29 魔族の国
氷の城で凍りかけたわたしが目を覚ますと、宿屋のベッドの上でした。
敵はリリーが倒したそうで、リリーにわたしを危険な目に遭わせたことを謝られましたが、頼りっぱなしなのでかえって困ってしまいます。
起きるとリリーが入れてくれたハーブティーを飲んで体を温めます。
体が温まって気がぬけるとテーブルにうつぶせになりました。
「もう寒いのはこりごりです……」
「わたしも生殺しはもうイヤです……」
リリーは遠い目をすると、なぜか歯型のついた触手をなでました。
「――さて。これから魔族の国に入るわけですが……」
「はい」わたしは居住まいを正します。
「魔族の国がある大陸は広いので、魔王城をやみくもに探すより街で情報収集をしたほうがいいと思います」
そう。残り二人となった魔王は女神様に渡された手配書によると魔王城にいるようですが、魔王城の位置などは書いてなかったのです。
「しかし、問題が一つ。クロ様が人間だとバレると戦闘になる可能性があります」
「リリーが情報収集をする間、わたしが隠れているのは?」
「クロ様と離れるなんて嫌です!」
「じゃあどうするの?」
「変装をしましょう」
「変装?」
「はい。なので、こちらをご用意しました」
リリーは懐から羊のような角を取り出すと、わたしの頭にぺたっとくっつけました。引っ張ってみますが取れる気配がありません。
「あれっこれ取れない」
「魔法的なアレでくっつけました」
「魔法的なアレってなに……」
「見た目はこれでいいでしょう。後は……」
リリーの目がキラリと光ると、急に抱き付いてきました。しかもいつもより密着してきます。
「な、なんですか!?」
「動かないでください。今わたしの匂いを付けているので」
「なんで!?」
「見た目はともかく匂いはどうにもできないので、強いモンスター……つまりわたしの匂いを付けているのです」
そう言いながらリリーが首筋に顔を押し付けてきます。
これ絶対リリーがくっつきたいだけですよね!?
「もう付きましたから離してください!」
「いいえ、まだです。わたしのクロ様だとマーキングしておかないと」
なんとか振りほどいてもまたくっついてくるので、大型犬に絡まれている気持ちになります。
わたしが本気で嫌がると残念そうに体を離しました。
街を出ると、元の姿のリリーに乗って国境を越え、魔族の国がある大陸の上空を飛びます。
広い大陸を飛んでいると街が見えてきたので、街の上空を飛ぶ鳥型のモンスターに見つからないように近くの開けた場所に降りて徒歩で向かいます。
街の前には門番がいましたが止められることなく、入ることができました。
魔族の街は住んでいるのが魔族というだけで人間の街とそんなに変わりません。
リリーと手をつないで市場を通ると、人間の街では見ないような毒々しい色の野菜や食べ物、ちょっとグロテスクな民芸品がありました。
市場も通り過ぎると、リリーは立ち止まることなく街中を進んでいきます。
「リリー、どこに行くの?」
「酒場です。情報収集といえば酒場でしょう」
「酒場に子供が入れるんですか?」
「魔族は見た目で年齢がわかりませんからね、大丈夫です」
酒場を見つけて入ると、お酒とタバコの匂いが大人という感じがしてドキドキしました。
昼間だからかお客さんはそれほど多くなく、ニワトリの頭と羽の生えた腕をしたマスターの前のカウンター席に座ります。
「ホットミルクを二つ」
リリーが注文すると牛乳瓶が二つ、ドンと置かれます。
「ホットはないぞ」
マスターがリリーに顔を近づけてにらみ、わたしを見ると、片眉を上げました。
「……人間か? 珍しいな」
「わかりますか」
せっかく変装したのにもうバレました。
リリーが懐から金貨を出すと、マスターに握らせます。
「俺ぐらいになるとな。で、何が聞きたい」
「話が早くて助かります。魔王城はどこですか」
「魔王城になんの用だ?」マスターが疑わし気に見ます。
「見てわかりませんか」リリーがわたしを見ます。「クロ様と結婚するためです」
「ちょ!?」
勢いよくイスから立ち上がると店中の視線がわたしに集まり、急いでイスに座り直します。
「駆け落ちか」マスターが納得した顔でうなずきます。
「人間の国だとモンスターと人間は結婚できませんからね。できればここに住む許可がほしいんです」
「だったら、長男のギルバート様の城だな。能力さえあれば雇ってもらえるし、人間でもいいはずだ」
「人間でも? ずいぶん優しいんですね、戦争をするかもしれないのに」
「器がデカいのさ。地図は持ってるか? 場所を教えてやろう」
地図は持っていなかったので、マスターに地図をもらって魔王の城の場所を教えてもらうと、リリーと顔を見合わせます。
ついに最後の目的地の場所がわかりました。
「そうだ。最後にもう一つ質問しても?」リリーがマスターを見ます。
「なんだ」
「この国は何才から結婚できるんですか?」
「!?」ここでその質問を!?
