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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第五章 南国 エメラルド
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第百十話 二人の生活


 女神と人間の婚姻は、あまり例がない。

 そもそも寿命が違う上に、価値観さえ別物なのだから、当然と言えば当然だった。

 しかしその点、二人の生活は驚くほどに円満だった。


 サーリは手始めに、女衆に料理の教えを請うた。

 彼女たちは喜んで、一般的なものからそれぞれの郷土料理まで、あらゆるメニューを教えてくれた。


 移民である彼女たちの料理には、物語があった。


――これは、私の故郷では感謝祭に食べる料理なの。


――このレシピは祖母に習ったものでね。


 キッチンに並んで料理をしながら、そんな物語を気さくに話してくれた。

 その様子はまるで、手習いをする母娘のようだった。

 実際、自分たちの何十倍も長く生きているサーリを、彼らは実の娘のように可愛がった。


「先生、喜んでくれるといいねぇ」

「……あぁ、ありがとう」


 幼子のように頷くと、彼らは目を細めてサーリの頭を撫でる。

 そんな彼女たちの手が傷だらけなことに、足を引きずっていることに、サーリは気づいていた。

 

(彼らは、戦で国を追われて来た……こんなに優しい人々が)


 戦神として戦いを司ってきたサーリの胸に、初めて疑問が生まれた。


(私なら、彼らを助けることができたかもしれない。否、誰も傷つけることなく、戦いを終結できたかもしれない)


 これまで当然の役割として、何の疑問もなく剣を振るい続けてきた、自分の在り方を考えた。


戦神わたしの役割は、戦うことではなく、人々を戦いから守ることだったのかもしれない)


 そんな話をすると、リュクは「優しい君らしいね」と嬉しそうに笑った。



* * *



 サーリは魔術医の助手としても優秀だった。

 器具の使い方や応急手当ての仕方に始まり、必要なことは何でも知りたがった。

 訪問診療に付き添ううちに、村の人々とも顔なじみになっていった。

 彼らは、サーリの前では借りてきた猫のようだった。


「今まで散々横柄な態度をとっていたくせに」


 サーリが口を尖らせると、リュクは「そんなことを言ってはいけないよ」と苦笑した。


「僕が好きでやってることなんだから」


 サーリはふん、と不満げに顎をそらした。

 もちろん、不遜な態度をとる人ばかりではない。

 中には、感謝の気持ちを伝える者もいた。

 治療費代わりに畑仕事を申し出る若者や、毎日昼食に誘ってくれる老婦人もいる。

 リュクはそれらの見返りを進んで受け取ろうとはしなかったが、そういった人々と話すのは楽しかった。

 そうして月日が流れるうちに、親しい隣人は次第に増えていった。

 今では二人が歩いていると、村のあちこちで呼び止められる。


「お二人さん、今日も精が出るねぇ」

「後でうちに寄っとくれ。おすそ分けがあるんだ」


 はじめは無表情のサーリを怖がっていた人々も、今では「熱心で生真面目な娘」という印象を抱いているようだった。

 初々しい姿に頬を緩めている者も少なくない。


 診察を終えたある老婦人が、暖炉の傍で遊びまわる孫を見つめながら、茶目っ気たっぷりにささやいた。


「サーリさん、子どもっていいものよ」


 器具を消毒していたサーリが振り返る。


「子ども?」


 リュクが席を外しているのを幸いに、老婦人はいきいきと頷く。


「そうそう、リュクさんとの子ども。ほしくない?」

「……考えたこともなかった」


 老婦人は、「あらあらまぁまぁ」と微笑んだ。


「かわいいわよ。私も自分の子どもたちのことは、昨日のことのように覚えてるもの」


 サーリは暖炉の傍に目を向けた。

 きゃっきゃとはしゃいでいる子どもたちの様子をじっと見つめる。

 それから、そっと目を伏せた。


 過去に、人間と神の子が生まれた例は皆無ではない。

 多くの場合、彼らは長い寿命と特別な能力を備えて生まれてきた。

 神でもない、人でもない。

 どちらにもなりきれない存在。

 これまで何度か、そういった者と出会うこともあった。


(……彼らは、幸せだったのだろうか)


 難しい顔で黙り込んだサーリに、老婦人は朗らかに笑いかけた。


「まぁあまり悩みすぎないことよ。リュクさんに話してみたら?」

「……あぁ、そうだな。そうする」


 彼女の提案を突っぱねなかった自分に、内心驚く。

 考えたこともなかった望みなのに。

 障害だらけの望みのはずなのに。


(……私は、そんな未来を、望んでいるのか)


 彼と、我が子の成長を見守る、そんな未来を。

 戸惑いながらも、そんな自分も悪くはないと思ってしまうのだった。



* * *



 その日の夕刻、リュクにその話をすると、彼は思いのほか真剣な表情になった。


「僕は、君がそれを望んでくれたことが嬉しい」


 思ってもみなかった言葉に、サーリは両目をかすかに見開く。


「僕はずっと、どこかで不安だったんだ。君に……人間の価値観を押し付けているんじゃないかと」


 女神であるサーリには、女神としての幸せがあったのではないか。

 無理に人の営みに付き合わせているのではないか。

 そんな不安がずっと、消えなかった。


「でも、そうじゃなかったんだね。僕が君の好きな食べ物を知りたいと思うように、君も、僕のことを知ろうとしてくれている。ただ、それだけのことだったんだ」


 サーリは呆れたように、そしてどこか穏やかに微笑んだ。


「私がこんなことを言うのはおかしいかもしれないが」


 そう前置きして、リュクの瞳をまっすぐ見つめる。


「価値観なんてものは、人間同士でさえ、まちまちだろう。私は、ここにいたいからいるんだ。共にいたいと思ったから、結婚したんだ」


 こんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。

 リュクは惚けるようにサーリを見つめた。


「私たちは夫婦だ。この先も、ずっと。そうだろう?」


 問われたリュクは慌てて頷く。


「もちろん」


 それから、心底幸せな笑顔を見せた。


「好きだよ、サーリ。ずっと、いつまでも」


 サーリは少しだけ寂しげな笑顔を見せた。


 「好き」という感情が、同じように返せない申し訳なさと、「いつまでも」という言葉が思い出させる事実。

 人である彼は、永遠を生きられない。

 どうあがいても、別れの時はやってくるのだ。


(でも……それでも、いい)


 彼の、幸せな生涯を見届けることができるのなら、それでも構わなかった。

 彼と共に生きる今さえあれば、永遠など、何の魅力も感じない。

 ただ、彼の生涯に連れ添うことができるのなら。


 それから少しずつ、サーリの笑顔は増えていった。

 話す言葉が増え、見せる表情が増え、好きなものが増えた。


 そして十年目の春。

 彼らは、一人の男の子を授かった。





 

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