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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第一章 婚礼編
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第十四話 姉妹の語らい


 昼食後、私は一人庭に降りました。

 秋の空を見上げて、小さくため息をつきます。


(何故あんなふうに怒鳴ってしまったのでしょう…)


 何度思い返してみても、まるで分かりません。

 ただあのときは、色々な感情がぐちゃぐちゃに入り混じって、どうしようもなかったのです。


 瀕死ひんしの兵の痛み、不安。

 それを思うと、胸が引きしぼられるようでした。


 だから、レインヴェール伯の落ち着いた声が、あくまで冷静な物言いが、受け入れられなかったのです。

 本当に、愚かなことです。

 レインヴェール伯は軍人であり、不測の事態に冷静たることは、彼の義務です。

 そしてそれが、この国の人々を守っているのです。


 仲間の怪我にあからさまに動揺するような大将では、軍全体が揺らいでしまいます。

 彼の冷静さも真面目さも実直さも全て、彼がここまで必死で努力して、積み上げてきた結果なのに。

 自分で自分が許せません。

 こんな気持ちになることは、これまで一度もありませんでした。

 


* * *



「ホルガーよ、息災だったか」


 式典を終え、ぼんやりと王宮の廊下を巡回していたときだった。

 優しく懐かしい声に呼び止められ、ホルガーは反射のように振り向く。

 そこには白髪の老紳士の姿があった。


「クリスティ大将!いらしていたのですか!」


 喜びを隠そうともせずに、駆け寄るホルガー。

 老紳士はそんな彼を愛情深く見つめた。


「もはや大将の任は退いておる。サイラスで良いと言うておろう。まったく、せっかく親子となったのに、おまえは一向に寮から帰って来ぬ」


 言葉とは裏腹に、その目はどこまでも穏やかで慈悲深い。

 養父の戯れに、ホルガーは小さく笑った。


「申し訳ありません」

「よいよい。忙しいのはわしが一番よく分かっておる。して、奥方はどこに?」


 その瞬間、ホルガーは表情を曇らせ、途方にくれた顔で床を見つめた。


「…怒らせてしまいまして」

「ほう」

「…どうすれば、良いものかと」


 視線を上げ、ちらりと様子を伺うと、サイラスは鷹揚おうようにうなずいた。


「話してみなさい」


 この国随一の鴛鴦おしどり夫婦として有名な、クリスティ伯からの有難い申し出であった。



* * *



「それは全面的にあいつが悪いわよ!」


 今にも殴り込みに行かんばかりのサファイア姉さまを、私は必死にとめていました。


 先ほど、偶然通りかかったお姉さまに、私は今朝の出来事を洗いざらい話してしまったのです。


「朝一番に不意打ちのようにやって来て、そんな惨劇を報告するなんて!」

「で、ですが、きっと悪気はなかったのです」

「悪気がなかったとしても!ルコットは彼の上官ではないわ!花嫁よ!」


 そこまで仰って少し冷静になられたのか、お姉さまは深呼吸をされました。

 私は手を離すと、おずおずとお姉さまを見上げます。


「…ですが私は、あんなふうに感情的に、叫んでしまいたくありませんでした」

「そこが驚きなのよね。ルコット、あなた今までそんなふうに怒ったことがあって?」

「え?い、いえ」

「それなら何故、ホルガー殿には怒ることができたのかしら?」


 呟きほどの声でした。

 恐らくは独り言だったのでしょう。

 それでも、お姉さまの素朴な疑問に、私ははっとしました。

 

 確かに、何故よりにもよって、レインヴェール伯に怒鳴ってしまったのでしょう。

 これからスノウ姉さまのもと、共に任務を遂行していく方なのに。

 

 私が答えを出せないうちに、お姉さまは、迷いながらもゆっくりと口を開かれました。


「……もしかすると、ホルガー殿はあなたの特別な人なのかもしれない。彼の前でなら、あなたはありのままの自分でいられるようだから」


 思ってもみなかったお言葉に、私は言葉を失いました。

 彼が、私の特別な人?

 それは一体どういう意味なのでしょう。

 私の困惑を読み取られたのか、お姉さまは小さく笑われました。


「彼とともに生きていく中で、少しずつ自分の気持ちを拾っていきなさい」

「自分の、気持ちを…?」


 余計に混乱してしまった私の耳に、背後から足音が聞こえてきました。


「サファイア姉さまもたまには良いことを仰るじゃない」

「本当にね」


 現れたのは、メノウさまとフィーユさまでした。


「出てくるのが遅いのよ」


 サファイア姉さまは、お二人をじとりと睨んでいらっしゃいます。


「二人があんまり真剣に話し込んでいるから」

「声をかけにくかったの」


 緑の髪を揺らして微笑まれるフィーユさまに、赤い瞳でいたずらっぽく笑われるメノウさま。

 もしかして、サファイアさまも、お二人も、私を元気づけに来てくださったのでしょうか。


「まぁルコット、お姉さまのありがたいお言葉を聞きなさい?これは、記念すべき初の夫婦喧嘩よ」

「夫婦は喧嘩するほど仲が良いって茶会サロンで言ってたわ」

「……私たちは全員未婚ですけれどね」


 サファイアさまのご指摘に、フィーユさまはころころと笑われます。


「確かにそうね。いけないわ。口ばかり達者で」


 大らかなフィーユさまを見ていると、何だか気持ちが軽くなっていく気がします。

 口元が自然とほころぶのがわかりました。


「さぁ、表情も明るくなってきたことだし、そろそろ仲なおりに行ってきなさい」

「仲なおり?」

「喧嘩の後は仲なおりするものよ。そんなことも知らないの?」


 メノウさまは「呆れた」と、優しく背を押してくださいました。

 つんのめりながら振り向くと、サファイア姉さまが明るく微笑まれます。


「早く行きなさい。彼もきっとあなたを探しているわ」

「…っ、はい!」


 私は居ても立っても居られなくなり、城に向かって駆け出しました。

 それから、一度振り向いて、「ありがとうございます、お姉さま!」と頭を下げます。

 お姉さまは、優しく手を振られていました。


 彼に会ったら一番に謝って――そして、もし許していただけたなら、今晩一緒に食事をしていただけないか頼んでみようと思います。


 ばあやと三人で、小さなテーブルを囲んで、いつもより少しだけ長くおしゃべりを楽しみながら。



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