第三十三話 食事デート
アルシラの都市シュトラは、想像していた以上に賑わった大きな街でした。
もう日はとっぷりと暮れているのに、街中には灯りが焚かれ、多くの人が真昼のように闊歩しています。
家々もどこか都会的で、若い女性の服装も、最新の意匠をさりげなく散りばめたものばかり。
馬車を降りながら、思わず感嘆のため息をこぼしてしまいました。
「綺麗な街ですよね。どの家も内装まで凝ってるんですよ。うちにもちょくちょく依頼があって……あ、今日泊まる宿もそうですね」
血が騒ぐのでしょうか。アサトさまの目がうきうきと輝いています。
それにしても、ベル家の手掛けた宿なんて、とんでもなくいいお値段に違いありません。
ホルガーさまの袖をそっと引きました。
「あの、ホルガーさま…今回の旅費は…」
「え?全て経費ですが」
不思議そうな顔で仰ったホルガーさまに、思わず眉を下げてしまいます。
確かにベル家印の装飾品を拝見するのは心が浮き足立ちますが、楽しみさと罪悪感では、後者の方が優りました。
民の血税でそんな贅沢をしては、ばちが当たってしまうでしょう。
するとホルガーさまが、「あぁ!」と何やら納得したように声を上げられました。
「心配いりませんよ。経費は経費でも、大将たちのポケットマネーですから」
「え?」
「ベータ大将とブランドン大将の奢りです」
「…それはそれで、良いのでしょうか」
困惑を隠しきれない私に、アサトさまが爽やかに微笑まれます。
「いいんですよ。先方が呼びつけたんですから。それに、孫が巣立ってから手持ちの使い道に困っていると仰っていました」
「…アサトは案外強かだよな」
ホルガーさまの苦笑に、眩しい笑顔のアサトさまは、「よく言われます」と頷かれました。
「それでは、私はこの辺で。お二人はお食事デートにでも行ってきてください。荷物は宿まで運んでおきますから」
食事デートとは何だろう…そう問い返す間も無く、背中を押されたホルガーさまが、目の前に立たれました。
お顔が暗闇でも分かるほど赤く染まっています。
「…あの、せっかくなので何か食べて帰りませんか?」
ホルガーさまがこんな風に言い籠られるところなんて、初めて見ました。
どうされたのでしょう。
アサトさまが「デート」なんてからかわれるので、照れてらっしゃるのでしょうか。
「大丈夫ですわ、ホルガーさま。夫婦が食事を共にするのは普通のことですもの。さぁ、参りましょう?」
「また絶妙に伝わってないんだよなぁ……もどかしい」
フォローしたつもりだったのですが、今度はアサトさまが頭を抱えてため息をつかれました。
何が悪かったのか尋ねようとしたところで、ホルガーさまが焦ったように手を取ってくださいます。
「えぇ、殿下、行きましょう!今すぐに!」
「ホルガーさま、そんなに焦らなくてもご飯は逃げないですよ」
あれよあれよという間に、私は引きずられるようにその場を後にしました。
振り返ると、アサトさまはにこにこと手を振ってらっしゃいました。
* * *
私たちが入ったのは、家庭的な雰囲気の食堂でした。
大皿の豪快な料理が多く、気取らないお酒も出される、地元の方に愛されたお店のようです。
とはいえ、店内は清潔感にあふれていて、ちらほら二人連れのお客さんも見受けられました。
「食べたいものはありますか?」
と気遣ってくださったホルガーさまに、迷わず「お肉が食べたいです」と答えてしまい、なんて可愛げのない妻なのだろうと反省したものですが、胃袋は正直です。
美味しそうな匂いに、先程からぐーぐーと空腹を訴えています。
席に着くと、すぐに注文を取りに来てくださいました。
「鶏の竜田揚げと卵焼き、山菜のきんぴらと赤魚の煮付け、きのこのクリーム煮、それから肉のたたきを。殿下は何になさいますか?」
殿下という呼び方に、店員の方は一瞬違和感を感じられたようですが、特に追及されることはありませんでした。
「そうですね…私は焼き鳥五種盛りとつくねのチーズ焼き、牛肉の詰め物焼きと、ハンバーグのトマト煮をお願いします」
「殿下、デザートに殿下のお好きなベリーのゼリーがあるようですよ」
ベリーのゼリー!素敵な響きです。
しかし、ホルガーさまは何故私がベリー好きだとご存知なのでしょう。
少し不思議に思いましたが、大方ばあやにでも聞かれたのでしょう。
「では、それも食後にいただきたいです」
嬉しくて頬を押さえていると、とても優しい目をされたホルガーさまが、こちらをご覧になっていました。
