表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第二章 北の大地 アルシラ
30/137

第三十話 チルラ家の日々


 真白の雪原を疾走する一台の乗合馬車。

 舞い上がる粉雪が、立て付けの悪い窓から冷たく吹き込んでいる。

 悪天候故か、向かう先が寂しい土地なのか、客は身を寄せ合う一組の男女だけだった。

 女が小さく身震いした。


「寒いか?サラ」

「いいえ、レン。寒く無いわ」


 薄い布一枚を二人で頭から被る。

 喋るたびに白い息が上がった。

 それでも彼女は心から微笑んでいた。


「だから、もう後悔していないか聞くのはやめてね」


 男はぐっと食いしばると、少し視線を落とす。


「私はあなたの傍にいたい。お父さまに迷惑もかけたくない。こうするのが、一番の方法なの」

 

 ね?と笑うサラを、レンルートはいっそう強く抱きしめた。


「…絶対幸せにする」


 馬車は走る。

 何もない雪の世界をただ走る。

 北へ、北へと。



* * *



 再び室内が眩い光に包まれる。

 場面が切り替わったのか、次に映し出されたのは、雪に包まれた丘の上だった。

 吹雪の中にひっそりと佇む小屋のような家。

 窓からは、ぼんやりと灯りが溢れていた。

 そこへ、丘の麓から、マントに身を包んだ男が登って来る。

 手には荷物を乗せたソリを引いていた。

 ずるずると引き摺られるそれは、重みで雪に沈みかけながら、来た道に跡を残している。

 そのとき、小屋の扉が開き、一人の女が外へと飛び出した。


「…レン!お帰りなさい!」


 声は突風にかき消されたが、男は気づいたようだった。

 心なしか、歩く速度が上がる。

 外気が彼女の髪を凍らせ、風が粗末なスカートをはためかせたが、サラはその場から動かなかった。

 とうとう、彼が小屋に至る。

 ぽんぽんと無言で撫でられた頭を、彼女は幸せそうに押さえた。


 小屋の様子は、簡素というより他なかった。

 簡単な炊事場に、小さなベッド、テーブルが一つに椅子が二つ。

 いずれも新しく買い求めた品でないことだけは確かだ。


 男がソリの覆い布を剥がすと、中からは、干し肉やチーズ、古びた衣類が数着、薪や布に至るまで、様々なものが積まれていた。

 女はそれを見て心底驚いた顔をする。


「レン、今日は大漁ね!これ、一体どうしたの?」


 フードを外したレンルートは、タオルでサラの髪を包みながら答えた。


「トムの爺さんが持ってけと」

「あら、今日はトムさん村にいるのね」


 ぎこちなく微笑み、男の頬を指で撫でる。


「…この傷、また石でも投げられた?」

「かすり傷だ」


 女は僅かに泣きそうな顔をしたが、「そう」と呟いただけだった。


「…ねぇ、レン。どうして皆魔術師を怖がるのかしら」


 レンルートは低く笑った。


「君みたいな奴の方がおかしいんだ。……僕は、君に出会えて幸運だった」


 出会いを懐かしむように閉じられた目。

 サラもまた、照れたように笑った。


「さぁ、それじゃあお夕飯にしましょう」

「僕はいい。トム爺にも、身重の嫁さんにたらふく食べさせろと言われている。それに僕は、食べなくとも死なない類の魔術師だ」

「そういう問題ではないの!ほら、早く席に着く!」


 急かされたレンルートは、慌てて椅子に座る。

 それを見届けて、サラは満足げにスープを温めに行った。

 腰まである長い灰色の髪。

 機嫌の良い鼻歌。

 鍋の小気味好い音と、食欲をくすぐる香り。


「なぁ」


 呼びかけると、彼女は振り向かないまま「なぁに?」と返事した。


「お腹の子、どっちだと思う」


 サラは「どうかしら」と答えながら、くすくすと笑った。


「あなたはどっちだと思う?」

「僕は…女の子だと思う。君によく似た」

「それなら、きっとその通りになるわ」


