第二十五話 陸軍大将ベータ、ブランドンの誘い
――レインヴェール伯夫人殿
婚礼式には厄介な外憂との交渉が長引き、参列致しかねた事、誠に無念に候。
何卒御深慮の程お願い申したく候。
また近くご尊顔を拝見致したく、つきましては次回陸軍会にて少しでもお目にかかれましたら、我らのような老人にとりまして有難き幸せに候。
* * *
朝手紙を開いてから、その足でスノウお姉さまの元へ向かいました。
何せ現陸軍大将ベータさまとブランドンさまからのご連名の書簡です。
私一人ではどうお返事すれば良いのかも分かりません。
「できることならお会いしたい」というのが本音ではありました。
しかし軍会に関係者ではない私が参るのも、失礼に当たる気がします。
きちんと王女らしい教育を受けておけば良かったと心底後悔しました。
お姉さまは本を読まれながら楽しげにアーノルドさまと談笑されていましたが、私が手紙の件をお伝えするとすぐに、
「行きなさい」
そう仰いました。
「行かせてほしい」と頼みに来たはずなのに、あまりに呆気なく承諾されてしまい、何だか拍子抜けしてしまいます。
「確か次の開催地はアルシラだったでしょう。いいじゃない。綺麗なところよ。二人でゆっくりしてらっしゃい」
「本当に、宜しいのですか?」
今王都は猫の手も借りたい程の騒ぎなのです。
そんな状態で屋敷を空けてしまって本当に良いのでしょうか。
「普段冷血だからこういうときすぐ信じてもらえないんですよ」
「……給金がいらないようね、アーノルド」
「我が主スノウ殿下は今日もお優しくていらっしゃる」
お姉さまは冷ややかにアーノルドさまを一瞥され、「とにかく」と手元の本を閉じられました。
「二人でゆっくり過ごしなさい。こちらのことは気にしなくていいわ。レインヴェール伯には私から伝えておきます。さぁ、帰るわよ、アーノルド」
「…また急なことで」
肩を落としながらもアーノルドさまは荷物をまとめにかかられました。
「お姉さま、それほど急に帰られなくても…」
せめて今日の夕食までご一緒できればと思ったのですが、お姉さまは首を振られました。
「あなたも用意があるでしょうし、城に戻る良いきっかけになりました。戻って話しをしてきます」
お姉さまがこう仰るからには、もう大丈夫なのでしょう。
決断を下されてからのお姉さまの行動は、とにかく早いのです。
「お互い良い報告ができるようにしましょう。楽しんできなさい」
強く微笑まれるお姉さまに、私もうなずきました。
「氷の姫君」
そう呼ばれるお姉さまは、いつも冷静で、鋭くて、ときに非情なほどの決断さえ下されます。
表情さえ動かされることはありません。
まるでその役を演じられているかのように。
本当は、こんなにも、温かな心を持った方なのに。
気さくで朗らかなお姉さま。
その力強い微笑は、きっとこの先永遠に失われることはありません。
* * *
ばあやの夕食の支度を手伝っていると、玄関扉が慌ただしく開く音がしました。
それから、聞き慣れた足音がばたばたとこちらに向かってきます。
私は頬が緩むのを感じ、ボールを抱えたまま廊下に頭を出しました。
「ホルガーさま、こちらですわ」
言うが早いか、ホルガーさまは廊下の曲がり角から、ひょっこり顔を出されました。
相当急いでいらしたことが伺えます。
「お姉さまからお聞きになられたのですか?」
「スノウ殿下のご冗談かと思ったのですが…」
私が首を振ると、ホルガーさまはどこか嬉しそうに笑われました。
「会議自体は半日で終わるので、明後日の晩早馬でアルシラまで行って、会議後すぐ戻って来る予定だったのですが、殿下がいらっしゃるのなら明日共に馬車で向かいましょう」
「ご迷惑ではないですか」と、聞きかけてやめました。
ホルガーさまは誰かのことを、そんな風に思う方ではないからです。
開きかけた口を使って、「ありがとうございます」とお伝えしました。
「お礼を言いたいのは俺の方です。お二人はすごく喜ぶでしょうし、俺も、明日がとても楽しみになりました」
頬に熱が集まるのは、きっとこんな真っ直ぐな優しさを持つ人を他に知らなかったから。
眩しいほどの熱量でこの国の行く路を照らす彼は、こんな私のことも大切な仲間の一人として数えてくださっているのでしょう。
私は、そんな彼の期待に報いたいと強く感じました。
「それでは俺はこれで失礼します。明日の朝また」
仕事を残して来られたのでしょう。
それだけ仰り深く礼をされると、ホルガーさまはまたばたばたと玄関の方へ走って行かれました。
「あれ姫さま、お夜食を持って行っていただこうと思っていたのですがね」
「…お引止めする間もありませんでしたわ」
きっと今から、明日片付ける予定だったお仕事をされるおつもりなのでしょう。
今夜はきちんと寝られるのでしょうか。
「やっぱり申し訳ないことをしてしまったわ」
「何を仰るのですか姫さま。あんな少年のようにはしゃがれて、まぁ目も当てられません」
驚いてばあやを見ると、やれやれと首を振って厨房へ戻って行ってしまいました。
待ってくださいばあや。
そんなこと言わないでください。
変な期待をして困らせてしまいたくはないのです。
どうにもならない想いをこれ以上育ててしまいたくはないのです。
「姫さま?どうなさったのです。もう十分混ざっていますよ」
もう十分。
その言葉が耳に残って少しだけ泣きたくなりました。




