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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第五章 南国 エメラルド
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第百二十九話 シャンデラ・レイ


 どこまでも、抜けるような青空が広がっていく世界。

 地をなすのは眩しいほどに白い雲。

 リュクとサーリはその雲の上に静かに横たわっていた。

 音はなく、時折穏やかな風が二人の髪をそよがせる。

 そこへ、どこから現れたのか、白髪の老人がやって来た。表情の読めない瞳で、倒れたサーリを静かに見つめている。


「久しいの、サーリ」


 その声は決して大きいものではなかったが、サーリは微かにまつげを揺らした。

 それから、小さなうめき声をもらし、とうとうその目を開いた。紅玉のように澄んだ瞳だった。


「……父上」


 抑揚のないサーリの声にアランテスラは寂しげに微笑した。


「随分と辛い思いをしたな」


 サーリは起き上がると、傍で眠るリュクの姿を確認し、ほっと息をついた。

 それから、凪いだ表情でアランテスラに向き直る。


「あなたが気に病む必要はない。そんなことより、確認させてほしい。私たちがここへ来たのは、償いのためか?」


 神々の頂点に立つアランテスラは、古くから悪神を裁く裁判神として知られていた。

 どんな高位な神も、この天空の世界に送られてしまえば決して逃げ出すことはできない。

 老人はばつが悪そうに顔をしかめたが、結局静かに頷いた。


「さよう。事情あってのこととはいえ、そなたは多くのものを傷つけ過ぎた」


 サーリは大人しく頷く。

 自らの犯した罪は彼女自身が一番よくわかっていた。もしこうして呼ばれなければ、彼女の方からアランテスラの元を訪れていただろう。

 多くの土地を焼き、多くの人々を驚かせ、傷つけた。

 もはやどう償えば良いのかわからなかったが、できることなら何でもするつもりだった。


 両者は沈黙で語り合った。

 言葉はなかったが、サーリの覚悟は無言のうちに伝わったようだ。

 アランテスラの表情がにわかに和らぎ、どこか遠くを見るような瞳で微笑んだ。


「佳き女神となったの」

 

 サーリは戸惑った。

 自分は佳き女神などではない。むしろ悪神と呼ばれるものだった。

 アランテスラの真意がわからず、答えが返せないまま、サーリは立ち尽くした。

 すると、アランテスラは「一つ」と指を折った。


「そなたの戦神としての働きのおかげで、大陸の大戦は一応の決着を見た」


 フレイローズ国の建国と、魔術の剥奪。

 その結果として、確かに、神代から続いた大戦は収束した。


「二つ、そなたは、一人として人の子の命は奪わなかった」


 それは、恐らく無意識だった。

 あれほどの怒りを見せながら、それでもサーリは実に器用に相手の急所を外してきたのだ。


「そして三つ」


 揺れるサーリの瞳に、嬉しげな老人の笑みが映る。

 

「そなたは愛を知り、自らの弱い心を認め、乗り越えた」


 憎しみと孤独に負けそうになりながら、それでも最後の瞬間、ホルガーの言葉に耳をふさがなかった。

 結局、最後まで人の子を信じ続けていたのだ。


「幸い、彼らのおかげで、皆かすり傷程度で済んでおる。焼けた土地や建物はあるが、取り返しがつかぬわけではなかろう?」


 アランテスラの言葉の真意が読み取れず、サーリは戸惑いの目で見つめた。

 老人は、どこか試すような楽しげな瞳で彼女を見返し、「さて、どうする?」と問いかけた。


「……どうする、とは」


 ここへ呼ばれたのは、天空神アランテスラの裁きを受けるためだと思っていた。

 しかしどうやら彼にサーリを裁くつもりはないらしい。そしてこれ以上、何かを語るつもりもないようだ。


 サーリはじっと考えた。

 自らが行ってきたことを振り返り、焼けた大地を思い、傷つけた人々を想った。

 全て自分が行ったことだ。

 そして、アランテスラはその始末をサーリに任せると言っている。


 自らの行いの結果を、自分自身で考え、決める。

 それは彼女がこれまで経験したことのない重みを持っていた。

 しかし同時に、それが自らに課せられた責任であることもわかっていた。

 償う方法は恐らく無限にある。

 その中のどれが正解なのか。いや、そもそも正解などあるのか。

 罰を与えられるならば、最も重いものを望んだだろう。

 しかし自らを痛めつけたところで、傷ついたものが元通りになるわけではない。それはきっと自己満足だ。

 しかし、選んだ償いが軽すぎたら。それもまた耐え難かった。


「自由に選べるというのは……可能性が無限にあるということは、少しだけこわかろう? しかし、だからこそ、そなたは自分で選ばねばならん」


 サーリは頷いた。

 確かに、こわい。

 しかし、道を選べるということは、未来をつくれるということだ。

 それは、責務のためだけに生きる戦女神だったサーリの瞳に、とても眩しく映った。


「……私に、選ばせてくれてありがとう」


 ささやくような声だったが、アランテスラにはきちんと届いていた。彼はまた微笑んだ。

 自らの過ちを自ら償うこと。それが、天空神が戦女神に与える最後の命令だった。


 サーリはなおも考え続けた。

 自らのための罰にならないように。

 甘えが生じないように。

 そして、傷つけたものが救われるように。


(私は、少しでも皆の力になれる道を選びたい)


