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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第五章 南国 エメラルド
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第百七話 変わり者のリュク


 遥か、遥か昔。

 まだ全ての人間が当たり前のように魔力を持ち、神々と共存していた、そんな時代。

 サーリは、一人の青年と出会った。


 手ひどい怪我を負い、行き倒れていた彼女に、その男はこう言ったのだ。


「驚いた。もしかして、きみは天使かい?」


 戦を司る女神を捕まえて、天使だと。

 何と能天気な男かと、サーリはしばし体の痛みさえ忘れてしまった。


「……汝の名は」

「僕かい? リュクだよ」


 サーリは気づかなかった。

 自身の氷花のような口元が微かにほころんでいたことに。

 思えばその瞬間から、彼女の長い旅は始まったのだ。



* * *



――戦を司る女神として、人里を荒らす悪神どもを討伐して参れ。


「私はそう命じられているのだ」

「誰に?」

「我が父、天空の神に」


 リュクは手当てをしながら、何とも言えない顔をした。


「つまり君は、戦の女神なのかい?」

「そうだと言っている」

「とてもそうは見えないけどなぁ」


 青年はのんびりとそう言うと、包帯を巻き終え「これで良し」と呟いた。


「一月もすれば傷も塞がるはずだよ」

「そんなにかからない」


 サーリは真からそう言ったのだが、リュクはそれを冗談か、もしくは強がりだと思ったらしい。


「まぁそう言わずに。治るまでいてくれたらいいよ。うちは診療所だからね」


 リュクは「何か飲み物を持ってくるよ」と部屋を後にした。

 無人になった室内を見回し、サーリは呟く。


「……奴は魔術医なのか」


 魔力の質と賢が問われる稀有な生業だ。

 勉学と努力は必要だが、民の間で最も稼ぎの良い職業だと言われている。


「しかし、とてもそうは見えなかった」


 擦り切れた麻の服に、痩せた体。

 この家も、小綺麗にはしてあるが、あちこちガタがきている。

 薄い窓の外には、小さな畑が見えた。

 こんな暮らしをしている魔術医など聞いたことがない。


「……大方、人が好すぎるのだろう」


 サーリは生まれて初めて、ため息をついた。



* * *



 ベッドの上で、安静で退屈な数日が過ぎていった。

 そのうちにわかったことが二つある。

 一つ目は、村の子どもたちが彼を「変わり者のリュク」と呼んでいること。

 そしてもう一つは、彼が移民を無料で匿い、治療しているということだ。


「先生、助けてもらっておいてこんなことを言うのはなんだが、もう俺たちを匿うのはやめたほうがいい」


 ある晩そっと部屋を抜け出し、何気なく彼の姿を探していたとき、ふいに南部訛りの声が聞こえてきた。

 換気のために開けられた扉に近づき、そっと中の様子を伺う。

 そこでは、浅黒く背の高い男が治療を受けていた。


「こうして敵国の人間を助けてりゃ、あんたの立場は悪くなる一方だ。そうだろう?」


 男の腕に薬草を塗りながら、リュクは「そうですねぇ」と気の抜けた返事を返す。


「でも、彼らも病気や怪我のときには、僕のところに来てくれるんですよ」

「そりゃあんたが治療代を取らないからだろう!」


 リュクは「痛いところを突かれちゃったな」と笑った。


「……笑い事じゃないだろ」


 呆れ顔で呟く男に、リュクは小さく微笑む。

 それから、やはり穏やかな表情で、「いいんですよ」と言った。


「僕は僕のやりたいようにやってるだけですから。諦めて治療を受けてくださいね」


 しばらくすると、低い男の嗚咽が聞こえてきた。

 サーリはそっとその場を後にした。


 ベッドに戻り、毛布にくるまりながら、先ほどのやり取りを思い出す。


「……愚かな男だ」


 サーリには理解できなかった。

 一銭の得にもならないどころか、かえって損をしているというのに。

 何故あの男は、それでも人助けをやめないのだろう。


 翌日から、サーリはリュクの後をしつこく付いて回るようになった。



* * *



 リュクと暮らし始めて、サーリは初めて、戦場の外の世界を知った。


「リュク、これは何だ?」


 日に何度も、サーリはそう問いかける。

 その度に、リュクは顔の洗い方から食事の仕方まで、あらゆることを教えた。


「それはホットミルクだよ。最近眠れてないみたいだったから。これを飲んだらきっとよく眠れるよ」

「私は睡眠を必要としない。食事も不要だ。私の分は用意しなくていい。代わりにリュクが食べろ」


 事実としてそう述べると、リュクは眉を寄せて微笑んだ。


「ありがとう。君は優しいね」


 サーリは紅い瞳を見開いた。

 

「でも、心配しなくて大丈夫だよ。君は怪我人なんだから、たくさん食べて元気にならなくちゃ」


 衝撃に固まる彼女は「心配……」と彼の言葉を繰り返す。

 心配している? 彼を?


(私が、優しい?)


 そんなはずはない。戦乙女にそのような神性は、備えられていない。ありえないことだ。

 サーリの眉間にシワが寄る。


(それなのに……何故、『そう思われたい』と願ってしまうのだろう)


 手の中のホットミルクを一口飲む。

 湯気越しに見える青年は、目が合うと、気の抜けた笑顔を見せた。





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