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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第五章 南国 エメラルド
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第百二十八話 キャッチ・ユー


 雲を突き抜け、ホルガーの影を目指す。

 地上へ落ちて行く彼は、まるで流星のようだった。

 二人の距離はぐんぐん縮まっていく。

 ホルガーは目を閉じ重力に身を任せていたが、ふと何かを感じたのか瞳を開いた。

 そして、両目を見開いた。

 見間違いかと思った。

 しかし、どんなに遠くに離れていても、ルコットの姿を見間違えるはずもない。

 ルコットは一直線にホルガーの元を目指していた。


「いけない……! いけません! ルコットさん!!」


 届かないことは承知の上で、それでもホルガーは叫ばずにはいられなかった。

 自分の落下に巻き込まれれば、彼女はきっと無事では済まない。

 ホルガーは祈るような気持ちで、叫び続けた。


「戻ってください! あなたさえ無事なら、俺はどうなったって……!」


 そのとき、ホルガーの脳内に、愛しいルコットの声が流れ込んできた。

 なけなしの魔力を削り、語りかけたのだ。


――戻りません! 一人では、決して! 私は……!


 震える声で、それでも力強く、ルコットは訴えかける。


――私は! この国最強の軍人、ホルガー=ベルツの妻です! あなたを助けるためなら、どんなことだってできるのです!


 ぼんやりと互いの姿が見え始めた。

 驚きに息をのむホルガーに向かって、ルコットは叫んだ。


「どうか、私を、信じてください……!」


 気がつくとホルガーはまっすぐにルコットに向かって手を伸ばしていた。

 それを合図に、ホルガーの落下速度が削がれていく。

 なるべく彼の体に負担がかからないよう、ルコットは細心の注意を払った。

 しかし減速が急であることに変わりはない。

 空気抵抗との摩擦で、ホルガーの体の周りに赤い火花が散った。

 魔力がホルガーを包み守っていたが、それでも彼の体は燃えるように熱かった。それを見て取ると、ルコットは魔力の膜をさらに厚くした。もっと厚くしたかったが、もう、魔力はとっくに底をついていた。

 何故今魔法が使えているのか自分でもわからなかった。


 ぼんやりとした頭でふと見ると、花水晶の指輪が虹色の輝きを放っていた。

 ルコットは淡く微笑んだ。

 魔力の尽きた主人を何とか助けようと、奮闘してくれていたらしい。


(ありがとう)


 ルコットは胸の内でささやいた。


 二人の距離がみるみる縮まっていく。

 それは時間にして一瞬の出来事だったが、二人の目には互いの姿がスローモーションのように映った。

 そして、指と指が触れた瞬間――指輪の光が蝋燭の火のように消えた。

 とうとう、指輪の魔力が切れたのだ。


 途端に二人の体に重力が戻る。

 ホルガーは歯を食いしばり、腕を伸ばし、風に逆らって、ようやくルコットを捕まえた。

 魔力を使い果たし力の入らない彼女を、きつく胸に抱く。

 全てのものから彼女を守るように。

 そして、痛む体を無視して、何とか自分の背が下になるように体勢を変えた。


(こうなったら、何が何でも着地してみせる)


 風を切る音だけが耳に聞こえる中、ホルガーはそう決意し、ルコットをいっそう強く抱きしめた。

 しかし、彼のその決意は杞憂に終わった。

 下方から聞こえてきたのは、聞き覚えのあるエンジン音だった。


「旦那さま! もう少し左へ!」


 エンジン音に混じって聞こえてきた執事の声。


(無茶を言うな……!)


 内心そう叫びながらも何とか彼の指示通り体をずらす。

 それから、なるべく体を丸め、しっかりとルコットを守った。


 布が爆発音を立て、機体が大きく傾いた。



* * *



「ご無事ですか! 旦那さま!」


 初めて聞く切迫した声に呼び起こされ、薄れていた意識が徐々に戻ってくる。

 うっすらと目を開けると、ひどく焦った様子のエドワードが不安げにこちらを覗き込んでいた。

 あの飄々とした執事もこんな顔をするのかと驚きながら、必死で目をこじ開ける。

 それから、何とかこう言った。


「……無事だ」


 瞬間、執事の顔が歪む。

 涙をこらえているかのような表情だった。


「……あなたという人は。いつも人のことばかりで、ご自身のことは全く顧みられない。この数年間一体どれだけ心配したと思っているんですか」


 本当はエドワードもわかっていた。

 それがホルガーの長所であることを。

 自分とてそんなホルガーだからこそ、心底仕えたいと思ったのだ。初恋を穏やかに諦めることができたのだ。

 しかし、エドワードにとってホルガーは唯一無二の主人だった。

 ルコットの幸せを願うのと同じように、ホルガーにも幸せになってほしかった。

 

 エドワードの表情を見てとったホルガーは、困ったように微笑み、真剣な眼差しで言った。


「エドワード、ありがとう」


 この場で、言い訳でもなく謝罪でもなく、こんなにもまっすぐな感謝を伝えるとは。

 悔しいが、いかにも主人らしい言葉だと思った。


 意識が覚醒してきたホルガーは、ぎしぎしと痛む体に顔をしかめながら、ゆっくりと上体を起こす。

 それから、腕の中に眠るルコットをエドワードへ差し出した。

 

「……ルコットさんを診てくれ」

「かしこまりました」


 エドワードは呆れたように眉を下げたが、大人しくルコットを抱え、操縦席の後ろへ陣取った。テディが操縦中の侍女長から手当ての道具を受け取り、エドワードへ渡していく。

 一方、もう一機のシュードを操縦していたリリアンヌは振り返ると、「さすがね!」とウインクをよこした。

 隣立つターシャも微笑とともに会釈する。

 いかにもほっとした様子の二人を見て、ホルガーはようやく肩の力が抜けるのを感じた。




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