
もしノヴィレア神とホルガーが守ってくれなければ、自分もまた湖の藻屑と消えていただろう、と。
「天変地異ってこういうことを言うのですね」
「言ってる場合か小娘!」
自在に水を操り、盾を維持するノヴィレアの腕の中で、ルコットはホルガーの背を見つめる。
彼は、飛び来る大木や、炎、雷撃、大波にいたるまで全てをその大剣で叩き落としていた。
「いい加減にしてください!ルコット殿下もいらっしゃるんですよ!?」
とうとう限界を迎えたホルガーが叫ぶと、二人はようやく手を止め振り返った。
「おぉ、悪いの。加減がわからんかったわ」
気づくとラマスは虫の息。
頭上には、抜けるような青空が広がっていた。
「では、そうさな。このくらいで勘弁してやろう」
ベータは、重長弓を構えると、渾身の力で引きしぼる。
先端に光が集まっていき、あまりの眩しさ、熱さにルコットは無意識に両手で顔を覆った。
「神を仕留めるのは不遜か?否!もはや貴殿に酌量の余地はない!」
弓が放たれる。
一直線に、禍々しい悪神の胸へ。
「ノヴィレア!ノヴィレアァァア!!」
手を伸ばし、叫びを上げるラマスに、ノヴィレアは一瞬、哀れみの目を向けた。
「……ラマス、あなたはもう、戻れないところまで来てしまった。しかし、神である私たちには必ず次の世がある。次は、どうか間違えないでください。世界は破壊するためにあるのではなく、愛するためにあるのだと。次こそは、良き友人になりましょう」
ラマスの瞳が和らぎ、最期のとき、その口元に一瞬、微かな微笑が浮かんだ。
「ここまで堕ちた私を、それでもそなたは見捨てぬのか。……ハハ、あぁ、分かった。約束しよう。次こそは、私もお前のような神に…なってみせる…」
眩い光の中、悪神ラマスは消えていった。
麗しの女神の姿を最期の瞬間まで見つめて。
禍々しい核まで抜かりなく破壊され、あとには何も残らなかった。
しかし、最期の刻の眼差しは、ノヴィレアの胸に小さな蕾を残していった。
その蕾が花開くとき、彼らはついに再会を果たし、積年の想いを伝え合うことになるのだが、それはまた、別の話。
* * *
「ルコット……あなた、よくあの渦中にいて無事だったわね」
この船も相当揺れたに違いない。
顔を青くした船員が互いに抱き合っていた。
「皆さまが守ってくださったんです」
「主にホルガーさまとノヴィレアさまが」とは言わないでおいた。
「ワシの方が多く奴を叩いたじゃろ、ホルガー!」
「たわけ!ワシの雷撃を見なんだか!」
呆れ顔のホルガーが二人の大将をなだめる隣で、船上の人々の視線は女神ノヴィレアに釘付けだった。
「あぁ…ノヴィレアさま……」
「本当に、ノヴィレアさまなのか……」
ルコットを降ろしたノヴィレアは、落ち着きなくその場に立ち尽くす。
「……皆、すまなかった」
女神の力を使い、ひどく怯えさせてしまった。
民を最後まで信じ抜くことが、できなかった。
「全ては、弱い私の心のためだった…!」
湖の王女の言葉は、ハントの魔力に中継され、アルシラ中に響いた。
仕事中の者も、家事に勤しむ者も、皆「信じられない」と呟きながら、空を見上げ両手を組んだ。
あの優しい女神の無事を、どれほど祈り続けてきたことか。
「女神さま、違うのです……!弱かったのは、我らの方だ!」
「疑心にかられ、あなたさまを傷つけたのは、私たちの方ではないですか!」
「本当に、ご無事でよかった……!」
涙にくれる人々に、ノヴィレアはそっと問いかけた。
「もう一度、私はこの地で生きても良いのだろうか……?」
その声は、アルシラ中に風のように渡った。
瞬間、領内が一斉に沸き立つ。
女神さまが帰ってきた。そして、もう一度ともにこの地で生きてくれるという。
これ以上望むことなどなかった。
「女神さま!ノヴィレアさま!」
頬を染め、ぎこちなく破顔する湖の王女。
ルコットはそんな彼女に、もう一度手を差し出した。
「王女さま、どうか私の魔力を受け取ってください」
「殿下!?」
ホルガーが振り返り、目を剥く。
ノヴィレアもまた、大きな眼をパチパチと瞬いた。
「……何を言っている?」
「仰っていましたよね。この魔力があれば……って。もし、私の魔力が何かの役に立つなら、使ってください」
この娘は、全く懲りていないのか。
あれだけ恐ろしい目に遭いながら。
本当に、なんと愚かな娘だろう。
そのとき、聞き覚えのある声が、空に響いた。
――確かにルコットちゃんの魔力があれば、湖の都を復興できるだろうね。
「ハントさま!?」
ルコットが驚いて声を上げると、声の主はおかしそうに笑った。
――あぁ、久しぶりだね、ルコットちゃん。無事に解決したようで何よりだ。
「私の魔力で湖の都が蘇るのですか?」
船上の皆をはじめ、アルシラ中の人々が、その答えを固唾を飲んで待った。
――できるさ。神や精霊や妖精は、人の想いの結晶だからね。これだけの人々の想いがあれば、あとは純度の高い魔力をちょっとばかり加えるだけさ。
「純度の高い魔力……」
――あぁ、ルコットちゃん、君の魔力はちょっと特別なんだ。
何が特別なのか、ルコットにはわからなかった。
ただ一つだけわかるのは、自分の魔力が今役に立つということだけだ。
「……わかりました。ありがとうございます、ハントさま」
ルコットは、差し出した手はそのままに、もう一度繰り返した。
「ノヴィレアさま、私の魔力を使ってください。……あ、死なない程度にお願いします」
ノヴィレアは、小さく笑うと「しまらない娘だな」と、泣き笑うように瞳を閉じた。
それから、壊れ物に触れるように、そっとその手を取った。
「……ありがとう、ありがとう、ルコット」
その瞬間、暖かな風が船を中心に湖を渡った。
風とともに無数の花びらが現れ、花吹雪となり、広大な湖を埋め尽くしていく。
あまりに幻想的な光景に、船上の人はもとより、岸辺の村々にいたるまで、皆がその様子に魅入った。
――……さながら夢幻の如く、だね。
ハントの声がどこか遠くで聞こえた。
黒かった水が、みるみる澄んでいく。
底が見通せるほどに。
生き物の息絶えた水中に、魚の跳ねる音がこだまし始めた。
花吹雪に混じり、無数の色鮮やかな光が集まる。
それらは楽しげに踊りながら、湖の中へと潜っていく。
光り輝く湖面。
舞い踊る花びらに、続々と集まる精霊、妖精。
ノヴィレアの家族もまた、花びらにのってこの世に舞い戻ってきた。
「久しいな、娘よ」
「……お父さま」
湖の城がかつての賑わいを取り戻していく。
城下に次々と家が立ち並んでいく。
ノヴィレアは、花吹雪に包まれながら、微笑むルコットを抱きしめた。
「こんな奇跡を私は知らない」
ハントは遥か遠い地の奇跡を見ながら、柔らかく微笑んだ。
――想いはどんな運命をも変えてしまう。希望はどんな魔術より尊いものだ。
それは、あらゆる魔術に精通した彼の、唯一の持論でもあった。




