閑話 マドリッドさんの朝
ちょっとした番外編。ほのぼのとした6話と7話の間のお話。
「ん……もう朝ですか……」
朝日が窓から差し込み、意識が覚醒する。
寝る際にいつも抱いているクマのぬいぐるみをテーブルの上に置き、私ことマリー・ミッシー・マドリッドはベッドから起き上がる。
「おはようございます。お嬢様」
普段は人に見せない微笑を浮かべ、さっき置いたメアリ似のクマのぬいぐるみに挨拶をする。
おかしい習慣ではあると自分でもわかっているのだが……やらないと落ち着かないのだ。
……よし、これで今日も頑張れる。
「昨日はいつもよりも疲れたな……」
昨日この屋敷に新人の使用人が入ることになり、私はその監督役を任されたのだ。
冗談ではない。お嬢様のお世話ならともかく……新人の指導などという非常にしんどいことをやらなければならないのか……
とりあえずもうすぐ仕事の時間なので、私は着ていたパジャマを脱ぎいつものメイド服に袖を通す。
「行ってきます」
扉から出るときは部屋中にあるお手製のぬいぐるみにそう言う。
--これが私の朝だ。
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「朝の仕事はこんなものですかね……」
持っていた雑巾を手に持ち、自らの手でピカピカになった窓を見る。
窓に鏡のように自分の指が映る。よし、これでいい。
「やはり朝に掃除をキッチリやると落ち着きますね……」
「マドリッドさん、朝食ができたのでメアリ様を呼びに行ってくれますか?」
急に声を後ろからかけられたことに驚き、肩がビクッと震える。つい癖でナイフを袖から取り出しそうになってしまう。
磨いた鏡に見惚れている間にクロード様が後ろにいたようだ。
……朝から心臓に悪いからやめてほしい。
「わかりました。あとクロード様、背後に急に来られるとびっくりするのでやめてください」
「失礼しました。所で……ヨーイチ君の姿が見えないようですが……」
一番朝から聞きたくない名前が出てきた。
自分でもわかるくらいに顔をしかめる。
「チッ……! 話題に出されるだけで不快です。やめてください、ハ……クロード様」
しまった。失言だった。いくら十年間の付き合いとはいえ上司にハゲはマズイ。
これもあのお調子者がこの屋敷に来たせいだ。
クロード様の口元が引きつっている。
……申し訳ありません。
「……今、ハゲっていいかけましたか? それにそんなに彼を邪険にしなくても……」
「お嬢様を起こしに行ってきます」
クロード様の制止を無視してお嬢様の部屋に向かう。
これ以上入ったばかりの新人--陽一の話をするのはごめんだった。殺しそこない、役立たず、お調子者といくらでも悪口が出てくる。
本当に不快な邪魔者だ。……ホント、アイツさえいなければ最高の職場なのに。
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ノックをしたが返事がない……まだ寝ているのだろうか。
朝食の時間にはいつも起きているはずなのに……
「失礼します」
大きな音を立てないように静かに扉を開ける。
「……おはようございます。お嬢様、朝食ですよ?」
お嬢様をびっくりさせないように声を抑えつつ十分なボリュームの声を出す。
「ス~ッ……スーッ……」
……そんな配慮も寝息で返されてしまったのだが。
私の言葉が聞こえないぐらいに熟睡している……こうなるとなかなか起きてくれない。
目の前のベッドに寝ている赤いミディアムヘアの少女、メアリ。私がお嬢様と呼ぶ主人である。
ベッドのレースのカーテンから、彼女の陶器のように白い肌が見え隠れする。
眠っている姿も可愛らしい……まるで職人の作った芸術品だ。
「……八ッ! 見惚れてる場合じゃない。早く起こさなくては朝ごはんが冷めてしまう……」
布団を引きはがすために私は手を伸ばす。
「んぐぐッッ!!……」
力みすぎて淑女にあるまじき声が出てしまった。お嬢様、いい加減に起きてください……!!
「んん……!!」
しかしお嬢様は布団をがっしり掴んで放そうとしない。
くッ……! すごい力だ……!!
