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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第二章 北の大地 アルシラ
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第四十三話 何度でも、春は巡り来る


「お初にお目にかかる、花嫁殿」

「我らのようなじじいを覚えてくださっているとは、嬉しいのぉ」

「さらに女神さまと共同戦線とは……長生きはしてみるものよなぁ」


 大双剣を構えるブランドンに、身長ほどもある重長弓ロングボウを小脇に抱えたベータ。

 ホルガーは呆れたようにため息をついた。


「何年寄りみたいなこと言ってんですか」

「何を言うか。どう見てもワシらヨボヨボの爺さんだろうが」

「サイラスの奴め、さっさと後釜ホルガー見つけて一抜けしおって。ワシらも後はお前に任せて引退しようかの」

「……勘弁してください」


 ようやく引き継ぎが終わったと思えば、婚礼式の後始末に追われているのだ。

 今一人にされてはたまらない。

 

「それで?」


 好好爺は、黒い炎を纏う邪神に目を向ける。


「この小童こわっぱを倒せば良いのじゃな?」

「……地殻は割らないように、お願いします」


 のちにルコットは語る。

 もしノヴィレア神とホルガーが守ってくれなければ、自分もまた湖の藻屑と消えていただろう、と。


「天変地異ってこういうことを言うのですね」

「言ってる場合か小娘!」


 自在に水を操り、盾を維持するノヴィレアの腕の中で、ルコットはホルガーの背を見つめる。

 彼は、飛び来る大木や、炎、雷撃、大波にいたるまで全てをその大剣で叩き落としていた。


「いい加減にしてください!ルコット殿下もいらっしゃるんですよ!?」


 とうとう限界を迎えたホルガーが叫ぶと、二人はようやく手を止め振り返った。


「おぉ、悪いの。加減がわからんかったわ」


 気づくとラマスは虫の息。

 頭上には、抜けるような青空が広がっていた。


「では、そうさな。このくらいで勘弁してやろう」


 ベータは、重長弓を構えると、渾身の力で引きしぼる。

 先端に光が集まっていき、あまりの眩しさ、熱さにルコットは無意識に両手で顔を覆った。


「神を仕留めるのは不遜か?否!もはや貴殿に酌量の余地はない!」


 弓が放たれる。

 一直線に、禍々しい悪神の胸へ。


「ノヴィレア!ノヴィレアァァア!!」


 手を伸ばし、叫びを上げるラマスに、ノヴィレアは一瞬、哀れみの目を向けた。


「……ラマス、あなたはもう、戻れないところまで来てしまった。しかし、神である私たちには必ず次の世がある。次は、どうか間違えないでください。世界は破壊するためにあるのではなく、愛するためにあるのだと。次こそは、良き友人になりましょう」


 ラマスの瞳が和らぎ、最期のとき、その口元に一瞬、微かな微笑が浮かんだ。


「ここまで堕ちた私を、それでもそなたは見捨てぬのか。……ハハ、あぁ、分かった。約束しよう。次こそは、私もお前のような神に…なってみせる…」


 眩い光の中、悪神ラマスは消えていった。

 麗しの女神の姿を最期の瞬間まで見つめて。

 禍々しい核まで抜かりなく破壊され、あとには何も残らなかった。


 しかし、最期の刻の眼差しは、ノヴィレアの胸に小さな蕾を残していった。

 その蕾が花開くとき、彼らはついに再会を果たし、積年の想いを伝え合うことになるのだが、それはまた、別の話。



* * *



「ルコット……あなた、よくあの渦中にいて無事だったわね」


 この船も相当揺れたに違いない。

 顔を青くした船員が互いに抱き合っていた。


「皆さまが守ってくださったんです」


 「主にホルガーさまとノヴィレアさまが」とは言わないでおいた。


「ワシの方が多く奴を叩いたじゃろ、ホルガー!」

「たわけ!ワシの雷撃を見なんだか!」


 呆れ顔のホルガーが二人の大将おじいちゃんをなだめる隣で、船上の人々の視線は女神ノヴィレアに釘付けだった。


「あぁ…ノヴィレアさま……」

「本当に、ノヴィレアさまなのか……」


 ルコットを降ろしたノヴィレアは、落ち着きなくその場に立ち尽くす。


「……皆、すまなかった」


 女神の力を使い、ひどく怯えさせてしまった。

 民を最後まで信じ抜くことが、できなかった。


「全ては、弱い私の心のためだった…!」


 湖の王女の言葉は、ハントの魔力に中継され、アルシラ中に響いた。

 仕事中の者も、家事に勤しむ者も、皆「信じられない」と呟きながら、空を見上げ両手を組んだ。

 あの優しい女神の無事を、どれほど祈り続けてきたことか。


「女神さま、違うのです……!弱かったのは、我らの方だ!」

「疑心にかられ、あなたさまを傷つけたのは、私たちの方ではないですか!」

「本当に、ご無事でよかった……!」

 