 サーリの想いは固まった。

 ずっと息を吸い、両足を踏みしめる。

 透明な風が一陣、まるで世界を洗うように吹き抜けた。


「……私は、善神となり、人の子のためにのみ、この神性を使っていくことを誓う」


 その厳かな誓いは、天空の世界に静かに響いた。

 白い雲がその声に応えるように淡く光る。

 しかしアランテスラは、しばしの沈黙ののち、険しい表情で問いかけた。


「……それは、そなたの考えている以上に険しい道だ。元々そなたは戦神。神性は善からはほど遠かった。それを無理矢理変えれば、そなたの体には莫大な負担がかかるだろう。わかっておるのか?」

「あぁ」

「人の子のためにのみ神性を使うということは、自らのために力を使うこと……自衛さえ、できなくなるのだぞ」

「わかっている」


 アランテスラはまたしばらくの間沈黙した。

 じっと考えているようだった。

 しかし、サーリの決意が固いことを見てとると、ふと表情を和らげた。


「……わかった。そこまでの想いなら、もう止めまい。ただし、条件がある」

「条件?」


 訝しげなサーリに、アランテスラは「これだけは譲れぬぞ」と頷いた。


「まず一つ目だ。わしの神性の半分を受け継いでもらう」


 天空神アランテスラの神性は、あまねく存在への愛でできている。

 それは、サーリの願いに馴染むものだった。

 アランテスラの神性があれば、サーリの身にかかる負担は実質無くなるといっても過言ではない。


「そして二つ目――リュク殿と幸せに暮らしなさい」


 サーリは、驚きに目を見張った。

 この老人が天空神たる所以――それは、あまねく存在を愛する者であるからだ。

 逆に言えば、全てのものに対して平等で、誰かに肩入れすることはないといわれている。

 そのアランテスラが自身の神性を分け与えてまで、サーリの力になろうと言う。

 幸せに暮らしなさいと言う。

 サーリにはその理由が全くわからなかった。


「……何故、そこまで」


 戸惑うばかりのサーリに、アランテスラは「何故だろうの」と笑った。


「そなたが娘だから。もちろん、それもあるだろう。しかし、それ以上にわしは信じていたいのかもしれん」

「何を?」


 そう問いかけるようにサーリはアランテスラを見つめた。

 その澄んだ瞳は、先ほどの海原の姫に重なり、アランテスラの微笑をより深いものにした。

 老人は湖を渡る風のような声で言った。


「努力は報われるものだと。そなたと再び逢うためにリュク殿が重ねてきた努力も、悲しみにくれながらなお人の子を見守り続けたそなたの年月も、全て――報われてほしいと思うのだ」


 風が、強く吹き始めた。

 足元の白い雲が徐々に舞い上がっていく。

 徐々に視界を埋め尽くしていく。

 呆然とするサーリに、アランテスラは手を伸ばし、彼女の頭をそっと撫でた。

 その手がぼんやりと空色の光を放つ。

 サーリは触れられた額に、陽だまりのような暖かさを感じた。


「さぁ、行きなさい。そなたらにはまだ地上でなすべきことがあるのだろう」


 そう言うと、アランテスラはサーリの肩を励ますようにそっと叩いた。


「大丈夫、そなたは一人ではないのだから」


 いつの間にか、サーリの後ろにはリュクが立っていた。

 驚いて振り向くサーリに、リュクは微笑みかける。


「行こう、サーリ。ずっと一緒に」


 今度こそ二人でたくさんの世界を見よう。

 美しいもの、愉快なものをたくさん見つけよう。

 おいしいものを食べ、安らかに眠り、何度でも朝日を迎えよう。

 悲しいこと、苦しいこともあるかもしれない。

 そんなときこそ、強く手を繋いでいよう。


 リュクはまるで誓いのように厳かに呟いた。


「君が力を人の子ために使うなら、僕の力は君のためにある。君のために、僕は強くなったんだ」


 サーリは不思議な気持ちでリュクを見つめた。厳しい訓練の末、神の力を手に入れたリュク。

 人から神への変化。それは本来ありえないことだ。

 しかし、リュクはそれをやってのけた。ただ一人、サーリのために。

 そして、それほどの変化を経てもなお、リュクの内面は少しも変わっていなかった。

 戦乙女を「女の子」と呼んで憚らない、あの頃のリュクのままだった。

 サーリは愛しげに、懐かしげに、そして少しだけ泣きそうに微笑んだ。


「……ありがとう」


 世界は朝を迎える。

 長い長い夜を超えて。

 一条の光とともに二人は地上へと降りていく。

 竜の背の上の人々は、その光を呆然と見つめ、指差し、こう呼んだ。


嵐の後の朝日(シャンデラ・レイ)のようだ」


 その光の一部は空に残り星となり、今でもその名で呼ばれている。

 夜に輝く星の名に「朝」という字が入っているのは、そういった理由からなのである。




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