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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第二章 北の大地 アルシラ
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第三十三話 食事デート


 アルシラの都市シュトラは、想像していた以上に賑わった大きな街でした。

 もう日はとっぷりと暮れているのに、街中には灯りが焚かれ、多くの人が真昼のように闊歩しています。

 家々もどこか都会的で、若い女性の服装も、最新の意匠をさりげなく散りばめたものばかり。

 馬車を降りながら、思わず感嘆のため息をこぼしてしまいました。


「綺麗な街ですよね。どの家も内装まで凝ってるんですよ。うちにもちょくちょく依頼があって……あ、今日泊まる宿もそうですね」


 血が騒ぐのでしょうか。アサトさまの目がうきうきと輝いています。

 それにしても、ベル家の手掛けた宿なんて、とんでもなくいいお値段に違いありません。

 ホルガーさまの袖をそっと引きました。


「あの、ホルガーさま…今回の旅費は…」

「え?全て経費ですが」


 不思議そうな顔で仰ったホルガーさまに、思わず眉を下げてしまいます。

 確かにベル家印の装飾品を拝見するのは心が浮き足立ちますが、楽しみさと罪悪感では、後者の方が優りました。

 民の血税でそんな贅沢をしては、ばちが当たってしまうでしょう。

 するとホルガーさまが、「あぁ!」と何やら納得したように声を上げられました。


「心配いりませんよ。経費は経費でも、大将たちのポケットマネーですから」

「え?」

「ベータ大将とブランドン大将の奢りです」

「…それはそれで、良いのでしょうか」


 困惑を隠しきれない私に、アサトさまが爽やかに微笑まれます。


「いいんですよ。先方が呼びつけたんですから。それに、孫が巣立ってから手持ちの使い道に困っていると仰っていました」

「…アサトは案外(したた)かだよな」


 ホルガーさまの苦笑に、眩しい笑顔のアサトさまは、「よく言われます」と頷かれました。


「それでは、私はこの辺で。お二人はお食事デートにでも行ってきてください。荷物は宿まで運んでおきますから」


 食事デートとは何だろう…そう問い返す間も無く、背中を押されたホルガーさまが、目の前に立たれました。

 お顔が暗闇でも分かるほど赤く染まっています。


「…あの、せっかくなので何か食べて帰りませんか?」


 ホルガーさまがこんな風に言い籠られるところなんて、初めて見ました。

 どうされたのでしょう。

 アサトさまが「デート」なんてからかわれるので、照れてらっしゃるのでしょうか。


「大丈夫ですわ、ホルガーさま。夫婦が食事を共にするのは普通のことですもの。さぁ、参りましょう?」

「また絶妙に伝わってないんだよなぁ……もどかしい」


 フォローしたつもりだったのですが、今度はアサトさまが頭を抱えてため息をつかれました。

 何が悪かったのか尋ねようとしたところで、ホルガーさまが焦ったように手を取ってくださいます。


「えぇ、殿下、行きましょう!今すぐに!」

「ホルガーさま、そんなに焦らなくてもご飯は逃げないですよ」


 あれよあれよという間に、私は引きずられるようにその場を後にしました。

 振り返ると、アサトさまはにこにこと手を振ってらっしゃいました。



* * *



 私たちが入ったのは、家庭的な雰囲気の食堂でした。

 大皿の豪快な料理が多く、気取らないお酒も出される、地元の方に愛されたお店のようです。

 とはいえ、店内は清潔感にあふれていて、ちらほら二人連れのお客さんも見受けられました。


「食べたいものはありますか?」


 と気遣ってくださったホルガーさまに、迷わず「お肉が食べたいです」と答えてしまい、なんて可愛げのない妻なのだろうと反省したものですが、胃袋は正直です。

 美味しそうな匂いに、先程からぐーぐーと空腹を訴えています。

 席に着くと、すぐに注文を取りに来てくださいました。

 

