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売名行為と謗られてもいい。

被災者の方達の心情を逆なでしている、とのお叱りは甘んじて受けよう。

僕が見た、東日本大震災のスケッチである。

これは数百万、数千万ピースに及ぶパズルのたった一片だ。

 五年前のこの日も寒かった。

あの日、僕は確定申告をする為、青色申告会にいた。


確定申告中に、それは起こった。

「ガタガタっ」

(大きい)と誰しも思った筈だ。

震度4までなら、普通に体験してる人が殆どの中で、いつもより大きい事を体感せざるを得なかった。

(もしや二度目の関東大震災がとうとう来たか!)

と覚悟したのは、僕だけではなかった筈だ。



 振動は収まるかと思うと、余震とは言えない程の大きさで何度も僕達を揺さぶった。

(大地の鳴動)だと僕は思った。

30分は断続的に続いただろうか。

テレビはとある場所を、中継していたが、画面の中、信じられないものが侵攻してきたのだ。



 黒く粘性のあるように見えるそれが、瞬く間に街に侵入し、あらゆる物をなぎ倒し、潰しながら押し流していく。

単なる海水とは到底思えない程禍々しいものだった。

特撮よりも有り得ない現実に、僕も、鳴動に耐えている人達も、黙ってTVの画面を見守るしかなかった。


 TVからは、確かにその前に津波警報が発令されていた。

「津波発生、6mの高さが予想されます。ただちに避難してください」と。

僕は莫迦にしていた。

『早く住民を避難させたい、行政側のはったりだ』と。

実際はそんな高さには至らないだろう、と。

ところが、激しい濁流を化した海水は、6mどころか簡単に2階建て、3階建ての建物を呑み込んでいく。


 ありうべからざる事態が起こっているのだと。

いつも体感している地震ではないことをようやく実感したのだった。

咄嗟に、自分を一番心配しているであろう母に「生きてます」とタイトルだけ送信した。

クリスマスや年末に、携帯の電波がパンクすることを知っていたからだ。


 その後すぐに恋人にもメールしたが、もうその頃には携帯の電波はパンクしていた。

不安に思いながらも、ここで確定申告をし通さねばならない。

確定申告を終えると、僕は駐輪していた自転車に乗って、その時住んでいた家へと急いだ。



 世界は一変していた。

キープアウトの黄色いテープが通りに張られている。

(死人が出たのか?!)

緊張したが、どうやらビルのガラスが割れ、往来に降り注いだだけのようだったが。

都心ならではの被害に、僕はぞっとした。



 小学生達が集団下校している。

皆、防災ずきんを被っていて、僕は『このずきんが役に立っている処を初めて見た』と思った。

僕は高台にいて、陸橋から線路を見降ろしていた。

電車が止まっている。

『大地震があったんですよ!』と叫びたかったが、結局は叫ばなかった



 大通りに出ると、更に混乱しているのが見て取れた。

普段車が走っている道路にすら人、人、人。

避難民でごった替えしており、車が隙間を縫ってのろのろ運転をしていた。

バスは満載で乗れる余地はない。

タクシーを皆、同じ方向を募って相乗りしていた。



 僕は当時、池袋に一戸建てを借りていた。

その家は僕よりも大分年上だったから、僕は自分の家がスクラップになっているだろうことを覚悟していた。

ところが家はきちんと建っていた。

まるで地震などなかったように静謐に。

しかし往来には、ご近所の方達が右往左往していた。



 家の中に入ってみる。

別に変わった様子はない。

食器を洗って山盛りにしておいたから、粉々だろうと思ったら一枚も割れて居なかった。

しかし、2階に上がってみると、壁につけていたベッドは部屋の中央迄張り出しており壁掛け時計は落ちて止まっていた。



 他に被害はないか、確認してみた。

洗面所に置いておいた鏡が欠けていた。

ガスが停まっていて、ガス漏れのランプが点灯していた。

『やばい!』

ガス会社に連絡しても繋がらない。

思い余って消防署に連絡した。繋がったがそれどころではないのだろう。

『落ち着いてください』

と軽くあしらわれてしまった。



 僕は逆切れした。

『ガス漏れが引火したらどうするんです!

辺り一体火の海になるですよ!』

住んで居た街は昔ながらの建物が多く、建て替えラッシュ中とはいえ、まだまだ木造住宅も多かった。


(建物も密集しているし、こんな処で火災でも発生したら……!)


