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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第一章 婚礼編
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第四話 ばあやとルイーザ


「姫さま、嬉しそうですね」

「そう見える?」


 就寝前、髪を梳かしているときに、ばあやが静かに言いました。


「ええ、とても。明日何かあるのですか?」


 ばあやには全てお見通しなのだと思うとおかしくて、思わず笑ってしまいます。


「実は明日またレインヴェール伯に会いに行くの」

「前回は確か、一週間ほど前でしたか。そのときにお約束されたんですね」

「そうなの。とても楽しかったわ」

「そうでしょうとも」


 その口ぶりからして、あの日の私は、ひどく浮かれていたに違いありません。


「まぁ、良いことですよ。結婚前に相手を知っておいて損することはありませんからね。できれば、ばあやも一度お会いしたいくらいです」

「それなら明日は一緒に行く?」

「そうですね…」


 そこで言葉を切って、ばあやは櫛をくるくると回しています。

 考え事をするときに手に持っているものを回すのは、ばあやの長年の癖です。


「…美男でしたか?」

「え?」


 どうしてそんな話になるのか、聞き間違えかとも思いましたが、どうやらばあやは私の答えを待っているようです。


 熊のように大きくて、黒い髪も無造作に刈られた、瞳の鋭い方でした。引き締まった表情をされていたので、雰囲気も柔和とは言い難かったです。

 絵本に出てくる王子様を美男だと言うならば、もしかしたらレインヴェール伯は美男ではないのかもしれません。


 こんな質問をするということは、ばあやはレインヴェール伯が美男であってほしいと思っているのでしょうか。

 もしそうなら、何と言えばいいのでしょう。


「そうね…とても、凛々しい方だったわ」


 ようやく出せた私の答えに、ばあやはにっこりと笑いました。

 

「そうですか。それじゃあ、ばあやは遠慮しておきますよ。もう一月足らずでお目にかかることになるでしょうから。さぁさぁ、早くベッドにお入りください。明かりを消しますよ」


 ばあやに促されるまま、私は毛布の下に潜り込みました。

 もうすぐお嫁に行くというのに、ばあやにしてみれば、私はまだ小さな女の子のままなのでしょう。


「おやすみ、ばあや」

「はい、おやすみなさい、姫さま」


 目を閉じるそのとき、ばあやの痩せた小さな背中が見えました。

 王宮を出てからは、私がばあやを守らなければと思った瞬間でした。



* * *



 ルコットの部屋を出たばあやは、テラスの椅子に腰掛けた。

 夜風が少し肌寒いが、そんなことは気にならないようだ。

 頭上の満天の星を見つめ、それから心底幸せそうに笑った。


「ルイーザさま、ばあやは今日、ルコットさまから想い人の話を聞かせていただいたんですよ」


 すると、いくつかの星が、かすかに瞬いた気がした。

 ばあやは微笑みを深くした。


「えぇ、難癖をつけようとするばあやから、その方を庇われたんですよ。あの、ルコットさまが」


 その頬を幾筋かの涙が流れた。


「毎日のように馬鹿にされ、いいように利用されながら、それでも姫さまはルイーザさまとの約束を守っておられます。ばあやは、悔しくて、悔しくて、仕方がありませんでした」