「ねえよ、そんなの。てめえで靴ひもも結べないようなヤツはさすがに結婚できないがな」
マスターの言葉を聞いたリリーの顔に、みるみる笑みが広がります。
それとは逆に、わたしの顔には滝のような汗が流れていきました。
「クロ様!」
「は、はい!?」
「結婚、できますね……?」
「……そ、そうですね」
リリーがわたしを抱き寄せると、夢見る乙女のような表情になります。
「クロ様、魔王城に行くのはやめて結婚式にしましょう……」
「あ、あの、その、この国の住人にならないと結婚できませんよ?」
「それではすぐに魔王城に行って結婚しましょう」
「…………え、えーとですね、そのあの――」
いよいよ逃れる術を失ったわたしは冷や汗を流してしどろもどろになります。
その顔を見つめていたリリーの顔からふと笑顔がなくなったのに、その時のわたしは気付いていませんでした。
「――……まあその話は後にするとして、魔王城に行きましょうか?」
わたしから体を離すと、リリーが笑います。
その笑顔に何か違和感を感じましたが、なんなのかがわかりません。
わたしたちが酒場を出ると、マスターは店の奥に下がり、鳥かごから出した鳥の足に手紙をくくり付けると、窓から放ちました。
鳥は大陸の中央にある魔王城に飛んでいくと、ある部屋の窓に止まる。
「ついに来やがったな……」
粗野な口調の男性は書斎の机から腰を上げると、窓に止まる鳥の足にくくり付けられた手紙を読んで部屋を出た。
「アガットの兄貴!」
廊下を、彼の妹のスカーレットが走ってくる。
母が同じ妹のスカーレットは、アガットと同じ燃えるような紅い髪をしている。
「おじい様を見なかった!?」
「見てねーぞ。つーかジジイならまだ寝てるだろ」
「それが……朝からおじい様がどこにもいないんだ、まだあいつにやられた傷が治ってないのに……」
「ハッあのジジイめ、腐っても元魔王か。邪神のやつがここに近付いているのがわかったんだな」
アガットが手紙をヒラヒラと振ると、スカーレットの顔に緊張が走った。
「あいつが来るのか……。それで、ギルバートの兄貴は?」
「アニキならまだ自分の部屋にこもってる」
「兄貴が最初に邪神退治の話を持ち掛けたのに、あれからずっと自分の部屋にこもってるなんて……」
スカーレットはギルバートのいる部屋の方向をじっと見つめる。
「頭でっかちのアニキのことだ、何かたくらんでるんだろうよ」
アガットは長い前髪を後ろになでつけると、廊下を進む。
「しかも、オレたちが全員あいつに敵わないと思って、悠長に構えてやがる」
「行くの?」
「おうよ。アニキが出る幕はねえ」
アガットが去ると、スカーレットも祖父を探しにその場を去った。