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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第一章 婚礼編
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第十七話 激戦


「おい!後ろだ!」

「気をつけろ、妙な術を使うぞ!」


 奮戦する陸軍兵団を遠目に観察しながら、アスラはハントに耳打ちした。


「どう思う?」

「あぁ、確かに妙な術だね。彼らに魔力の反応は見られない」


 消えては現れ、刃を飛ばし、また霞の如く消える彼らは、兵の間を潜り抜け、着実に壇上へ迫らんとしている。


「ハーディ!そっち行ったぞ!通すな!」

「はい!」


 しかし、迎え撃つ陸軍もまた、それをすんでのところで防ぎ、追い返す。

 二対多勢。

 数で勝るといえども、未知数の敵を相手に、見事に善戦していた。


「ルコットさんに指一本でも触れさせてみろ!地獄を見るぞ!」

「何が何でも大将の嫁さんをお守りしろ!」


 飛び交う怒声にハントの口角が上がる。


「近衛兵団ではなく陸軍を配置した、殿下の采配はさすがだね」

「少々教育が行き届いていないようだがな」


 ハントは「ははは」と笑い、「しかし」と声を低くする。


「そう長くはもつまい。着実に彼らとの距離は縮まってきている」

「そうだな」

「生憎肉弾戦は専門外なのだが」

「私だって軍の訓練を受けていただけだ。本職を相手にどれだけやれるか…」


 酷く弱気な物言いだが、それが魔術師の本音だった。


「まぁ、私は盾になるつもりでいるよ」


 何気なく発されたハントの一言に、アスラは顔をしかめる。

 まるで、忌むべき記憶を突かれたかのように。


「なるべく、私の背後にいてくれ」


 絞り出された声に、ハントは困ったように眉を下げた。



* * *



 儀式は進む。

 まるで周りの騒ぎなど耳に入らぬかのように。

 あれから既に三十分を過ぎ、式典はようやく終盤に差しかかろうとしていた。


「我が娘、ルコット=ハイ=フレイローズは、雨天には新芽に傘をさしかけ、晴天には草木に水を運び、この国を慈しみ続けてきた。誇り高いフレイローズの王家に相応しい王女である」