「な、何か…?」
「いえ……お可愛らしい方だと思って見ていただけです」
店員の女性が、ホルガーさまから見えない角度で小さく拍手をされました。
それから、「ファインプレー!」とごく小声で呟かれます。
なるほど、こんな風に互いを褒め合うのも、夫婦にとって大事なことなのかもしれません。
それならば私も、と、赤くなりそうな自分を「落ち着きなさい」と叱咤して、口を開きました。
「ありがとうございます。ばあやにもよく『子熊のようにお可愛らしい』と言われます。ホルガーさまは今日も世界一素敵な旦那さまですわ」
その瞬間、ホルガーさまが机に頭を打ち付けられました。
それから、微かに「…アサト…何故…頑張っただろう……」という声が漏れ聞こえてきました。
何か悪いことを言ってしまったでしょうか。
旦那さまなんて、やはりまだ馴れ馴れしかったのでしょうか。
先程の彼女は、また小さく「返り討ち!」と呟かれて、その場を去って行ってしまいました。
「あの、ホルガーさま、お気を悪くしてしまいましたか?」
おずおずとそう尋ねると、目にも留まらぬ速さで起き上がられました。
「いいえ…それだけはありません…どうか気にしないでください…」
どこか遠くを見られているホルガーさまのご様子は、やはりおかしかったのですが、旅疲れが出てしまったのかもしれません。
私たちの食べっぷりのせいか、出てくるお料理はどう見ても規定量以上に盛られていました。
どのお料理も絶妙な味付け、食感でぺろりと平らげてしまいます。
どうしても緩む顔で「美味しいですね」と話しかけると、ホルガーさまはまた、机に頭を打ち付けられました。
本当に、今日は一体どうされたのでしょう。
最後にベリーのゼリーが運ばれてきたとき、注文していないホルガーさまの分までサービスだと置いていってくださいました。
その際、先程の女性が、まるで戦地の友のような表情で、ホルガーさまの肩を、ぽんと叩かれました。
見ず知らずの方に労われるほど、ホルガーさまの旅疲れは酷いようです。
「今日はゆっくり休まれてくださいね」
そうお伝えすると、ホルガーさまは何とも言えない表情をされた後に、また優しく微笑まれました。
「えぇ、今夜はとてもいい夢が見れそうですから」
理由は分かりませんでしたが、何か良いことがあったのでしょう。
ホルガーさまの幸せそうな笑顔は、私の心も陽だまりのように照らしてくれました。
「…私もですわ」
店を出るとき、店員の方々に小声で「ご馳走さまでした」と笑いかけられました。
ご飯をいただいたのは私たちの方なのに、妙だな、と思いながら、私も「美味しかったです。ご馳走さまでした」と笑い返しました。
* * *
宿に戻ると、アサトさまが「どうでした!?」と勢い込んで尋ねて来られました。
「美味しかったですよ…?」
そうお答えすると、アサトさまはどこか不満げに俯かれます。
アサトさまも食べたかったのでしょうか。
「…また大将は失敗したんですか」
「失敗?」
「…いえ、あの、大将の様子はどうでした?」
私は不思議に思いながらも、そのままをアサトさまにお伝えしました。
やはりホルガーさまは調子がよろしくなくて、それを心配されているのかもしれません。
しかし、全てを聞き終えたアサトさまは、「…それは大将悪くない」と呟かれると、顔を押さえたまま、大きくため息をつかれました。
「…お可哀想に」
「アサトさま……あの、やっぱり私ホルガーさまに何か悪いことをしてしまったのでしょうか?旦那さま呼びは馴れ馴れしかったとか…」
「いえ、ルコットさんはその調子でガンガンいきましょう」
「ガンガン…?」
訳がわからずに首を傾げていると、アサトさまは思い出したかのように口を開かれました。
「そうだ。ルコットさん、明日のご予定は?」
「あ、そうでした。明日は会議の前にホルガーさまと湖に行ってきますわ」
「……大将、その状態でよくやった」
またもや何かを呟かれると、「大将を元気付けてきます。すぐに戻ります」と出て行かれてしまいました。
ホルガーさまの体調は心配でしたが、知り合って間もない私が出しゃばっては、余計な気を遣わせてしまうでしょう。
大人しくアサトさまの帰りを待つことにしました。
「こんなとき、政略結婚ではない夫婦だったら、一番近くで寄り添うことができるのに」
仕方がないと分かっていながら、寂しいと思う心は、どうすることもできませんでした。




