第三話 顔合わせ
あれから数日のうちに、十五人のお姉さまが次々に訪ねて来られました。
いずれのお姉さまも、「何故あなたがレインヴェール伯の妻に?」とお尋ねになられたのですが、私にも分からないので、推測でものを言うしかありません。
結局、「あなたにも分からないのね」とため息をついて帰って行かれました。
「どういうわけか分からないけど、あなた今権力の只中に放り込まれたのよ。もっとしゃきっとしなさい。気を引き締めなさい。痩せる努力をしなさい」
お姉さまからいただいたお言葉をまとめると、大体このようなことを仰っていました。
とりあえず、今日の午前のおやつは、半分ばあやにあげることにします。
スノウさまから、
――新居は王都に用意してあります。婚礼は一月後です。準備を進めておきなさい。
というお手紙をいただきました。
一月というと、まだ時間の余裕はあると思っていたのですが、それは考えが甘かったとしか言いようがありません。
家具や内装の手配のために、日に何度も様々な方が訪ねて来られます。
その上、婚礼そのものに関する手配も膨大で、注意点や覚えるべきマナーも無限にありました。
まさか婚姻がここまで大掛かりなものとは思っていなかったのですが、よくよく考えてみれば、お相手は我が国の英雄なのですから、きっと多くの方に注目されるのでしょう。
「あぁ、姫さま、おやつれになられて…」
「それなら、今日の午後のおやつは少しだけ多めに食べてもいいかしら?」
「えぇ、良いですとも。英気を養ってくださいまし」
ばあやの嬉しそうな顔を見ると、私もとてもほっとします。
婚姻が決まってからというもの、ばあやにはどうしても心配をかけてしまっています。
今日は、いつもより長く座って、ゆっくりお喋りしようと思います。
* * *
三切れ目のミートパイに手を伸ばしたところで、スノウさまから新たなお手紙が届きました。
何でも、婚姻前に一度レインヴェール伯と顔合わせをする機会を設けてくださったのだそうです。
お姉さまのお心遣いに感謝しながら、読み進めます。
レインヴェール伯はとても多忙な方で、近々山岳地方に遠征されるとも書かれていました。
そんなお忙しい方に時間を割いていただくなんて、恐れ多いことです。
最後に訪問日を確認して、私は絶句しました。
急いで、本日の日付を確認します。
そしてもう一度、手紙の日付を確認しました。
訪問日は、間違いなく、本日その日の日付になっています。
「…ばあや、とりあえず、余ったミートパイを包んで!」
ばあやが大慌てで包んでいる間に、私は大きなかごを探しに行きました。
* * *
ホルガーの未来の妻を一目見ようと、陸軍本部の応接間にはいつにもなく人が溢れかえっていた。
「お前たち、今日は鍛錬の日だろう…」
「まぁまぁ大将」
「一人は心細いだろう!」
「俺たちがしっかり見極めてやりますよ!」
輝く笑顔で返されてしまえば、もはや黙るしかない。
実際のところ、いきなり女性と二人で話すのは少しだけ気が重かった。
「ベルツ大将!ルコット殿下がいらっしゃいました」
廊下から聞こえてきた声に、ホルガーを始め、騒いでいた部下も立ち上がり、深く礼をする。
「失礼します」
二拍後、ようやく扉が開かれ、人の入って来る気配がした。
かと思えば、その人物ははっと息を飲み、「あ、頭を上げてください!」と何やら慌てている。
いや、もしかしたら怯えているのかもしれない。
むさ苦しい男どもに、頭を下げられ囲まれれば、それは無理からぬことだろう。
ホルガーは言葉の通り頭を上げた。
それにほっとしたのか、少女は少しだけ微笑んで、礼をした。
「初めまして、レインヴェール伯。ルコットと申します。お会いできて本当に光栄です」
「いや、こちらこそ、殿下にお越しいただきまして、大変恐縮で…どうぞ、こちらに」
そう言って椅子を勧める。
部下たちは、緊張して口数の少なくなったホルガーをからかうように小突いた。
「皆さまも、お仕事の邪魔をしてしまってすみません」
「いえいえ、大将の未来の奥さまのお越しとなれば!」
おどける部下を睨むも、当の本人は全く気にしていないようで「慕われていらっしゃるんですね」とにこにこ笑っている。
「はぁ、すみません、無礼な奴ばかりで」
「いえ、そんなことは!とても楽しいです」
そう言うと、彼女は大きなかごを机に乗せて、中からミートパイを取り出した。
「よろしければ、皆さまもどうぞ。たくさん持ってきたんです」
「いいんですか!」
ほのぼのと笑うルコットに、早速打ち解けてしまった部下たち。
自分一人遠慮しているのも何だかおかしくなってしまい、結局ホルガーもまたパイに手を伸ばした。
