表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第二章 北の大地 アルシラ
31/137

第三十一話 ヘレンはどこに


 ひんやりとした明け方の空気、控えめな小鳥のさえずり。

 紫色の朝焼けに目を細めながら、老人は馬車に乗ったルコットとアサト、それから馬上のホルガーに、今一度問いかけた。


「本当に孫娘を…ヘレンを連れ帰ってくださるのですか?」


 ホルガーは力強く頷き、ルコットもまた、真剣な面持ちで口を開く。


「はい、お任せください。きっとこの子が導いてくれますわ」


 その手には、あの灰色の髪の人形、サラが抱かれていた。


「昨夜あの映像を見せてくれたことには、何か理由があるはずですから」


 村長もまた神妙に頷く。


「…確かに、これまでこんなことはありませんでしたが……ご迷惑でしょう」

「とんでもありません。捜索はアルシラで用を済ませてからになりますが、必ずお連れします」


 飾り気のない言葉であったが、ホルガーの目は何よりも雄弁にヘレンの身を案じていた。

 老人の目に涙が滲む。


「…かたじけない。有難い。私は村長としてこの村を離れられない。そうでなくとも足が言うことを聞かない」

「私たちもお孫さんのことが気にかかるだけですから、どうか気にしないでください」


 アサトが宥めると、老人はようやく頭をあげた。


「善良な方々よ。恩に着ます」


 馬車が村を走り出てなお、彼はいつまでも、遥か北の方角を見つめ続けていた。



* * *



 アルシラとは、フレイローズ国最北に位置する、北の砦である。


 北の大国シルヴァ国と、スメラギ山脈を挟んで睨み合い、長年拮抗状態を保ってきた。

 そのため、民の間でも「北の不毛の地」というイメージが定着している。

 しかしその実、領土が東西南北に広いため、領内の気候や文化は多様であった。


 王都にほど近い南部は、真冬であってもひどい積雪は滅多になく、湿度が低いため、国内一農業が盛んな地域である。

 また、大陸一の面積を誇るサフラ湖も知られた存在であった。


「そして今回我々が向かっているのは、アルシラの中でも特に南端に位置する、シュトラという街です。会談用の迎賓館があるので、アルシラでの会議は大抵そこで行われます」


 馬車で揺られながら、ルコットはまだ見ぬアルシラに想いを馳せていた。

 畑に実る野菜に、巨大な湖。

 きっと美しい土地なのだろう。

 しかし、何より重要なのは、そこが最北の地であることだ。

 

「もし、ヘレンさんが国内にいらっしゃるとしたら、やはりアルシラのどこかということになるでしょうか?」

「そうでしょうね。この国であの規模の吹雪が吹くのは、アルシラくらいでしょう」


 ホルガーが請け合うと、ルコットは手元の人形をぎゅっと握りしめた。

 

「国外の可能性は低いと思いますよ」


 馬車台から、アサトが思案げに口を挟む。

 

「スメラギ山脈を越えれば、地表の雪が溶けることはまずありません。気候を鑑みればアルシラの北部でまず間違いないかと」


 驚くルコットに、ホルガーが目配せする。


「アサトは頭脳派なんです。剣も大したものですが」

「いいえ、まだまだです。もっと強くなりますよ」


 嫌味のない爽やかな笑顔に、迷いのない言葉。

 宣言通り、彼はこの先もっともっと強くなるのだろう。そんな予感が確かにした。


「ところで大将」


 周囲に感知されない、軍人特有の囁き声で、アサトが呼びかける。

 ルコットに聞かれてはまずい話かと、ホルガーもまた声をひそめた。


「何だ?」

「…ルコットさんとのデートコースは、きちんと考えてあるんですか?」


 からかっているわけではなく、真剣に心配しているのだろう。

 彼の生真面目さは、ときにどんな無礼な部下よりもたちが悪い。


「…今晩アルシラに到着してから食事でも…と思っている。それから、明日会議前に湖を案内できれば…と」


 気恥ずかしさから言い淀んでしまったが、それでもアサトはどこか満足げに「心得ました」と頷いた。


「これでフリッツ大佐に顔向けできます」

「…そんなことだろうと思った」

「お二人にきちんと休んでいただくことが、私の任務でもありますから」

「…そうなのか?」

「そうですよ!お二人があんまり亀の歩みだから、皆心配してるんです!」


 返す言葉もないとホルガーは眉間に皺を寄せた。

 結婚後、怒涛のような日々を過ごす中で、屋敷のことは全てルコットに任せきりになっていた。

 その間、なるべく寂しい思いはさせないようにと努めてはいたが、作れた時間はせいぜい一日一時間程度。

 これが世の女性であれば、とっくに見限られていてもおかしくはない。

 彼女の優しさに甘えている自覚は十二分にあった。


「せっかく一日中一緒に過ごせるんですから、もっと積極的にいきましょう!」


 ホルガーの頬がじわりと染まる。

 それから、視線がちらりと馬車内のルコットへと移った。

 彼女は、木々を飛び移るリスに目を奪われているようで、時折車内へと吹き込む風が、ふわふわと髪をそよがせている。


(まるで一枚の絵のようだ)


 ホルガーは旅の眩しい一情景として彼女の姿を焼き付けたのち、咳払いをした。


「…殿下にはスノウ殿下から仰せつかった役割がある。そして俺には、そんな殿下をお助けする使命がある」


 アサトはため息とともに天を仰いだ。


「大将、そもそもルコットさんはもう殿下ではないんですよ。王族からは抜けられたんですから」

「それは、分かっているが…何とお呼びすれば良いか…」

「何照れてるんですか」


 後にも先にも、アサトがこれほど呆れた顔をすることはないだろう。

 ホルガーは生唾を飲み込み、この先は慎重に言葉を吟味することを誓った。


「確かに、殿下は王族から抜けられた身だが、それでも何というか神聖なんだ……軽々しく触れて良い方ではない…」

「…まさかこんな拗らせ方をしているとは」


 アサトの呟きはホルガーの耳には入らなかったが、場の空気が数度下がったことだけは分かった。


「アサト、何故怒るんだ」

「…怒ってませんよ。今回の任務は手強そうだと思っているだけです」


 ホルガーは眉尻を下げ、「すまない」と謝る。

 よく分からないが、この若者が行く末を案じてくれていることだけは伝わってきた。

 アサトはといえば、頭痛をほぐすようにこめかみを揉むと、もう一度大きなため息をついた。

 それから、幾分穏やかになった声色で「いいですよ」と告げた。

 その顔には、親愛のこもった苦笑が浮かんでいた。


「不器用なのは大将の長所でもありますから」


(幸い、ルコットさんは気の長い方のようですし)


 そして幸い、アサトは世話焼きな性質だった。


 涼しい風を額に受ける。

 落ち葉の香りはどこか頭をすっきりとさせた。


(とりあえず、今日の昼食はお二人を隣同士の席にしよう)


 長丁場になることを覚悟しつつ、そんな二人を見守るのも悪くはないとアサトは思い始めていた。

 その口元が緩んでいることには、本人でさえ、気づいていない。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