26 旅立ち
『クロ、私の声が聞こえますか……。目を覚ますのです』
「ふえっ……?」
聞き覚えのある声が聞こえて目を覚ますと、家の寝室ではなく白い空間にいました。
目の前には長い金色の髪と白いローブを着た神々しい女性が。
女神様でした。
「ひえーっ! くわばらくわばら!」
わたしは座ったまま飛び上がると土下座をしました。
「ちょっと、何よその落語みたいな驚き方」
女神様が不満そうに片眉を上げます。
「ごめんなさいごめんなさい、わたしがリリーに頼りっきりのダメ人間だから天罰を下しに来たんですか」
「ダメ人間? だれが?」女神様が首をかしげます。
「わたしがです」
土下座したまま手を合わせていたわたしが答えると、女神様が笑います。
「まさか。あなたはよくやってるわ、なんせ魔王を八人も倒したんですもの!」
女神様が友達みたいに肩を組んできました。
その顔には以前あった目の下のクマがなく、顔色も心なしかいいです。
「倒したのはリリーとミラですが……」
「いっしょよ! あなたよくあの邪神を手なずけたわね!」
「手なずけたとかじゃないです! リリーは――」
「ハイハイ、わかってるって、リア充乙!」
女神様がわたしの肩をバンバンたたきます。イタイ……。
「そ、それじゃあ、なんのご用事でわたしに会いに……?」
女神様は腰に手を当てると、真面目な顔になります。
「……あなた、なんで旅に出ないの?」
「えっ、それは……」
「魔王退治の旅に出るのはRPGの定番でしょ!」
ジト目の女神様の顔が迫ってきて、思わず後ずさりします。
「それなのにあなたときたら……街に定住するわ、子供までできてるわ、完全に新婚じゃない!」
「あっあの、それはですね……」わたしはしどろもどろになります。
「――まあそれはもういいわ。でも実際問題、街にずっといれば街を狙われるわ。その前に魔王退治の旅に出てもらいます」
「は、はい……」
女神様は胸から四枚の紙を取り出すと、わたしに手渡します。
「手配書……ですか?」
紙には大きくそう書かれていて、その他は魔王のシルエットと、大まかな居場所が書いてあるだけでした。
「そう。RPGっぽいでしょ」
女神様はRPGが好きなんでしょうか……。
「――コホン。では勇者クロよ、旅立つのです――」
そう言うと女神様は光の中に消えていきました……。
目が覚めると、わたしはリリーの触手に巻かれてベッドの上を漂っていました。
下を見ると、暗い寝室でいつものメイド服姿のリリーが何かを探しています。
「……あのクソ女神の気配がどこからかします……」
どうやら女神様の気配を感じたリリーが起きてしまったようです。
リリーを呼んでわたしとミラを下ろしてもらうと、いつの間にか持っていた四枚の手配書を見せ、女神様の夢の話をしました。
「……あのクソ女神の言う事を聞くのはシャクですが、魔王たちと決着を着けるいい機会かもしれませんね」
「それじゃあ旅に出るの?」
「ええ。朝になったら準備をしましょう」
いっしょに話を聞いていたミラを見ると、手配書の一枚を見ていました。
「他の魔王は人間の国との国境付近にいますが、この魔王だけなぜか魔族の国から遠く離れた人間の街にいるようですね」
「コーミットの街だっけ? 本好きの魔王なのかな」
コーミットの街は世界中から本が集まる場所と言われていて、年に数回、本のマーケットが開かれるので有名らしいです。
「――決めた。母様、ママ、わたしも旅に出る。ここの魔王はわたしに任せて!」
また大きくなって七才ぐらいの見た目になったミラが、手配書を握りしめて立ち上がります。
「だ、ダメです!」慌てたリリーも立ち上がります。
「なんで?」
「ミラはまだ子供です、一人旅なんてさせません!」
「ミラ、コーミットの街に行きたいのなら三人で行こう、ね?」
ミラは最近ヒマさえあれば本を読んでいるので、コーミットの街に行きたいのかもしれません。なので助け舟を出したつもりだったんですが……。
「イヤ! 一人で行く! もう子供じゃないもん!」
見た目七才、実年齢は生後数週間の娘がじだんだを踏みます。
それを見たリリーがしばしうつむいて、それからゆっくり顔を上げると……その目に光はありませんでした。
「――――なら魔王退治はやめです。どこかの無人島にミラとクロ様を閉じ込めてそこでずっといっしょに暮らしましょう。フフ、それがいいです」
リリーの触手が伸びてきて、わたしとミラをみのむしみたいに巻き取ります。
触手でわたしたちを捕まえたまま庭に出ると、リリーは空を飛びました。
まさか本気で実行するつもりですか!?
