第12話 吸血鬼の王
「……何かした?」
メアリのその一言は陽一だけでなく殺人鬼ジョーでさえ呆然とさせるには十分だった。
「スゲェ……あの量のメスを……片手で」
「……な、何かの間違いだ……さっきのおねぇさんだって、素手では……」
防げなかったはず。だがそれは所詮、人間の基準なのだろう。ジョーの反応をメアリは鼻で笑う。
「なら……これでどうダァ!?」
再びジョーはメスを投げる。その一つ一つが空気を切り独特の冷たい音色を放つ。
「懲りないわね」
しかし今度は……
「アイツ……まだあんなに持っていやがったのか……ッ!」
マドリッドに使った猛毒付きメス。よく見ると刃先が黄色く変色している。しかも彼女にはなった時のように今度は一、二本だけではない。多すぎて数え切れないほどだ。
「さっき、この程度って言ったよねぇ! なら大量に喰らえば……」
「どうにもならないわよ。バカ」
しかし結果は同じ。大量の猛毒付きメスはメアリに再び指で弾かれる。彼女の指や腕には傷一つ付いていなかった。彼女は手をまるでホコリでもどけるかのように払いのけ、見下すような冷笑を浮かべる。
「その芸、見飽きたわ。アンタ、サルみたいに遠くから物を投げることしかできないの?」
彼女はため息をつき、つまらなそうにジョーを見つめる。その瞳は色は炎のように赤かったが、氷のように冷え切っているように見えた。
「う……クソォ!!」
ジョーはメスでの遠距離攻撃をやめ、キッチンで拾った肉切り包丁を手に持つ。両手に持った二本の包丁が蛇の目のように怪しく光る。
「バラバラにしてやるぅぅぅああああッ!!」
彼は凄まじいスピードでメアリに襲いかかる。毒蛇のような殺気を陽一は肌全体で感じ取った。
ーーこれが殺人鬼ジョーの本性。
一方メアリはーー
「セバス、次の買い物リストに加えておいてちょうだい」
「え……? 何を、だよ?」
メアリのあまりの場違い発言に驚く陽一。正直自分の耳を疑った。
ーーなぜ今、買い物の話を?
「肉切り包丁をよ」
拍子抜けするくらい彼女は当たり前のように言った。
「ガ、ぐぎゃああああああああああぁぁあああッ!!」
気がつけば彼女は手刀で肉切り包丁を彼の右腕ごと叩き切っていた。
「マリーの銀武器を喰らってだいぶ痛覚も戻ってきたみたいね。下級」
メアリは腕を断ち切られた激痛で膝から崩れ落ちるジョーを見下ろす。彼の肩から溢れる血が床の赤いカーペットをドス黒く変色させる。
「クソォ! クソクソクソクソクソクソクソォッーーーーッ!! 殺される!? ボクがァ!? このボクがァッ!!この……!! 化け物め! 人をなんだと思っているんだ!! ボクが君に何をしたって言うのさァ!? ボクが誰に何を……」
ジョーの脳が現実の理解を拒み、さらに狂気を増大させていく。しかしメアリはソレを意に介さない。
「話すだけ無駄ね」
狂人の言葉など聞く価値もないと判断したメアリはトドメを刺すため腕を振り上げーー
ーーその時ジョーの唇に微笑が影のように浮かんだ。
「--ッ!! セバス! マリー!」
戯言は見逃しても、メアリは彼の不気味な笑顔だけは見逃さなかった。彼女は嫌な予感をいち早く察知し陽一たちの方を振り向くと、彼らの後ろから一体の女性ゾンビが迫っていた。
「……あ~あ、ばれちゃったんならしょうがない。……二人を……いや、おにぃさんの方だけ取り押さえててね」
もう起き上がってこれないようあのおねぇさんには、トドメを……さす。
殺人鬼はこれから自分に微笑むであろう勝利の女神に微笑み返すかのように、笑みをさらに深めた。
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これまでのジョーとメアリの戦いにあっけを取られていた二人は、メアリがこちらを振り向くまで迫る危険に気づけなかった。まさかジョーが連れていた女性ゾンビがまだいたとは。
「うおぉぉあ!? まだ残ってたのかよ!? やべぇ!!」
肩を貸していたマドリッドを急ぎつつも丁寧に床に降ろし、迎撃準備を整える。
こうしている間にもゾンビが早歩きをしてこちらに迫ってくる。死体独特の腐臭が近づいてくる。
友達からホラーゲームを借りて耐性をつけておいてよかった、と心から思う。グロ耐性がない人だったらパニックか卒倒物だろう。
とはいっても今の自分には彼らに有効な武器はない。
今持っている鉄製の靴べらでぶん殴ることはできても、効果は一時的。すぐに起き上がって突進してくるだろう。
「ゾンビに嚙まれるのは嫌だけど……ここは俺おとり戦法しか……!!」
もう迷っている暇はないと判断し、片手に持っていた靴べらを構える。
「……セバス、私の……服の……袖を……!」
意識を取り戻したマドリッドが、目を返り血がついた自分のメイド服の袖に向ける。
ゾンビ二体との距離は……あと300メートルちょい。もはや一刻の猶予も許されない。陽一は急いでマドリッドの袖をめくる。
「スカートの裏とかが良かったな……!」