 彼女の歌に耳を傾けるように、レンルートは静かに目を閉じた。



* * *



 再び、場面が移り変わる。

 雪解けの道を、灰色の髪の女の子が、両親に手を引かれて歩いている。

 そしてその小さな背中には、あの人形がおんぶ紐で結びつけられていた。


「とうさま、足が疲れたわ」

「頑張って。もう少しで村に着くよ」

「もう無理よ。歩けない」


 レンルートは苦笑すると、口を尖らせる我が子を抱き上げた。


「良かったわね、ヘレン」

「かあさまより高い!」


 満面の笑みではしゃぐ娘の頭を、サラは手を伸ばして撫でた。

 ヘレンはくすぐったそうに身をよじる。


「村に着いたらクリスたちと遊ぶの!手紙に『待ちきれない』って書いてあったわ。とうさまとかあさまもお薬売りが終わったら一緒に遊びましょう?」

「夕方までに終わったらね」


 レンルートは、風で乱れた娘の前髪をそっと整えた。


「ヘレンのおかげで、村の人たちが仕事をたくさんくれるようになったからな」

「皆とうさまのこと、真面目で丁寧な仕事をするって褒めてるわ。かあさまは美人で気立てが良いって」

「あらまぁ」


 ヘレンは、顔を見合わせる両親に、誇らしげに胸を張った。



* * *



 映像を見つめる老人の目から、細い涙が流れた。

 乾いた唇が何かを呟こうと開かれる。

 そのとき、穏やかだった風景が、暗転した。


 暗闇の中。

 黒い空には稲妻が走り、地響きのような低い音が絶え間なく足を揺らす。

 遠く地平線が赤く焼けていた。


「いや!とおさま!かあさま!行かないで!」


 マントで全身を隠した二人組に、縋り付くヘレン。

 腫らした目に、赤くなった鼻、がらがらに枯れた声。

 それでも涙は止まらなかった。


「お願い!置いて行かないで!ここにいて!お願い!」

「ヘレン……良い子にしていたら、いつか帰ってくるわ。それまで、クリスくんのお家でお留守番していてね」

「嘘よ!かあさまは嘘をつくとき私の目を見ないもの!」


 二人は息を飲み、そのまま押し黙った。

 それ以上、誤魔化す言葉は持ち得なかった。


「…でもね、ヘレン。村の人たちを助けなくちゃ」

「二人が居なくなったら、私はどうしたらいいの」

「聞いて、ヘレン。あの人形に、まじないをかけておいた。困ったときには必ず、誰かが助けに来てくれる」

「とうさまとかあさまじゃないといや!」

「…ごめんね」


 サラは娘の手を離し、夫と並び立った。


「…ヘレン、大好きよ」

「いや!待って!かあさま!とうさま!」


 レンルートの冷たかった瞳に、雫が浮かび、溢れた。



* * *



「…何という…あの子は、もう生きていないのか」


 村長の呟きに、言葉を返せる者はなかった。


 また場面が切り替わる。

 今度は見たことのない家の、暖炉の前だった。

 陽光が高い小さな窓から差し込んでいる。

 そこに、煤だらけの少女がしゃがみこんでいた。


「ねぇサラ、とうさまは嘘つきね。助けなんてちっとも来ないじゃない」


 母の名をつけた灰色の髪の人形に、悲しげに微笑む。


「…お前はかあさまの代わりなんでしょう?あぁ、私の味方はもう、お前だけよ」


 荒れた手で、古ぼけた人形を撫でていると、階段をどしどしと降りる音がした。


「ヘレン!何してるんだい!夕飯の仕込みがまだだろう!まったく!タダ飯食らいが、何をぼんやりしてるんだい!」


 丸々と肥えた女は、怒鳴り散らすだけ怒鳴り散らすと、勢いよく扉を閉めて去って行った。

 けたたましく叩きつけられた戸に、ヘレンは苦笑する。


「……最後におばさまからご飯を食べさせてもらったのは、いつのことだったかしら」


 自らの皮肉に、少女は自嘲げに眉を寄せた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