3 邪神
「フフフ、ついに見つけたぞ!」
朽ちた柱だけが残る遺跡に男の声が響く。
男の姿は黒いローブに隠れているが、鋭く光る瞳だけが異様に目立つ。
一見して何もないこの古い遺跡を見つけるために、男は『邪神教団』を名乗る怪しげな集団に潜入してまで情報を集めてきたのだ。
「太古、人類を絶滅寸前まで追い詰め、女神に封印されたという邪神!」
「あらゆる邪悪な魔法使いが追い求めた伝説の獣が、今、解き放たれる!」
バッ! と音を立てて両手を広げた男は、舞台役者のように動き回る。
「邪神を支配し、俺がこの世界の頂点に立つのだ!! ワハハハハ――」
男の高笑いをかき消すように、魔力の波動が空間を震わせ響く。
男が背後を振り返ると、地面に奈落のような大穴が開いてた。
ズルリ。
おぞましい、としか形容できない巨大な触手が奈落から地面へはい寄る。
触手に続いて、奈落の闇深くから、世界から色を抜いたような髪色をした巨大な女の体が現れた。
一見、人間のような姿をしたそれは、足のあるべき場所におぞましい触手を生やしていた。あの触手はこの女の体の一部だったのだ。
「ああっ、そんな、あれは! まだ封印は……」
――男の声に反応したのか、色の無い髪の隙間から、生き血で染めたような赤い瞳が男の顔を見た――。
…………気付けば男はみじめに地面にはいつくばっていた。
男は思う、「俺はなぜアレを支配できるなどと思った?」と。
邪神が現れる前の、男の思い上がりは粉々に崩れ去っていた。
「ねえリリー、どうやってここから出るの?」
リリーがいた洞窟は小川があって、人が通れそうな横穴もあるけど、リリーの大きな体が通るほどではありません。
「魔法で脱出口を作りましょう。さあクロ様、私につかまってください」
伸びてきたリリーのタコのような触手が体に巻き付いてきます。
わたしの体に吸盤がしっかり吸着しているので、落ちる心配はありません。
つかまるというよりつかまれているのでは? という疑問は口にしません。
身動きが取れないのも不安ですが我慢します。
「はあ……吸盤の一つ一つで感じるクロ様、至福ですわ……」
「下ろしてください」
桃色のほおに手を当て、うっとりするリリーに別の不安を覚えます。
「いけませんわクロ様、あのクソ女神に面倒事を押し付けられて外に出るのが嫌で嫌でたまらなくて、ここに二人でずっといっしょにいたい、わたしとラブラブイチャイチャしたいと、そう思ってしまう気持ちはわかりますが、わたしもいい加減ここにいるのは飽きてしまって…………やっぱりここにいましょうか? クロ様と二人ならここで一生暮らすのも悪くないですわ」
「今すぐ外に出ましょう」
今すぐ。
リリーが魔法で天井に空けた穴から地上に出ると、男の人が地面にうずくまって震えていました。
どうやらおどろかせてしまったようです。
「おじさん、大丈夫ですか」
「あひいっ!?」
わたしが声をかけると、男の人はうずくまったまま飛び上がりました。
「だ、だれだおまえは!?」
「通りすがりの子供です」
「邪神といっしょに通りがかる子供がこの世にいてたまるかあ!!」
転生者です、と答えていいのかわからなかったので、今の事実だけ伝えたのですが、怒られてしまいました。
「邪神?」
「おまえといっしょにいるその化け物だ! そいつは人類を絶滅寸前に追い込んだ化け物だぞ!」
わたしがリリーを見上げると、この事態に興味はないらしく、空を飛ぶ鳥を目で追っていました。
わたしも最初リリーをラスボスだと思ったので、おじさんの言うこともわかる気がしますが、その邪神というのとは違う気がします。
「おじさん、リリーは邪神ではありません」
「ほ、本当か……?」
「はい。出会ってすぐに殺されそうになりましたがたぶん邪神じゃないです。それにこう見えてやさしいところもあるんです……たぶん」
「やっぱり邪神じゃないかあ!!」
おじさんは震えて地面につっぷしたまま、さらにまくし立てます。
「そ、それに、邪神は、不気味でおぞましい触手を持った化け物だと、神話にも伝わっているんだ! 正にそのままじゃないか!」
そこまで言われると否定もしにくくなってきました。
それにしても、おじさんはリリーの触手を見てすごく怖がっていますが、どうしてでしょうか?
はっ! そういえば日本と違って、外国の人はタコをデビルフィッシュと呼んで嫌がるという話を聞いたことがあります。
よく見ればかわいいのに、それはもったいないです。
「おじさんはリリーを誤解しています。本当はいい子なんです。ほら、この触手もよく見るとかわいいんですよ」
「うっ、そのヌメヌメしてそうなおぞましい触手がかわいいだと……?」
「やだっ、かわいいだなんてそんな……」
かわいいと言われたリリーが恥ずかしそうに巨体をくねくねさせます。
目の前の怪獣映画も真っ青のド迫力映像に、おじさんがこれ以上ないぐらいに縮こまります。
「リリー、ちょっとおとなしくしてて、おじさんがビックリしてるから」
「はーい、クロ様」
「じゃ、邪神が従ってるだと……!?」
顔を上げたおじさんが震えながら腕を上げ、わたしを指差しました。
「お、おい、そこのおまえ、正体を現せ」
「正体?」
「邪神を従わせるなんて並の魔法使いの所業じゃない。その子供の姿もどうせ俺を欺くためのものだろう」
「?」
「くっ、いつまで俺をからかうつもりだ! 正体を現せ、このクソガキ――」
「――今、クロ様をクソガキと言いました?」
「あひいいいぃい!?」
腹の底から震える声が響き、頭をもたげたリリーが見開いた真っ赤な瞳をおじさんに向けると、おじさんはひっくり返ってしまいました。
「こ、殺せ……」
おじさんは大の字になってつぶやくと、気絶してしまいました。
「クロ様、殺っちゃっていいですか?」
「だ、ダメだよ……怖いことしないで」
「はあ……やさしいクロ様もすてきです。それではこうしましょう」
リリーが指を鳴らすと、おじさんの頭の周りに光る文字が浮かんで消えます。
「何をしたの?」
「この男の記憶を少しばかり消しました。目が覚めたら何か悪い夢でも見たと思うでしょう」
「うん、ありがとう」
「それではクロ様、出発しましょうか。この辛気くさい遺跡にいると息が詰まりますわ。……あら」
リリーが遠くに目を向けると、にわかに騒がしくなったその方向から、黒い集団がやって来ました。
「はやく急ぐんだ、あの裏切り者に先を越されてしまうぞ!!」
「お、おい、あれを見ろ!!」
こちらを指差す黒い集団は、おじさんと同じ黒いローブに、顔をドクロのお面で隠していました。
いい人たちにはとても見えませんでした。