 涙にくれる人々に、ノヴィレアはそっと問いかけた。


「もう一度、私はこの地で生きても良いのだろうか……?」


 その声は、アルシラ中に風のように渡った。

 瞬間、領内が一斉に沸き立つ。

 女神さまが帰ってきた。そして、もう一度ともにこの地で生きてくれるという。

 これ以上望むことなどなかった。


「女神さま!ノヴィレアさま!」


 頬を染め、ぎこちなく破顔する湖の王女。

 ルコットはそんな彼女に、もう一度手を差し出した。


「王女さま、どうか私の魔力を受け取ってください」

「殿下!?」


 ホルガーが振り返り、目を剥く。

 ノヴィレアもまた、大きな眼をパチパチと瞬いた。


「……何を言っている?」

「仰っていましたよね。この魔力があれば……って。もし、私の魔力が何かの役に立つなら、使ってください」


 この娘は、全く懲りていないのか。

 あれだけ恐ろしい目に遭いながら。

 本当に、なんと愚かな娘だろう。


 そのとき、聞き覚えのある声が、空に響いた。


――確かにルコットちゃんの魔力があれば、湖の都を復興できるだろうね。


「ハントさま!?」


 ルコットが驚いて声を上げると、声の主はおかしそうに笑った。


――あぁ、久しぶりだね、ルコットちゃん。無事に解決したようで何よりだ。


「私の魔力で湖の都が蘇るのですか?」


 船上の皆をはじめ、アルシラ中の人々が、その答えを固唾を飲んで待った。


――できるさ。神や精霊や妖精は、人の想いの結晶だからね。これだけの人々の想いがあれば、あとは純度の高い魔力をちょっとばかり加えるだけさ。


「純度の高い魔力……」


――あぁ、ルコットちゃん、君の魔力はちょっと特別なんだ。


 何が特別なのか、ルコットにはわからなかった。

 ただ一つだけわかるのは、自分の魔力が今役に立つということだけだ。


「……わかりました。ありがとうございます、ハントさま」


 ルコットは、差し出した手はそのままに、もう一度繰り返した。


「ノヴィレアさま、私の魔力を使ってください。……あ、死なない程度にお願いします」


 ノヴィレアは、小さく笑うと「しまらない娘だな」と、泣き笑うように瞳を閉じた。

 それから、壊れ物に触れるように、そっとその手を取った。


「……ありがとう、ありがとう、ルコット」


 その瞬間、暖かな風が船を中心に湖を渡った。

 風とともに無数の花びらが現れ、花吹雪となり、広大な湖を埋め尽くしていく。


 あまりに幻想的な光景に、船上の人はもとより、岸辺の村々にいたるまで、皆がその様子に魅入った。


――……さながら夢幻の如く、だね。


 ハントの声がどこか遠くで聞こえた。


 黒かった水が、みるみる澄んでいく。

 底が見通せるほどに。

 生き物の息絶えた水中に、魚の跳ねる音がこだまし始めた。


 花吹雪に混じり、無数の色鮮やかな光が集まる。

 それらは楽しげに踊りながら、湖の中へと潜っていく。


 光り輝く湖面。

 舞い踊る花びらに、続々と集まる精霊、妖精。

 ノヴィレアの家族もまた、花びらにのってこの世に舞い戻ってきた。


「久しいな、娘よ」

「……お父さま」


 湖の城がかつての賑わいを取り戻していく。

 城下に次々と家が立ち並んでいく。


 ノヴィレアは、花吹雪に包まれながら、微笑むルコットを抱きしめた。


「こんな奇跡ハッピーエンドを私は知らない」


 ハントは遥か遠い地の奇跡を見ながら、柔らかく微笑んだ。


――想いはどんな運命をも変えてしまう。希望はどんな魔術より尊いものだ。


 それは、あらゆる魔術に精通した彼の、唯一の持論でもあった。





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