 悲しげに眉を寄せるばあやを、ルコットはいつも心からこう励ました。


「悲しむ必要なんか少しもないわ。私にはお母さまはいないけれど、代わりにお姉さまが十九人もいらっしゃるんですもの」


 ばあやはその言葉から、かえって家族への強い憧れを悟った。

 だからこそ、なるべくルコットの前では、姉姫たちへの苦言は控えてきたのだ。


「今度のことも、きっと、スノウ殿下に利用されているに違いありません。しかし、それでもいいのです。姫さまが、あれほど嬉しそうにされているのですから」


 そう言うと、立ち上がって、もう一度星を見つめた。


「そう、言い忘れていました。レインヴェール伯は、とても凛々しい方だそうですよ」


 それから、ばあやは「おやすみなさいませ」と言い残し、暖かい室内に入った。



* * *



 陸軍本部の正門は、本来四人の兵士によって守られている。

 一見手薄に見えるものの、側には詰所があり、有事の際にはそこから応援が駆けつけるのだ。


 それが今日この日は、門そのものが人垣で隠れるほど、多くの兵がひしめき合っている。


「お前たち!持ち場はどうした!」

「俺たちはあの鬼遠征に付き合ったんですよ!?」

「ルコット殿下に一目お会いするまでは戻れません!」


 それを言われると、ホルガーは強く出られなかった。


 ヤクで移動する予定だった行程を小型馬で駆け抜けようと提案したときに、部下たちの見せた般若のような顔は恐らく生涯忘れないだろう。

 湖畔を行くのは大回りになるため、山羊に乗って岩場を登ったことも、さすがに無理をさせたと反省している。


「…人間は、崖を山羊で登れるようにはできていないんですよ」


 フリッツ大佐の恨めしげな独り言は、しっかりと胸に刻まれている。

 彼を怒らせて良いことは一つもない。


 その後ろでにこにこ笑っていたリヴァル中将が、「まぁまぁ」と執りなしてくれなければ、刀の錆にされていたかもしれない。


 それでも、今日この日は彼女の傍にいたかった。

 あの日、陛下からの書状の下部に、手書きの小さな文が書き添えられていたからだ。


――追伸、九月十五日はあの子の母の命日たり。


 陛下がわざわざこんな情報を書き加えるとは考え難い。

 恐らくは、スノウ殿下の筆跡なのだろう。

 

 その日彼女が感じるであろう悲しみ、寂しさ。

 それを思うと胸が痛んだ。

 しかし、出会ったばかりの今の自分に、一体何ができるのか。

 考え抜いた末、出した答えは、結局「傍にいること」だった。


 何か予定があるのかもしれない。

 または、強いて予定を入れないようにしているのかもしれない。

 いずれにせよ、断られれば、それでもいいと思った。

 彼女が最も望む一日を叶えたかった。


 だが彼女は、一週間後の今日この日、九月十五日の約束を、顔色一つ変えずに受け入れた。

 失念していたのか、強がっていたのか。

 あるいは、かえって気を遣わせてしまったのか。


 そうして黙々と考えていたホルガーの耳に、「殿下!」「待ってました!」という歓声が聞こえてきた。


 はっとして目を上げると、馬車から降りたルコットが、「ご無沙汰しています」と群がる男たちに笑いかけている。

 急いで駆け寄り、無礼な部下を押さえて礼をした。


「殿下、度々無礼な輩で申し訳ありません」

「いえ、どうか気になさらないでください」

 

 そう言うと、ルコットは大きなかごから、一通の大きな書状を取り出した。


「もうご存知かもしれませんが、今朝方西国セントラインから皆さまにお礼状が届いたんですよ。お姉さまからお預かりしてきました」

「礼状ですか…?」


 ホルガーは受け取るなりさっと広げて中身を確認した。

 フリッツ大佐が「何と?」と急かす。

 その他の男たちも視線で促していた。


「…どうやら、先の西方の山岳遠征で討伐した賊は、長年セントライン国を悩ませていた悪党だったらしい。それを短期間で解決したことに対する礼と、我が国への和平の申し込みのようだ」


 それだけ言うと、ホルガーはルコットに書状を返した。

 その書状を元に、これから和平交渉が進められていくのだろう。


「お姉さまもとても喜ばれていました」


 そう言って笑うルコットを見ていると、毒気を抜かれそうになる。

 しかし、大国セントラインが長年手を焼いていた賊を、わずか三日で根絶やしにした男たちは、嘆息せずにはいられなかった。


「…そうだったのか」

「道理で、手強いと思った」

「大将の『行ける』って言葉を信じちゃいけないってこと、忘れてたよな」


 中でも、戦いの中で高価な眼鏡を犠牲にしたフリッツ大佐は、一際深いため息をついた。


「すまない、知らなかったんだ…」


 そう言って眉を下げる男の背を、強く叩く。


「いって!」

「…いいんですよ、我々の努力がこの国の平和に役立ったんですから」


 ホルガーが目を見開く前に、フリッツはその背をより強く押し、ルコットの隣に並ばせた。

 そして、他の男たちに、「そろそろ持ち場に戻るぞ」と声をかける。


「はいはい」

「それじゃあ大将、ごゆっくり」


 ぞろぞろと引いていく部下たちに、ホルガーは「どういうことだ」と立ち尽くす。


「大将、鈍すぎますよ」

「フリッツ大佐が半休取ってくださったんですよ。ちゃんとデートしてきてください」


 当のフリッツは何食わぬ顔で、再びその背を押した。


「ほら、いつまでぐずぐずしてるんですか。帯刀は?してますね。一日殿下をお守りするんですから、しっかりしてくださいよ。何かあれば使いをやりますから、今日は殿下のことだけ考えていてください」


 そうして、ホルガーが言葉を挟む暇もなく、陸軍の正門は大佐の命で閉ざされた。



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