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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第二章 北の大地 アルシラ
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第二十九話 サラとレンルート


 アサトが村長とともにマスターキーで解錠していると、それを待たずに内側から扉が開かれた。


「早かったな」


 ホルガーの落ち着いた声色に、ルコットの無事を悟りアサトは安堵する。

 実際、彼女はホルガーの腕の中にいた。

 顔は心なしか青ざめているものの、怪我などは見られない。


「お騒がせしてすみません…」

「とんでもありません。何があったんですか?」

「人形が…」

「人形?」


 そのとき、村長がはっとしたのを、ホルガーは見逃さなかった。


「そこの人形が動いたんです」

「人形が動いた…?」


 アサトが訝しげな声を上げる一方で、村長の顔は青を通り越して蒼白になっている。

 指先が小刻みに震えていた。

 ルコットの指し示す人形は、灰色の髪に同じく灰色の目をした、布製の人形である。

 手作りだろうか。所謂人形にありがちな不気味さは全く感じない、愛らしい顔をしている。


「これが動いたんですか?」


 どうにも腑に落ちない。

 そんな顔をしていたアサトに、ホルガーが言葉を添える。


「俺も見た。まるで生きているように殿下の裾を掴んで、どこかへ連れて行こうとしているかのような…」

「それは本当ですか!?」


 そのとき、信じがたい剣幕で声を上げたのは、他ならぬ村長だった。

 血走った目に、アサトでさえ、一瞬たじろぐ。


「この人形が、お嬢さまを導こうとしたのですね!?」


 ルコットへ伸ばされかけた手を、ホルガーが遮る。

 そのあまりに威圧的な視線に、男は小さく悲鳴を上げた。


「村長殿、落ち着いてください」


 アサトに肩を叩かれ、我に帰った村長ははっとする。

 顔色は依然悪いが、目は正気に戻っていた。


「…申し訳ありません。取り乱しました」


 口調も穏やかなそれへと戻る。しかし、隠しきれない焦燥が滲んでいた。


「この人形は、何なのですか?」


 ルコットの疑問は尤もだった。

 男は躊躇うように喉を詰まらせ、それから言葉を探すように口を何度か開閉する。

 そしてとうとう、泳がせていた視線を床へと落とした。


「……その人形は、二十年以上前、私の娘が作ったものです」



* * *



 サラは大人しい娘だった。

 いつも俯きがちに歩き、声は小さく、くすんだ色の服ばかりを着ていた。

 母を幼い頃に亡くしてから、毎日することといえば、掃除洗濯炊事、そして村長である父の仕事の簡単な補佐。

 浮いた話は一つもなく、家に一人でいることが多かった。

 唯一の楽しみといえば、家事の延長で始めた裁縫。

 特に人形作りが好きで、近所の子供たちからは「人形作りのサラ」とさえ呼ばれていた。

 

 出来上がった作品を部屋に並べていくサラに、村長は度々声をかけた。


「お前もそろそろ嫁に行きたくはないかい?」


 その度に、彼女は困ったように笑った。


「お父さまのお言葉に従いますわ」


 気が進んでいないことは一目瞭然だった。

 可愛い一人娘を無理に手放す必要はない。

 何だかんだで、彼は娘に甘かった。


 そんなある日、一人の青年が、彼らの元を訪れた。


「僕の名は、レンルート=チルラ。しがない魔術師だ」


 黒髪黒眼の彼はどこか陰気にそう名乗った。


「主に植物の研究をしている。この村にひと月ほど滞在したいのだが、宿屋の主人に断られてしまった。長期滞在ならここに世話になるようにと」


 村長はこっそりとため息を吐いた。

 あの女将はそういうところがあった。

 金にならないと踏んだ客は、いつもこうして丸投げするのだ。


「勿論タダでとは言わない。謝礼は前払いでも良い。研究の合間で良ければ手伝いもしよう」

 