 剣戟が近くなってきたことが気にかかりつつも、ルコットは恭しく頭を垂れた。


「本日この良き日に、女神サーリの導きの元、ルコットはこの王宮を離れる。しかし彼女は永遠に女神の娘であり、私の娘である」


 これは決まり口上だ。

 そう、分かっているはずなのに、ルコットは思わず顔を上げ、父を見つめずにはいられなかった。

 そのとき、彼女の法衣に刃が刺さった。


「とうとう来たか!」


 背後からアスラの苛立った声が聞こえる。

 飛び道具であったそれは、ルコットの法衣を大理石の床に見事に縫い付けていた。

 思わずたじろぎそうになる心を叱咤する。

 誰より御身を大切にしなければならない王が、欠片も怯むことなく言葉を続けているのだ。

 非力な司祭の顔にも、怯えなど一切滲んでいない。

 仮にもこの国の王女である自分が、恐れるわけにはいかない。

 信じてくれたあの方に、恥じることのない自分でありたい。

 ルコットは再び目を閉じると頭を下げた。



* * *



 魔銃が使えないことで、これほど後手に回ってしまうとは。

 アスラは舌打ちすると、襲い来る飛び道具を剣で叩き落とし、その勢いのまま相手の急所を狙う。

 しかし黒尽くめの二人組は、それを嘲笑うかのように霞と消え、また死角から現れる。


「団長!後ろだ!」


 アスラが叫ぶと同時に、ハントは横に飛び、聖杖で短刀を払った。


「あんたの戦い方は見ていて危なっかしい。剣くらい持ったらどうだ」

「いやぁ、慣れないものを実戦で使う気にはなれなくてね」


 払われた軌道上から、また細かい刃物が降って来る。

 すぐに応援に向かおうと、アスラは一歩を踏み出すが、それはもう一人の者に阻止された。


「なるほど、私の相手はお前ということか」


 立ちはだかる黒尽くめは、相当の手練れだ。

 安易に出し抜くことはできないだろう。

 視界の端にハントを映し、アスラは歯噛みした。


 案の定、ハントの体には防ぎ切れなかった刃があちこちに刺さっている。

 中には急所と言えるところもあった。

 しかしハントは、それらの刃を、まるで何も感じていないかのように無表情で、一本ずつ抜いていた。


「おい!その戦い方はやめろと言っただろう!」


 思わず声を荒げるも、彼は「悪い悪い」と笑うばかり。


「しかし不死身の体がいかせるのはこんなときくらいだろう」


 アスラはそれ以上言葉を続けることができなかった。

 軍人なのだ。

 一対一の戦い方は各々に一任されている。

 自分が口を挟む筋合いも、その権利もない。

 だが、彼にも痛覚があることを、アスラだけは知っていた。


 かつて、遠征の際、深手を負った彼の天幕から、押し殺すような呻き声が、微かに聞こえてきたためだ。

 もちろん口外はしなかったけれど。

 もし敵方にばれてしまえば、どんな方法で痛めつけられるか、わかったものではない。

 幸か不幸か、敵はハントが不死身と分かるや否や、標的を他へ変えることがほとんどだった。


 多分に漏れず、今回もまた、相手は困惑を露わにし、何度か探るように斬りつけている。

 それをハントは聖杖でいなし、稀に隙を見て反撃していた。

 分が悪いと思ったのか、相手は後ろに飛び上がり、飛び道具を展開する。

 それをハントは的確に避けきった。

 ほっとしたのも束の間、それらには、何かちらちらと光るものが付いていた。


「…糸か!」


 気づいたときには既に、ハントの四肢は食い込んだ糸によって血に濡れていた。

 体を動かそうとすればするほど、糸はきつく締まり、傷口が深くなっていく。


「いやぁ、これは困ったね」


 ハントは糸を切ることを諦め、そのまま相手方へ直進した。

 どんどん糸が締まり、赤が大理石を染めていく。

 相手は思わず一歩後退すると、らちが明かないと判断したのか、糸端を手放し、王とルコットに矛先を変えた。


 先程までの短刀を捨て、腰に佩いていた長い刃を抜く。

 ちょうどルコットが立ち上がり、王に返辞を送る場面だった。


 振り下ろされる切っ先に、思わず来賓が息を呑む。

 しかしそれが二人に届くことはなかった。


 間に差し出されたハントの肩。

 そこに食い込んだ刃は、鮮血を纏い引き抜かれる。

 しかしそれでも、彼が倒れることはなかった。


「……ハントさま…」


 漏れ出たルコットの声は震えていた。

 しかしハントはたった一言、


「…続けなさい」


 そう告げると、また構えの姿勢に入った。

 黒い影は、今度は確実に仕留めんと王の首を狙う。

 しかしそれも、ハントの腕に阻まれた。

 同時にどう考えても致死量の血が周囲に飛び散る。


「ハント!退け!」


 アスラの叫びも虚しく、ハントはまた構え直した。


「…退かないよ」


 打ち込んでは止められ、その度に新たな血が法衣を濡らす。

 その様は、軍人であっても思わず身震いしてしまうほどだった。

 どれほどの間、そのやり取りが交わされたのだろう。

 不意に刃の嵐が止み、黒尽くめの姿が見えなくなった。

 ハントは疲弊した意識の中で気配を探る。

 しかしその気配は近くにはなかった。


「…しまった!」

 

 ハントの叫びと、来賓の悲鳴と、一体どちらが早かったのか。

 黒尽くめの影は、何の前触れもなく、最前列のスノウの直前に現れた。

 突然のことに、壇上付近に集まっていた陸軍の騎士も間に合わない。

 唯一冷静だったスノウが脇の兵士の佩刀を抜き構えるも、魔導師団長を嬲っていた剣を前に、そんなものは何の意味もなさない。


「無茶だ!逃げろ!」


 逃げろ言いつつ、それも間に合わないことは分かっていた。


 何ということだ。

 この戦いにはキングが二つあったというのに。

 王と姫を取られても負け。

 そして王太女スノウを取られても、この国の未来は無い。

 そんなことにも思い至らなかったとは。


 白刃が雪のような首に吸い込まれる間際、囁きほどの声がスノウの耳に届いた。


「…恨むなら、あなたの父を恨んでください」


 スノウは瞬きもせずに湖面のような声で答える。


「私は誰も恨みません」


 理由も聞かず、自身の運命にも抗わず、ただ襲い来る死を受け入れるその姿に、どうしようもない敗北を感じた。

 首を討ち取ろうとも、永遠に彼女スノウには勝てない。

 それが分かっていながら刃を止めることもできない自分は、ただただ滑稽な道化だった。



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