「殿下、大将はどうですか?第一印象として」
「第一印象ですか?そうですね…」
何を聞いてくれるのかと問いただしたいが、殿下の御前だとぐっと我慢する。
「大きな方だな、と思いました」
何人かの部下が耐えきれずにふき出している。
彼らには後で城下二十周を言い渡そうと心に決めた。
「じゃあ、大将は、殿下のことどう思いました?」
「言えるか!!」と内心叫んだが、心なしか期待のこもった少女の目を見ると、何か言わなければならない気がしてくる。
「……こいつらに、良くしてくださる方で、よかったな、と」
本当は、もっと他にもあったのだ。
思っていたより笑顔が愛らしいとか、色が白いとか、声が心地良いとか、近づくと、何となく落ち着くいい香りがする、とか。
だが、初対面の女性に、それも公衆の面前で、そんなこと、言えるはずもなかった。
それにこれが、一番初めに浮かんだ印象だったのだ。
勿論、これが女性への褒め言葉にならないことくらいは分かっている。
もしかしたら、気分を害してしまったかもしれない。
そう思い、ちらりと様子を伺うと、少女はやはり穏やかに微笑んでいた。
「皆さまのこと、とても大切に思われているんですね」
その瞬間、ホルガーの胸に、すとんと何かが刺さった音がした。
* * *
「今まで全く浮いた話を聞かないと思ったら、ああいう方が好みだったんですか」
「ああいう方というか…」
「あー、はいはい、彼女自身が好ましいんですね、ご馳走様です」
部下のげんなりした声に、言い返すことさえできない。
自分自身が一番困惑しているのだから。
「え!大将!一目惚れですか!いいなぁ、俺もお会いしたかったです。誰ですか今日買い出しを言いつけたのは」
「噂は噂で、やっぱり美人だったんですか?」
これ以上相手にしていては身がもたないと、次の遠征の配置図と人員表に目を落とす。
しかし、ホルガーが返事をせずとも、勝手に話は盛り上がっていく。
「いや、噂通りかな」
「少なくとも、美人ではない」
「ふくよかな方だった」
しばらく聞こえぬふりをしていたホルガーも、これには口を挟まずにはいられなかった。
「お前たち、女性の見目をそんなふうに…」
「いやいや、待ってくださいよ大将!まだ話の途中なんですよ!」
そう言うと、一人の男が心底嬉しそうに笑った。
「美人ではないけど、でも、大将には、あの方しかいないんじゃないかと思った」
すると、他の男たちも同じように笑った。
「あぁ、俺もそう思う」
「お似合いだよな」
釈然としない男の肩を叩きながら、「まぁ、会えばわかる」と熱弁している。
「会えばったって、そう簡単に会える方ではないだろう」
「それが会えるんだよ」
「大将が次の約束を取り付けちまったからな」
その言葉に、部屋中がどよめく。
「大将が?」
「女性に約束を…?」
ホルガーは、精神力を試されているのだ、と頭を上げず、人員表を書き換え続けた。
それに調子を良くした部下は、手に手を取って芝居を始めた。
「『またお会いできたら嬉しいですわ』」
「『それじゃあ、また一週間後に』」
「『でも、山岳地帯への遠征があると…』」
「『大丈夫、五日で終わらせてきます』」
「『確か二週間の予定では…?』」
「『大丈夫です、五日で帰ります』」
「ホルガーさま!素敵…!」
「ちょっと待て」
そこまでおとなしく聞いていた一人の部下が、声を上げた。
「大将!正気か!西方の山岳地帯だぞ!?行きと帰りで丸二日かかる!それを五日でだと!?」
ホルガーは何でもないことのようにペンを振った。
「大丈夫だ。急げば」
「あんたが大丈夫でも、俺たち人間は全く大丈夫じゃないんですよ!」
「だから三日で進行するために、今人員表を書き換えているんだ」
「ちょっと待て!」
「勿論フリッツ大佐、お前も組み込んでいる。今はハーディ大佐について来てもらうか考えているところだ」
青くなった部下たちを意にも介さず、「できれば本部にいる中将から一人くらい手を貸してほしいところだが」と呟いている。
「…まぁ、三人のうち一人くらい大丈夫じゃないですか」
「…大将が言えば、ミルノのベータ大将も、アルシラのブランドン大将も駆けつけてくださるんじゃないですか?」
呆れ半分そうこぼすと、ホルガーは「さすがにじいさん二人をここに呼びつけるのは忍びない」と笑った。
「…でも、大将の婚礼式には二人とも任地放っぽり出して来そうだよな」
「陸軍のトップ三人がこんな調子で、大丈夫なのかこの国は…」
「…まぁ、有事のときには三方とも豹変するからな」
ひらひらと手を振り「リヴァル中将に聞いてくる」と退出したホルガーに、かける言葉は見つからなかった。