 どうだろうか。

 そう遠慮がちに様子を伺う青年に、村長は首を振った。


「謝礼なんていりませんよ。大したおもてなしもできませんからね。何もない家ですが、ゆっくりしていってください」


 きょとんとする青年に、男は「あぁ、一つだけ」と付け足した。


「娘の話し相手にでもなってやってください」


 青年はみるみる表情を明るくし、「恩に着ます」と頭を下げた。


 予想外だったことは二つある。

 一つ目は、サラが思いの外青年に懐いたことだった。

 同性に話しかけることさえ滅多にないのに、どういうわけか彼には声をかけやすいようだった。

 よく言えば静かな、悪く言えば陰気な雰囲気が、そうさせたのかもしれない。


 二つ目は、彼がしばしばサラを外に連れ出すようになったことだ。

 といっても、いかがわしさは全くなく、大抵森に調査に向かうか、川に水を汲みに行くくらいのものだった。


 村長は迷った。

 確かに彼は良い青年だ。

 少々口下手であるし、表情も明るいとは言い難いが、思いやりの心を備えており、根はとても優しい。

 だが、何より気がかりだったのは、彼の素性だった。

 魔術師というのは、人々の憧憬を集める一方、同時に恐れをも抱かせる存在であった。

 未知の経歴、未知の術、未知の価値観。

 今でこそ、情報の普及が進み、王宮魔導師団の人気と相まって、魔術師への壁は年々薄くなっている。

 しかし、二十年以上前の当時、魔術師とは正に未知の存在だった。

 人間と同列に語ることなどできない、異世界の住人。

 村人の中には、既にサラとレンルートの交流を遠巻きに眺める者もいる。

 果たして彼とともにいることは、娘の幸せになるのだろうか。


 そんな迷いが吹っ切れたのは、ある日の夕食後のことだった。

 どこか生き生きと明るくなったサラが、その日はことさら興奮していた。


「お父さま!見てみて!」


 その手には、二つの人形が握られている。

 どちらもサラが縫ったものだった。

 彼女は隣のレンルートに目配せすると、そっと机の上に置いた。

 彼もどこか楽しそうに目を細めている。


「一体何だと言うんだい?」


 そう言い終わらないうちに、男は言葉を失った。

 人形が、くるくると踊り始めたのである。

 口をはくはくと動かす父が面白かったのか、サラは声を立てて笑う。


「すごいでしょう?お父さま」


 うきうきと心底嬉しそうに目を輝かせるサラを、レンルートは慈愛に満ちた表情で見守っている。

 その瞬間、男は決意した。


 この青年に、娘をやってはならない、と。


 これまで彼が魔術を用いるところは、見たことがなかった。

 だからこそ、理解できていなかったのだ。

 彼が本当に、本物の魔術師であるということを。


 村長の顔色が変わったことに、二人はすぐに気がついた。


「お父さま…」


 サラが何かを言うより先に、男は口を開いた。


「…レンルート君、君はここを出て行かなければならない」


 瞬間、彼の瞳は驚愕に見開かれ、揺れた。

 その口が何かを言いたげに開かれるが、結局何も言うことはなかった。

 ただ苦しげに、そしてどこか諦めたようにうつむいた。


 そして、次の朝、彼と彼女は、まるで夢のように消えていた。


 それから数年後、この村には人形が出るようになった。

 暗くなると、室内屋外関係なく、いつの間にか、彼女の作った人形がそこにあるのである。

 害をなすわけではない。

 動くわけでもない。

 しかし、魔術師の呪いだ、魔術師の嫁(サラ)の呪いだ、と人々は気味悪がった。

 村人が眠りにつく時間はどんどん早くなり、とうとう、太陽が沈む前に皆寝静まるようになってしまった。

 今では夜起きているのは村長だけ。

 そうなると、彼は毎晩人形に遭遇した。

 娘によく似た灰色の髪の人形が、いつも物言いたげに現れる。


「…すまない。すまなかったね、サラ、レンルート。言いたいことがあるなら言っておくれ」


 人形は何も話さない。動かない。

 ただじっとそこにあるだけ。


「…何かを伝えたいんだろう?…あぁ、私に魔力があれば、君は動けたのかもしれないね」


 ただただ娘の幸せだけを願い続けた二十年間だった。

 


* * *



「もしその話が本当なら、この人形は殿下の魔力に反応して動いたのだろう」


 ホルガーの推測に、男の目が見開かれる。


「お嬢さまは魔術師だったのですか?」

「いえ、そうではありません。ただ魔力をお持ちというだけです」


 意味の掴めない男に、ルコットが言い添える。


「あるか無いか分からないくらいの、とても微量なものなのです」

「…もしや、とは思いましたが、あなた方はあのルコットさまとホルガー殿でいらっしゃいましたか」


 否定することもできずに黙っていると、男は納得したように頷いた。


「…なるほど、王家の血を継ぐ方でしたら、魔力もお持ちでしょう。やはりこの人形は、魔力を持った方の前でないと動けないのですね」


 そのとき、その言葉を肯定するかのように、人形が一歩踏み出した。

 はっと息を飲むルコット。

 ホルガーとアサトは剣に手をかけた状態で、固唾を飲んで見守る。

 人形はくるくると回ると、ぴたりと止まった。

 それから、突然、眩いばかりの光を放つ。


「何だ!」


 剣を抜いたアサトを尻目に、人形は宙に浮いていく。

 室内は真っ白の光に包まれた。


「…これは…」


 ルコットは部屋中を見回す。

 ホルガーもそれに倣い、刮目した。


「これは、映像か…?」


 その人形が放つ光は、部屋中に、どこかの風景を映し出していた。



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