驚いている間にも高度が上がり、街がどんどん小さくなっていきます。
人の姿が見えなくなると、リリーは元の姿に戻って上機嫌に触手をうごめかしました。
「ミ、ミラ、今ならまだ間に合います。旅はやめましょう!」
「イヤ!」
ミラはほっぺたをふくらませると、プイッとそっぽを向きます。
「リ、リリーも、家に戻って冷静になってから話をしましょう!」
「わたしは冷静です! ミラはまだ赤ちゃんなんですから、わたしがおはようからおやすみまでお世話しないとダメなんです! 一人旅なんて絶対ムリです!」
「実年齢はそうですが……」
「私、赤ちゃんじゃない!」
ハッとなって見ると、ミラが大きな目に涙をためてこちらをにらんでました。
「母様とママなんて――」
ミラの全身から銀色のオーラがほとばしり、体に巻き付く巨大な触手を内側から引き千切ると、空を駆けてリリーに向かっていきます。
飛ぶミラをリリーの触手が次々と襲いますが、時にはかわし、時には吹き飛ばしてミラがリリーへと弾丸のように飛んでいきます。
そして、ミラがリリーの眼前まで迫ると。
「大っキライ!」
ミラのパンチがリリーのほおをえぐりました。
「――キ、――」
ぐらり。リリーの巨体が傾きます。
「――キライって言われた……」
肉体より精神に大きなダメージを受けたリリーが空から落ちます。わたしごと。
すごいスピードで落ちるリリーの巨体が雲を抜け、地上が見えてくると、わたしはあせります。
「リリリッリリー! 落ちてます! 死んじゃいますよ!!」
精神的ショックで真っ白になったリリーは返事をしませんでしたが、地面に向かうスピードはだんだんゆっくりになりました。
やがて地面が目の前に近付くと、しゅるしゅると体が縮んでいき、人の姿になるとパタリと地面に倒れました。
「うわあああーーん! ミラにキライって言われたーーー!」
道の真ん中でわたしの膝につっぷしたリリーがおいおいと泣きます。
その頭をなでていると、ミラが地上に下りてきました。
「ミラ」わたしが呼ぶと。
「私、謝らないもんっ」プイっとそっぽを向きます。
「クロ様~、ミラったらあんな事言うんですよ~!」
リリーがミラを指差して、足をバタバタさせます。
また泣き出したリリーの頭をなでると、わたしもついつい涙ぐみます。
「……そうですね、わたしもミラに嫌われてしまったので、二人で仲良く無人島生活にしましょうか……」
「えっ」ミラが固まります。
「……いいんですか、クロ様」
「ミラに嫌われたらわたしたちはもう生きていけません。二人で隠居しましょう」
「クロ様!」
「リリー!」
わたしたちは泣きながらお互いを固く抱き締めました。
「ま、待って! 母様とママを大キライって言ったのは勢いで……本当は大好きだよ! だから泣かないで!」
ぴたっと涙が止まったわたしたちがミラを見ます。
「――まあ今のは半分冗談ですが。ミラの意思も固いようですし『かわいい子には旅をさせよ』と言いますから、もう反対しませんよ」
わたしを抱き締めたままのリリーが答えます。
「いいの?」ミラが気が抜けた顔をします。
「ええ。わたしとあれだけ戦えるなら、魔王が何人来ても大丈夫です」
前から旅の準備をしていたらしいミラが、何もない空間から小岩ぐらいはありそうなリュックを出すと背負います。
「母様、ママ、行ってきます! 魔王を倒したら合流するね!」
「ううう、やっぱり嫌です~。なんですぐ旅に出るんですか~」リリーがまた泣きます。
「リリー元気出して。ミラ、行ってらっしゃい」
「はい。……母様は離れてても私とつながってるんですから泣かないでください」
「リリーとミラはお互いの無事がわかるんですよね、うらやましいです……」
ため息をつくと、ミラがわたしの両手を握ります。
「大丈夫、ママは母様のブレスレットを付けてるでしょ? それがあれば私はママをいつでも監視……見守ることができるから!」
「今、監視って言いました?」
朝日が昇り、わたしたちは一人で旅に出るミラを見えなくなるまで見送ります。ミラの姿が見えなくなる直前――「いざコミケへ!」――ミラの後ろ姿がかすみのようにおぼろげになると、若い男性の姿に変わりました。
――ん? 今、日本で聞いたことがある単語が聞こえたような……?
「姿を変える魔法ですか。賢者殿に習ったんですかね」
「……え? あっそうだね……」
ミラが行ってからも、しばらく同じ方向を見ていたリリーがため息をつきます。
「子供の成長は早いですね……あっと言う間に巣立っていきました……」
「ミラは早過ぎますけどね」
リリーを見ると、スカートから伸びた触手が寂しそうに揺れていました。触手の色もいつもよりくすんで見えます。
なんだかわたしも寂しくなって、リリーの触手を一本手に取ると抱き締めます。
ふわふわぷにぷにしたリリーの触手をなでていたら、リリーがうつむいてスカートのすそをギュッと握りました。
「……クロ様、もう二人目ですか……?」
ゆでダコみたいに真っ赤になったリリーが瞳をうるませます。
わたしは渾身の力を込めてリリーの触手をねじりました。