「ぶっ……ころ……!!」
正気を保つため心にもない軽口をたたく陽一。めくった彼女の袖には見覚えのある隠し銃があった。それは手のひらに収まるくらい小さかった。
「これ……さっきの!」
「……隠し武器は一つだけ……ではありませんよ」
毒や戦闘の疲労がたまったのだろう。後は任せる、といった風に意識を手放し彼女は死人のように横たわった。
「さすがだぜ、マリーさん!!」
ネットやゲームの予備知識が今役に立つとは。右手に銃を持ち左手の親指を交差するように後ろに回りこませ、銃を構える。
……思ったよりも軽い。それが生まれて初めて本物の銃を持った陽一の感想だった。
ーーそして引き金が、引かれる。
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静かな夜に破裂音のような銃声が響き、弾が金属音を伴い宙に飛ぶ。
「なにぃ!?」
ゾンビが陽一たちに飛びかかる瞬間、弾丸がゾンビの体を貫く。ゾンビの動きが止まり、その場に崩れ落ちる。それ以降死体が動きを見せることはなかった。
「メアリ! こっちは気にすんな!! やれぇ!!」
「バカな……あのおにぃさんは無力のはず……ガバァッ!!」
放心状態だったジョーの頭にすかさずメアリは回し蹴りを叩き込む。蹴られた衝撃でボールのように血で黒くなったカーペットの上をジョーが転がっていく。
「ナイスよ、セバス!! さすが私。人を見る目があるってこの事ね」
「く、クソォ……まだだ……まだ……」
吸血鬼の王、吸血鬼の上位種であるメアリの攻撃をまともに受けてもフラフラとまだ立ち上がるジョー。その根性だけは見習いたいものだ。
「……調子にのるなクズ」
「え?」
顔を上げたジョーの目の前に見えたのは、先程までの赤髪の少女ではなかった。
ーー暗い赤翼の悪魔。
「ヒッ……!!」
姿にあまり変化は無いが、メアリの背中から先程まではなかった彼女の髪の色と同じ赤黒い翼が生えている。
翼の隙間から彼女の爛々と輝く紅い瞳。その瞳は……ジョーへの怒り、敵意、殺意で満ちていた。
ーーそれに部屋が……暑い。暑すぎて息苦しい。じっとしているだけで汗が流れる。
彼女の背中から生えた悪魔の翼。
それは彼女の体を覆い尽くせるほど大きい。まるで少女を覆う暗い赤色のマント。
これが吸血鬼の王と下級吸血鬼との格の違いだというのか。先程まで恐怖の対象だったジョーがまるで赤子のようだ。
「……翼を出しただけよ。下級」
「うあぁああぁあッ!! あ、悪魔めッ! く、来るなぁッ!!」
狂気を通り越し恐怖がジョーを支配する。錯乱し部屋の隅まで逃げ惑う。
ついに部屋の壁際まで追い詰められジョーの足が壁と密着する。
メアリは殺人鬼の凶器の届かない範囲まで距離を取る。そしてその位置は陽一たちにギリギリ届く範囲でもある。翼をはばたかせジョーに熱風を浴びせる。おそらく彼女の攻撃準備が整ったのだ。
「……気は済んだ?」
「……」
メアリから最終通告を受け取るジョー。彼は何とかしてこの場を打開し生存する方法を考える。そして、何かを思い出したかのようにズボンのポケットに手を突っ込む。
「……マズイ!! あいつまたッ!!」
嫌な予感をこの場にいる誰よりも察知し、陽一の体は自然とメアリとジョーとの間に向かって走り出していた。
「……! は、ハハハハハハハッ!! 死ねぇ! バケモノぉッ!!」
ジョーは勢いよくポケットから何かを取り出し、構える。彼の目には今まで以上のどす黒い殺気がこもっていた。あまりの不気味さに背筋がゾッとする。
「…………ッッ!!」
驚きでメアリの雷に打たれたかのように目を大きく開く。ジョーが取り出したのはーー
ーーマドリッドの持っていた隠し銃。対吸血鬼の切り札、銀武器。
嫌な予感が的中し、過去最高のスピードで走る陽一。今ならば学校の短距離走スポーツテストで10点満点が取れそうだ。
その時ふと、最近見た新聞の内容が頭に浮かんだ。
『ーーこれまでの犯行と同じように遺体は全てバラバラにされ、心臓だけが抜き取られ……まだジョーは捕まっていない』
「間に合えええぇええぇええーーーーッ!!」
「「!?」」
メアリを突き飛ばすようにして庇い、手に持っていた鉄の靴べらをダメもとで心臓の位置に押し当てる。
「……!! 馬鹿ッ!!」
銀弾が陽一に当たる直前、メアリは上がった視力をフル活用し銀の弾丸を正確に捉え、その赤い翼を器用に弾丸に当て軌道をずらす。
「ッッ!! 痛ってぇ!!」
その結果、弾丸は心臓ではなく陽一の肩をかすめただけに終わる。そのまま地面に倒れこむ。
「くそッ!!」
今度こそ銀弾をメアリに当てようとジョーは再び銃を構えなおす。
「このガキまた……邪魔、を……?」
しかし、もう彼に撃つまでの時間は残されていなかった。
すでに彼はメアリの息遣いが聞こえるほどに接近されていたからだ。
「爆ぜろ」
重々しい地響きが起こる。ジョーは叫び声をあげる間もなく、陽一の自室と共に炎の中に消えた。




