第百十四話 二人の戦術
「ホルガーさま、私、先ほどのお話に少し違和感があるのですが」
白く光る槍の先を見つめながら、ルコットが言う。
すると、隣立つホルガーも、「俺もです」と頷いた。
「人間は息絶えるとき、光に変わって天に昇ったりはしません」
ルコットも頷く。
そう、つまり。
「リュクさんはそのとき、亡くなっていないのかもしれません」
証拠はない。
どうしてそんなことが起こったのかもわからない。
しかし、ルコットは確信していた。
恐らく、彼は生きている。
「えぇ、考えにくいことではありますが」
ホルガーも真剣な眼差しで同意する。
「俺も、そんな気がします」
その間にも、サーリの持つ大槍に光が集まる。
激しい風が舞い上がり、二人を取り囲む。
ホルガーはその様子をじっと見つめ、眉を寄せた。
「ですが、聞いてはいただけなさそうですね」
ルコットも荒れ狂うサーリの姿を見た。
「……そうですね、残念ながら、そのようですわ」
もはや、彼女に言葉を届けるのは不可能だった。
吹き荒ぶ風音に邪魔され、声も聞こえないだろう。
そもそも、彼女は既に世界を滅ぼす決意をしてしまった。それも、明確な理由をもって。
それほど煮立った状態では、「彼はまだ生きている!」と叫んだところで、一笑に付されてしまうだけだろう。
現に彼女の緋い目には、今や「破壊」の二文字しか映っていなかった。
「いかがいたしましょうか、殿下」
ルコットは悩んだ。
言葉を届けたい。しかし、今何もしなければ、たちまち彼女は地上を焼き尽くしてしまうだろう。
本当に、世界が滅びてしまう。
それだけは、いけない。
何もなくなった世界で、今度こそ彼女は独りになってしまう。
「……サーリさまを、止めましょう」
この世界を、そして、彼女と青年の結末を、守るために。
強い眼差しでホルガーを見上げ、問いかける。
「私たちなら、できますわ。ね、ホルガーさま」
「止める」ということはつまり――相手を傷つけず、無力化するということ。
建国の戦神を相手に、手加減をするということだ。
ホルガーは不敵に、晴れやかに笑った。
「えぇ、もちろんです」
大剣を握り、正面に構える。
「何だって、できます」
彼女が、この剣を信じてくれる限り、決して負けることはない。
「世界を滅ぼす前に、俺たちの相手をしてもらいましょう」
* * *
サーリの大槍の先にみるみる光が集まる。
ルコットは身構えた。
「来ますわ!」
ホルガーは頷くと、片腕でルコットを持ち上げ、飛び下がる。
同時に、先ほどまで二人のいた空間を、鋭い光の一撃が貫いた。
遥か下方の地上から、爆発音が響いてくる。
一体どれほどの威力だったのか。
「……危なかったですね」
地上で立ち上る砂埃を見やり、ホルガーは「……さすがに肝が冷えます」と呟くが、ルコットは落ち着いたものだった。
「さすがホルガーさまですわ」
腕の中でおっとりと言う彼女は、下方を見て、「皆さまの避難後でよかったです」と他人の心配をしている。
「……しばらくお会いしないうちに、より肝が座られましたね」
ルコットは、にこりと笑い返した。
「リリアンヌさまとヘレンさんも『女は度胸』と仰りますわ」
「……それは、そうでしょうが」
ホルガーはルコットの交友関係が少々心配になった。
無論、悪い娘たちでないことはわかっているが、多少アグレッシブなところがあるようだ。
「……あまり俺の目の届かないところで無茶はしないでくださいね」
やんわりと頼むと、ルコットは「心得ました」と頷いた。
本当にわかっているのかは疑問だが、今ここで追及しても仕方がない。
「……さて、それじゃあ、反撃といきますか」
仕切り直すと、ルコットも「はい」と危うげのない声で返す。
瞬間、サーリが、二撃目の光線を放った。
「受け止めますわ!」
ホルガーが問い返す間もなく、ルコットは両手を左右に開くように広げる。
すると、二人の前に巨大な虹色の膜が現れた。
鋭い光線が、その膜に跳ね返され、空の彼方に飛んでいく。
「……すごい」
思わず呟きがもれる。
あの一撃を跳ね返すとは。
どんな魔術師でもできることではない。
それを感じたのはホルガーだけではなかった。
それまで二人を歯牙にもかけていなかったサーリの目に、明確な敵意が宿る。
ようやく二人を「危険」だと認識したようだった。
ホルガーの背に冷たいものが走った。
「殿下、掴まってください」
体の感覚に従って、その場を飛び退く。
それは時間にしてほんの一瞬のことだったが、ルコットの目にははっきりと映った。
彼女の槍が、先ほどまで自分たちのいたところを貫くところが。
遅れて、風圧がぶわりと広がる。
台風のような風が全身を包んだ。
ホルガーは腕でルコットを庇いながら、態勢を立て直す。
それから、全身のバネを使ってサーリの方へ跳んだ。
すると、まるで足裏から熱風が吹き出しているかのような勢いがついた。
否、まるで、ではない。
本当に体が風に押されているのだ。
あまりの勢いに、ホルガーは驚きまろびそうになったが、すぐさま「何の」とバランスを取り直した。
波に乗る要領だと飲み込み、さらに勢いを増す。
そのまま目にも留まらぬ速さで、大剣を振り切った。
その剣は当てるつもりのない剣だった。
ただ空を切る、牽制の一刃。
しかしその一太刀から放たれる風圧は、サーリの動きを封じるほどだった。
「殿下の魔法ですか」
着地し、目を見開いて問いかけると、ルコットは小さく頷く。
「はい。ですがこれは、ホルガーさまの身体能力あってのものです」
ホルガーの動きに合わせて魔法を操る。
それは想像するほど容易なことではない。
細心の注意を払い、針の穴に糸を通すような、緻密な魔術だ。
彼の細かな筋肉の動き、息遣い、視線の動きを察知し、次の一手を先読みする。
そして、その身体能力を推し量り、ちょうど良い力を添える。
歴戦の魔術師であっても、実戦で行うにはあまりに難易度の高い技だった。
それを可能にしたのは、ルコットの豊かな感受性と、ホルガーへの想い。
「ホルガーさま、次が来ますわ」
真剣な眼差しで正面を見据えるルコットに、ホルガーは一瞬瞳を閉じて、誇らしげな笑みを浮かべた。




