第百三話 砂漠の鳥
鳥たちの影が大きくなる。
否、渡り鳥のように美しい隊列だが、鳥にしては速度が速い。
「あれは、鳥じゃない!?」
兵士が叫ぶのと、彼らが竜の背まで高度を落としたのはほとんど同時だった。
けたたましいエンジン音と風圧。
背の上の人々は目を丸くして彼らを見つめた。
果たして、それは機械であった。
鳥のような両翼、人一人がやっと立てるほどの運転席、屋根のないむき出しのそれは、フレイローズでもエメラルドでも見たことがない。
「何だあいつらは……」
戸惑う人々。
敵なのか味方なのか。
皆が固唾を飲んで見守る中、スキンヘッドの男が「何とか間に合ったか」とゴーグルを外した。
スノウとハル、レオ王にダンラス王、さらにカタル国皇帝皇后、シルヴァ国国王夫婦が同時に息を飲む。
しかし彼らが言葉を発する前に、ターシャが人垣をかき分けて飛び出してきた。
「お父さま!?」
「え!?」
ターシャを見つけた強面の男が、「おうターシャ」と破顔する。
「悪いな、ちょいと遅くなったが助けに来たぞ。……こりゃたまげた。綺麗なおべべ着てまぁ! お前たち、こっち来て見てみろ! しばらく見ない間にべっぴんさんになったなぁ!」
男の言葉は、しかし涙目のターシャの耳には入っていないようだった。
「遅いわ……! もう来てくださらないかと……」
男は訳がわからないといった困惑顔だ。
「なぁに言ってんだ。娘の危機に駆けつけねぇ父親なんざいるもんか」
「……でも、私はいらない王女でしょ?」
「何だって!?」
驚き惑う男に、背後にいた女性が「だから申し上げたでしょう」とため息をつく。
「そもそもあなたさまには細やかさが足りないのです。国に戻られたら、きちんと誤解を解かれることですね」
辛辣な侍女長の言葉に、男は「……あぁ、そうする」と肩を落とした。
何にせよ、今この場で誤解を解くだけの時間はない。
しかし男は、我慢できないと言わんばかりに肩を震わせ、とうとう勢いよく顔を上げた。
「ターシャ! これだけは今言わせてくれ!」
射すくめられたターシャは、何を言われるのかと息をのむ。
「――愛してるぞ! ちゃんと、愛してるからな!」
何と飾り気のない言い様だろう。
しかし男のまっすぐな眼差しは、どんな言葉よりも優しくターシャの寂しさを解かした。
「……はい」
言いたいことはたくさんあった。
聞いてほしいことも、文句を言いたいことも。
その全てを「私は王女なのだから」と押し込めてきた。「父は王なのだから」と遠慮し続けてきた。
本当は、父と楽しげに話す城下の子たちが羨ましかったのに。皆に慕われる父を、誇りに思っていたのに。
「……私も、愛していますわ、お父さま」
男は、浮かんできた涙をぐっと拭うと、「いけねぇ、時間がないんだった」と、ルコットとホルガーに向き直った。
「お二人さん、あそこまで行こうってんだろ? 乗りな。あの高さまではちぃと無理だが、途中までなら連れてってやる。一人乗りでちと狭いがな」
二人は頷きあうと、「感謝いたします」と男の機体に乗り込んだ。
「さすがに三人は狭いな。嬢ちゃん、そこの荷物を降ろしな。そうすりゃちったぁ広くなるだろ」
「こちらですか?」
ルコットが後部の荷物を降ろすと、男はエンジンを勢いよく吹かした。
「よし、んじゃ行くか!」
「待って!」
駆け寄ってきたのは、ターシャとリリアンヌだった。
「何だ、ハップルニヒの嬢ちゃんじゃねぇか」
「お願い、私たちも連れて行って」
真剣な面持ちのリリアンヌに、男は「はぁ!?」と目を剥く。
「だめだだめだ。んな危険なところに……」
「良いでしょう」
砂漠王の言葉を遮り答えたのは、同じくエンジンを吹かせていた侍女長。
ポニーテールとお仕着せが風に揺れている。
「おい……!」
「ありがとう、侍女長!」
王が口を挟む前に、二人は彼女の後ろに乗り込んだ。
「……お前、何かあったらどうすんだ」
若干青ざめた顔で口を尖らせる王に、侍女長は優美に笑う。
「お任せを。お二人を落とさなければ宜しいのでしょう? お二人がいてくだされば私も心強いですわ」
王は深いため息をついた。
侍女長の腕は確かだ。そしてターシャも運転は得意だったはず。
「……ったく、無茶はすんなよ」
「言われずとも」
侍女長は晴れやかに笑った。
「さて、そんじゃまぁ」
男はゴーグルを装着するとギアに手をかけた。
「セントライン空軍部隊のお披露目といくか」
* * *
個人用小型飛行機体、通称砂漠の鳥。
それはセントラインでは最もメジャーな乗り物だった。
「何せ国土のほとんどが砂漠だからな。馬車じゃ車輪が埋まっちまって走れねぇ。馬も砂に足を取られちまうしな」
そんな事情で、移動には長らくラクダが使われてきた。
しかしラクダでの移動は時間がかかる上に、体力の消耗も激しい。
「そこで、考えたわけだ。地上を走れねぇなら、空を飛べばいい」
こうして国王主体で開発された小型の鳥は、今や広く国民の間に行き渡っているらしい。
「……すごいですわ」
ルコットが正直な感想を呟くと、王は得意げに笑った。
「まぁ、ジリ貧国の意地ってやつだ。まさかこんな形で役に立つとは思わなかったがな」
暗い空を風を切って進む。
まるで本当に、鳥になったようだ。
「気持ちいいですわね」
思わずルコットがそう呟くと、男は「のんきな嬢ちゃんだ」とくつくつ笑った。
「ありがとよ。こんな状況でさえなければ自慢の宙返りでも披露するんだが」
ルコットを支えていたホルガーが目を輝かせる。
「ぜひご披露いただきたい!」
「あ、見てください、ホルガーさま! 水路が海まで続いています!」
体を乗り出すルコットを、ホルガーが慌てて引き戻す。
「殿下、危ないですよ。もう少しこちらへ」
「……あんたたち、ほんとのんきだなぁ」
王が笑いながら、控えめな宙返りを披露しつつ、上を目指していると、「ちょっと!」と声が飛んできた。
「何遊んでるのお父さま!」
「二人とも変わってないわね。少しは緊張感を身に付けなさいよ」
リリアンヌとターシャに叱られ、三人は素直に謝る。
「申し訳ありません……」
目的の女神は、今やはっきりと視認できる距離にいた。
水路の向こうの海を見つめる彼女の眼差しは、何故だか少し物悲しく見える気がした。