これ以上やっても意味がなさそうなので布団を引きはがすのを諦める。
「はぁはぁ……ダメだ……!! 全然引きはがせる気がしない……!!」
「ぐぐ……すぅー……」
寝息はすっごく可愛いのだが……!! 今回に限っては少し憎たらしい。
大声や大きな音を出して起こすのは乱暴すぎる。
お嬢様のメイドとしてもっと気持ちのいい起こし方をしなくては……!!
あれ……? 布団を引きはがすのもちょっと乱暴だったか……?
……まぁいいです。プランBいきます。
一旦マドリッドは部屋を出口に向かう。
……音を立てないよう細心の注意を払いながら。
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「ほーら、お嬢様~美味しい目玉焼きですよ~? ベーコンのいい香りがしますよ~?」
私の分の朝食を食堂から持ってきた。まだ作り立てであたたかい。ベーコンと卵の香ばしい香りが辺りに香る。
これぞ『朝食へ来ないならこっちから持ってくればいいじゃない作戦!』
……後で消臭が大変だから使いたくなかったけど……!!
さぁ、お腹をすかせて起きてください!
「ベーコンエッグがおいでおいでしてますよ~」
「ぐぐ……ベーコンエッグ…………!!」
よし、もう少しだ!
匂いをよく嗅がせるためにベッドにより近づく。
「お嬢……キャッ!」
「もっと頂戴……むにゃ……」
お嬢様が突然寝返りを打ち、勢いよく私の腰に手を回す。
気がついたら私もベッドに寝かされていた。それも彼女の抱き枕として。
お、おおおお嬢様!? いくら何でもそれは……!! いけません!
誰か見ている人がいたら絶対に勘違いされてしまいます……!!
ワタワタといつもでは見せないぐらい困惑している。顔が熱い。恥ずかしくて火が出そうだ。
私の目と鼻の先にお嬢様のお顔が……! 寝顔かわいいすぎる……!! あぁ幸せ……ってイヤイヤそうじゃない。マズイでしょう! いろいろ。
「あわわわわ……!!」
「……くく……これが『いんたーねっと』というものなのね……無限の図書館にふさわしい本の数……!! むにゃ……」
……言っている寝言がよくわからない。おそらく陽一が彼女に教えた知識なのだろう。
たまに『たいむとりっぷwith美少女』とか訳の分からないことをいつも言っているくらいだ。アイツ、お嬢様に変な影響を与えているのではないか?
しかし……
「ふふ……マリーもおいでよ……むにゃむにゃ……」
それにしても幸せそうな寝顔だ……この屋敷の住人が一人増えたからだろうか……
自分の名前を呼んでくれたのも嬉しいが……それもアイツの……陽一のおかげだと思うとやはり複雑だ。
……正直嫉妬してしまう。私がこの屋敷に来た時も、誰にも見えないところでこんな笑顔を浮かべてくれたのだろうか……?
陽一と一緒にいるときだけなのか……? どうなのだろう?
……そう考えているうちに私も眠りの海に落ちていった。
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「おーい! 遅いから呼びに来たぞ!」
現在、俺はクロードさんに依頼されてメアリ達の様子を見に来た。食堂にまで何をしに戻ってきたのだろう。
母さん、息子は執事服を着て今日もこのブラックな職場で働きます。
「失礼しまーす……」
ゆっくりとドアを開ける。メアリが不機嫌になって殴ってきたらたまらないからな。
ーー初対面の時も壁にたたきつけられて死ぬかと思った。
「あれ……? マドリッドも寝てんの……? ミイラ取りがミイラになるってこういうことだな」
二人ともすぅー、と寝息を立てて寝ている。
ベッドの近くには……なぜかベーコンエッグが四散していたので二人が起きないように、それが乗っていたであろう皿の上に片づける。
……二人とも良い寝顔だな。仲が良くて何よりだ。こっちも見ててちょっとほっこりする……
多分マドリッドも疲れたんだな。いつもあんな大量の仕事をこなしているからな……無理もないか。
やれやれ、とため息をつく。これは……起こしにくいな。
「クロードさんには悪いけど、朝食の時間を一時間ずらしてもらうか……」
俺はメアリの部屋を出て、二人を起こさないように静かに扉を閉めた。
もちろん、ぶちまけられていたベーコンエッグをお皿にのせて。
--しばらくおやすみ二人とも。