「鶏の竜田揚げと卵焼き、山菜のきんぴらと赤魚の煮付け、きのこのクリーム煮、それから肉のたたきを。殿下は何になさいますか?」


 殿下という呼び方に、店員の方は一瞬違和感を感じられたようですが、特に追及されることはありませんでした。


「そうですね…私は焼き鳥五種盛りとつくねのチーズ焼き、牛肉の詰め物焼きと、ハンバーグのトマト煮をお願いします」

「殿下、デザートに殿下のお好きなベリーのゼリーがあるようですよ」


 ベリーのゼリー!素敵な響きです。

 しかし、ホルガーさまは何故私がベリー好きだとご存知なのでしょう。

 少し不思議に思いましたが、大方ばあやにでも聞かれたのでしょう。


「では、それも食後にいただきたいです」


 嬉しくて頬を押さえていると、とても優しい目をされたホルガーさまが、こちらをご覧になっていました。


「な、何か…?」

「いえ……お可愛らしい方だと思って見ていただけです」


 店員の女性が、ホルガーさまから見えない角度で小さく拍手をされました。

 それから、「ファインプレー!」とごく小声で呟かれます。

 なるほど、こんな風に互いを褒め合うのも、夫婦にとって大事なことなのかもしれません。

 それならば私も、と、赤くなりそうな自分を「落ち着きなさい」と叱咤して、口を開きました。


「ありがとうございます。ばあやにもよく『子熊のようにお可愛らしい』と言われます。ホルガーさまは今日も世界一素敵な旦那さまですわ」


 その瞬間、ホルガーさまが机に頭を打ち付けられました。

 それから、微かに「…アサト…何故…頑張っただろう……」という声が漏れ聞こえてきました。

 何か悪いことを言ってしまったでしょうか。

 旦那さまなんて、やはりまだ馴れ馴れしかったのでしょうか。

 先程の彼女は、また小さく「返り討ち!」と呟かれて、その場を去って行ってしまいました。

 

「あの、ホルガーさま、お気を悪くしてしまいましたか?」


 おずおずとそう尋ねると、目にも留まらぬ速さで起き上がられました。


「いいえ…それだけはありません…どうか気にしないでください…」


 どこか遠くを見られているホルガーさまのご様子は、やはりおかしかったのですが、旅疲れが出てしまったのかもしれません。


 私たちの食べっぷりのせいか、出てくるお料理はどう見ても規定量以上に盛られていました。

 どのお料理も絶妙な味付け、食感でぺろりと平らげてしまいます。


 どうしても緩む顔で「美味しいですね」と話しかけると、ホルガーさまはまた、机に頭を打ち付けられました。

 本当に、今日は一体どうされたのでしょう。

 

 最後にベリーのゼリーが運ばれてきたとき、注文していないホルガーさまの分までサービスだと置いていってくださいました。

 その際、先程の女性が、まるで戦地の友のような表情で、ホルガーさまの肩を、ぽんと叩かれました。


 見ず知らずの方に労われるほど、ホルガーさまの旅疲れは酷いようです。


「今日はゆっくり休まれてくださいね」


 そうお伝えすると、ホルガーさまは何とも言えない表情をされた後に、また優しく微笑まれました。


「えぇ、今夜はとてもいい夢が見れそうですから」


 理由は分かりませんでしたが、何か良いことがあったのでしょう。

 ホルガーさまの幸せそうな笑顔は、私の心も陽だまりのように照らしてくれました。


「…私もですわ」


 店を出るとき、店員の方々に小声で「ご馳走さまでした」と笑いかけられました。

 ご飯をいただいたのは私たちの方なのに、妙だな、と思いながら、私も「美味しかったです。ご馳走さまでした」と笑い返しました。



* * *



 宿に戻ると、アサトさまが「どうでした!?」と勢い込んで尋ねて来られました。


「美味しかったですよ…?」


 そうお答えすると、アサトさまはどこか不満げに俯かれます。

 アサトさまも食べたかったのでしょうか。


「…また大将は失敗したんですか」

「失敗?」

「…いえ、あの、大将の様子はどうでした?」


 私は不思議に思いながらも、そのままをアサトさまにお伝えしました。

 やはりホルガーさまは調子がよろしくなくて、それを心配されているのかもしれません。

 しかし、全てを聞き終えたアサトさまは、「…それは大将悪くない」と呟かれると、顔を押さえたまま、大きくため息をつかれました。


「…お可哀想に」

「アサトさま……あの、やっぱり私ホルガーさまに何か悪いことをしてしまったのでしょうか?旦那さま呼びは馴れ馴れしかったとか…」

「いえ、ルコットさんはその調子でガンガンいきましょう」

「ガンガン…?」


 訳がわからずに首を傾げていると、アサトさまは思い出したかのように口を開かれました。


「そうだ。ルコットさん、明日のご予定は?」

「あ、そうでした。明日は会議の前にホルガーさまと湖に行ってきますわ」

「……大将、その状態でよくやった」


 またもや何かを呟かれると、「大将を元気付けてきます。すぐに戻ります」と出て行かれてしまいました。

 ホルガーさまの体調は心配でしたが、知り合って間もない私が出しゃばっては、余計な気を遣わせてしまうでしょう。

 大人しくアサトさまの帰りを待つことにしました。


「こんなとき、政略結婚ではない夫婦だったら、一番近くで寄り添うことができるのに」


 仕方がないと分かっていながら、寂しいと思う心は、どうすることもできませんでした。



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