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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第五章 南国 エメラルド
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第百二十六話 意地と根性


 それまで温かくサーリとリュクの再会を見守っていたホルガーだったが、慌ててルコットの手を取った。


「殿下! お手を! 崩れるようです!」


 ホルガーの呼びかけと同時に、洞穴の壁の亀裂はどんどん大きく広がっていき、差し込む光が強くなっていく。

 まるで数百年ぶりに光を目をするようで、眩しくて周りがよく見えない。

 しかし、激しく揺れる足元が、徐々に安定しなくなっていく。


 ホルガーの腕の中で、ルコットは必死で体内の魔力をかき集めた。

 しかし、もはやどこにも、二人を浮かせるだけの魔力は残っていなかった。

 否、もはや人ひとり浮かせることさえできない。

 ルコットは悔しさに唇を噛みしめ、ホルガーを見上げた。


「……ホルガーさま」


 このまま一緒に落ちるしかない。

 そう伝えなければならないのに、申し訳なさと悔しさで、うまく言葉にならなかった。

 しかしホルガーは、ただ穏やかな微笑みを返した。


「ルコットさん、大丈夫です」


 彼にだって、この状況はわかっているはずだった。

 ルコットが何を言おうとしているかも。

 それなのに、ホルガーは少しも慌てた様子を見せず、ルコットだけを見つめてこう言った。


「俺が必ずお守りしますから」


 ルコットは何と言えば良いかわからなかった。

 地上からこんなに離れた空の上で、一体、彼に何ができよう。

 魔術師でもない彼が、空を飛べるはずもないのに。


「ホルガーさま……」


 不安げなルコットに、ホルガーはもう一度「大丈夫です」と頷いた。

 策があるのか、無策なのか。

 それさえわからない。

 しかし少なくとも、彼は諦めていなかった。

 二人揃って、あの家に帰ることを。


 ルコットは心底驚いた。

 この状況でさえ、彼は自分を手放さない。

 そして、ともに生きようとする。

 その諦めの悪さ、未来を信じる姿に、弱気になっていたルコットの心が奮い立った。


 そうだ、彼ならきっと大丈夫。

 何といっても、この国最強の人なのだから。


「……ホルガーさま」


 ルコットの呼びかけに、ホルガーは視線を下げた。


「はい、ルコットさん」

「……信じていますわ」


 それは全幅の信頼だった。

 落ち着いた表情でホルガーを見上げ、ルコットは言う。


「あとほんの少し、一欠片だけ、魔力が残っています。……これを使うタイミングが来たら、教えてください」


 その言葉を聞き終えると、ホルガーはにかりと、まるで太陽のように笑って、頷いた。


「それでこそ、ルコットさんです」


 ホルガーの腕の力が強まる。


「しっかりと掴まっていてください」


 そう言われ、ルコットはぎゅっとホルガーの軍服を握りしめた。

 しっかりと目を開き、崩れていく暗闇の世界を見つめる。

 いつでも彼の力になれるように。


「いきます」

「はい」


 ルコットが頷くのと同時に、ホルガーは勢いよく駆け出した。

 今やまともな足場は残っていなかった。

 暗闇の世界は崩れ去り、二人の眼前には広い空が広がっている。周囲には、岩の塊のような暗闇の破片が崩れながら浮かんでいた。


 徐々に崩れ落ちていく岩の塊の上を、ホルガーは走る。

 塊から塊へ、体全体のバネを使って飛び移っていく。

 全方位から襲い来る風は嵐のようで、体に伝わる振動は感じたことがないほどに激しい。

 それでもルコットは、全く恐ろしくはなかった。

 それどころか、今、彼女は世界の美しさに見入っていた。


 黒く厚い雲が破れ、地上に再び陽が差し始めている。

 それは、まるで夜明けのようだった。

 透明な薄紫の空が徐々に明るくなっていき、陽を反射した小さな欠片が空気中できらきらと輝く。

 目の眩むような鮮やかな情景は、ルコットの瞳に焼き付いて離れなかった。


 徐々に高度が下がっていく。

 足場にできる塊も、高度が下がっていくほどに脆く小さくなっていく。

 一つへ飛び移れば、また一瞬を数えないうちに次の欠片へと飛び移る。

 ホルガーは延々走り続けた。

 息が上がり、胸が苦しく、滝のような汗が流れる。

 しかしホルガーの胸にもなお、不安や恐れはなかった。

 冴え渡る目で全方位から次の足場を探し、一瞬の判断でそこへ飛ぶ。

 かつてない集中力と判断力だった。

 もはやそれは人間のなせる技ではなかった。

 意地と根性。

 ただそれだけで、ホルガーは走り続けていた。


 できることなら、二人で一緒に地上へ。

 しかし、もし、万が一、それが叶わなかったとしたら。

 そのときはせめて――彼女だけでも、安全な場所へ届ける。

 その想いが、ホルガーを突き動かし、限界を超えた動きを可能にさせていた。


 さらに高度が下がる。

 体がみしみしと軋み始めた。目がかすみ、膝にうまく力が入らない。


(……潮時か)


 ホルガーは静かに覚った。

 悔しいが、こうなってしまってはもう、自分は彼女のお荷物にしかならない。

 今、自分に取れる最善の策――それは、彼女だけでも生かすことだ。


 ホルガーはちらと腕の中のルコットを見た。

 残った魔力で、彼女は地上までたどり着けるだろうか。

 いや、きっと大丈夫だ。彼女なら。


(ここぞというときの運の良さはピカイチで、何といっても肝の座った方だから)


 ホルガーは小さく微笑んだ。

 あとは、なるべく彼女を地上近くまで送らなければならない。

 ホルガーは腕に力を込めた。


「……ルコットさん」


 風圧と風音に邪魔をされ届かないかと思ったが、ルコットは聞き取れたようだった。

 「何ですか?」と首を傾げている。

 きらきらと輝く朝焼けの世界の中で、風にはためく彼女の姿はいっそう美しく見えた。

 ホルガーは、申し訳なさそうに微笑むと、胸の内で彼女の無事を心から祈った。

 不思議そうなルコットを強く抱きしめ、耳元に最後の言葉を残す。


「お元気で」


 そして、全力で、ルコットを地上へ投げた。







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