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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第二章 北の大地 アルシラ
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第三十六話 ヘレンの屋根裏部屋


 ヘレンさんは、ある家の屋根裏部屋まで、私を連れて来てくれました。


「ほら、この服着なさい。風邪引くわよ。それから、はい、紅茶。早く温まらないと。着替え終わったらそこのベッドに入りなさい」


 てきぱきと、手際よく看護してくださいます。

 私が遠慮する暇もなくベッドに横になるまで、彼女は甲斐甲斐しく動き回っていました。


「あなたの服は窓際に干しておくから、すぐに乾くわ。さて」

 

 そこで、手を止めて、ベッドの側の椅子に腰を下されました。


「ところで、あなた何者なの?この辺りでは見ない顔だけど」

「この辺りというと…」

「何?ここがどこか分からないの?ここはテスラよ。サフラ湖の北岸の村」


 私は呆気にとられました。


「そんな……私、シュトラにいたはずです」

「は!?」


 今度はヘレンさんが目を点にされます。


「嘘でしょ!?サフラ湖の南端から北端まで流されてきたってわけ!?生きてるわけないわ!」

「そう言われましても…」


 私の困惑を見てとられたのか、彼女はそれ以上、その部分への追及はしませんでした。


「…まぁ、運が良かったのね。それで?どうして私の名前を知ってたの?」


 その目が、不審げに眇められます。

 無理もありません。彼女にとって私は見ず知らずの他人なのですから。

 私は、あの村のこと、そして、そこで見た映像と、彼女のお祖父さまについてお話ししました。


「つまり、私のお祖父さまは、とある村の長で、あなたは私を迎えに来たってこと?」

「はい、その通りです」


 彼女は見る見る顔をしかめていきましたが、最後には盛大なため息をついて、「分かったわ」と呟かれました。


「え?信じてくださるんですか?」


 我ながら、こんな胡散臭い話はないと思っていたのですが、ヘレンさんは完全に警戒心を解かれたようです。


「あなた、この人形知ってる?」

「あ!サラさん!」


 彼女の手の中には、ホテルに置いてきたはずの、サラさんが握られていました。


「その様子じゃ、この子が動くってことも知ってるのね」

「はい。でも、何故ここに?」


 湖にさえ連れて行っていなかったのに。

 そう首を傾げていると、ヘレンさんが順を追って説明してくださいました。


「この子は私が子供の頃から持ってる人形なんだけど、ときどき消えるのよ。一昨日の晩もそう。で、今朝戻ったと思ったら、スカートの裾を引っ張って、どこかへ連れて行こうとするの。仕方ないから付いて行ったら、湖の岸にあなたが打ち上がってたってわけ」


 つまり、サラさんは私を助けてくださったということでしょうか。


「そういうわけだから、私はあなたを信じるわ。まぁ、元々悪知恵の働く人でもなさそうだし」

「あ、ありがとうございます…」


 褒められているのかは微妙なところですが、私はとりあえずお礼を言っておきました。


「で、いつ出発するの?」

「淡々とされているんですね…」


 故郷を出て行くというのに、とてもあっさりされています。

 思わずそう呟くと、彼女は苦笑しました。


「まぁ、この家にいるよりはマシだろうし。思い入れもないしね」

「小さい頃に住んでいたお家は良いのですか?」


 私が問うと、彼女は硬い表情で沈黙しました。

 それから、そっと目を伏せられます。


「そうね…そこには、挨拶して行こうかな」


 それが良いと私も頷きました。


「そうと決まれば、出発は早い方が良いですよね。あ、でも、その前に、ホルガーさまに連絡を取らないと……この村に通信魔水晶はありますか?」

「そんな高価なもの、あるわけないでしょ」


 ヘレンさんは呆れ顔で腕を組まれます。


「あなた、さてはお嬢さまね?」

「え!?いえ…そういうわけでは…」

「そう?それにしては世間知らずね」


 世間知らずなのは王宮に引きこもっていたからなのですが、何だか情け無いので、ここでは黙っておくことにします。


「とりあえず、この村には通信魔水晶もなければ、転移施設もないわ。シュトラにお仲間がいるなら、サフラ湖を船で進むことになるわね」

「船!」


 思ってもみなかった移動方法でした。


「何よ、サフラ湖の船も知らないの?あなた一体どこから来たの?」

「お、王都からです」


 ヘレンさんは、どこか釈然としない表情で頷かれました。


「なるほど、北部出身じゃなかったのね。それにしても不思議な人だけど。まぁいいわ!」


 彼女はパンッと手を打つと、右手を差し出されました。


「改めまして、私はヘレン=チルラ。あなたは?」

「ルコット=ベルツです」


 慌てて右手を握ると、ヘレンさんは、にっと笑われました。


「ルコット、いい名前ね。それじゃ、しばらくの間よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 灰色の髪、同色の大きな瞳。抜けるような白い肌。

 儚げな見た目とは裏腹に、その笑顔は、まるで太陽のようでした。



* * *



――ここは、暗い。


 暗い、昏い、水底。

 一筋の光もない水の世界。


――ここは、寒い。


 かつて栄えた水中の都は、滅び去った。

 あるのは、白亜の居城のみ。

 伽藍堂の城には、誰もいない。

 自分の他には、誰も。


 あぁ、何故こんなことに。

 取り返したい。

 民も、仲間も、愛する人も何もかも。


 あの女を取り込んだとき、確かにこの国に光が射したのだ。

 それなのに、何故、逃してしまったのか。


――分からない、分からない。


 取り込んで、魔力を搾り尽くしてしまえば良かった。


 忘れてはならない。

 この悲しみを。

 この寂しさを。

 この恨みを。

 全てを取り戻すためならば、どんな手段も、厭わない。


 あの女。

 風変わりな女だった。

 脆弱で、非力で、吹けば飛ぶような、ただの人間。

 それなのに、こちらへ手を差し伸べようとした。

 分からない。

 卑しい人間の考えることなど。

 そうだ。

 人間は卑しく、醜い。

 思い出せ。

 かつて人間どもから受けた仕打ちを。

 奴らを信じてはならない。

 同じ過ちを、繰り返してはならない。


 信じられるのは、自分だけ。

 この手で、復讐を。


――次は、絶対に逃がさない。




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