自分の叫び声で、己がどれだけパニックに陥ってるのか知った。

しかし、消防署の方は辛抱強く僕を諭してくれた。

『順次確認しています。

落ち着いてください』

それはそうだろうな、とようやくに思った。

僕には落ち着くしか術はなかった。



 幸運な事に僕は青色申告会の建物で被災した。

その頃僕の家周辺は建て替えラッシュだったから、掘削機や、その他の振動で終始家が震えている状況だった。

もし、家で被災していたら

『今日は工事の振動、めっちゃ激しいな!』

とか暢気に構えて逃げ遅れていたかもしれない。



不安と情報を共有できる人がいる程、心強いことはない。



 そして僕の家にはTVがなかった。

情報が全く僕の耳に入ってこなくて、一人でいたら、途方に暮れていたことだろう。

僕はラジオをつける、ということに数時間経過する迄気づきもしなかった。

ラジオを付けると都バスと都電は生きていることがわかった。



『実家に帰ろう』

僕は決断した。

実家は、都電の三ノ輪方面に乗れば、後は歩いて帰れる。

僕は1か月位帰れるように着替えと命の次に大事な楽器とパソコンを用意した。

ガス漏れを逃す為に台所の窓を開け、最後に、引火しないよう電気のブレーカーを落した。



 ふと避難民の方達のことを思った。

『あの方達を泊めてあげるべきじゃないのか』

一夜で帰れない方達もいる筈だ。

が。

ガス漏れをしている家に泊めたら二次災害になりはしないか。

そう思うと躊躇して、やはり実家を目指すことにした。



 僕の実家は東京の城東区にある。

その為、実家方面である三ノ輪方面行に、最初は素直に並んでいた。

しかし、後から後から人は動いている交通機関目指して増えていく。

都電も既に3本乗れなかった。

『早稲田方面の始発を待ったほうがいいかもしれない』

賢明な判断に思えた。

そして僕は反対側に並ぶことにした。



 早稲田方面の電車も満員だった。

(都心に帰る人もそりゃ、いるよな)

僕は思った。

僕は運転手がいる先頭の方。

一両しかない車両の後ろの方で一人の男が話しているのが聞こえてきた。

『俺さあ、スカイツリー作ってるんだよ』

全員の耳がその男の話を聴こうとして、そばだてた。


『で、どうだった』

知らない同士であろう別の男がその男に訊ねる。

『すげぇ、揺れたよ!』

(そうだろうとも)

皆、一心に男の言葉を聴きとろうとする。

『誰か死んだ人は?』

ごくり。

皆、固唾を呑んで男の言葉を待つ。

『誰も居なかったよ』


ほう、とあちこちから安堵のため息が漏れた。




 早稲田に到着するとここも黒山の人だかりだったが、1時間も並べば、僕が電車に乗りこめれる位になった。

(逆方面に来て正解だったな)

後は1時間は乗ることになるから、席を確保することだ。

僕は身軽な人達より既に避難道具を持っていて、立っていると顰蹙を買うことが確実だったからだ。


 運よく席を確保し、運転に身を任せることにした。

途中の駅はどんどん人で膨れ上がり、降りる人よりも乗り込む人のほうが多かったから、段々と僕の乗った電車も通過するようになった。

僕は早めの決断が正しかった事を再認識した。



 夜が更けるにつれて、気温は益々下がっていく。

会社から至急されたのだろう毛布を躰に巻き付けている人もいれば、被り慣れてないと思われるヘルメットを被っている人達もいた。

凍てついた夜の中。

皆が無事に帰れればいいと願った。



 ようやく実家の最寄り駅に着いた。

(ここまで来れば、あと少し)

実家は災害時のレッドデータになる処だ。

独り暮らししていた場所の方が安全だったかもしれない。

だが帰巣本能なのだろう。

人は危険を感じると、本能的に『家』を目指すのかもしれない。

橋を越える。

僕はこの橋を越える時、いつも川面を視るのが好きだった。

この日もいつものように見たら、ぞっとした。


『水位が上がっている!』

ラジオで東京湾の水門が閉じられた、と報道されていた筈だ。

家を出る迄は毎日眺めていたのだ。

普段の日の水位も台風後の水位だって知っている。

しかし、明らかに普段より水位はあった。


 僕は遊園地にある、フライングパイレーツと呼ばれる遊具をイメージした。

平たく言えば、舟形の大ぜいが乗り込めるブランコのようなものだ。

閉じられた水門の中で、揺れにより、いったんは海側に海水は引き。

そして反動で、反対側に押し寄せてくる海水を想像した。

(地震の影響だ)

そう思わざるを得なかった。



 家に着くと。

母と姉が甥を護るように抱き合っていた。

『父さんは?』

『2階』

実家は姉一家と親の二世帯住宅になっている。

2階の姉宅はガスが停まってしまっていた。

1階の親の家はオール電化にしていたが、まだ電気は使えていたので母宅で風呂や食事をしていたのだという。



『お義兄さんは?』

尋ねると、姉が震える声で

『まだ。連絡も取れないの』

と言った。

『大丈夫だよ』

おざなりな言葉しか、掛けてやる言葉が思いつかなかった。

その後、会社を出て4時間後、義兄が我が家に無事に帰宅して、家族全員がようやく安堵の息を吐きだすことが出来た。

義兄はバスを3本乗り継ぎ途中から歩いたという。



 夜の22時位だったろうか。

恋人とようやく連絡がついた。

僕にメールしたが、僕からの返事がなく半狂乱になっていたという。

咄嗟に一番に母にメールを送ったことを、僕は後ろめたく思った。

(恋人に先に送信しておけば、こんなに心配させなかった)

『ごめんね』

『無事でいてくれたから、大丈夫。よかった、安心した』

お互いに言いあった。

『1週間後、必ず会おう』

約束して電話を切った。

ようやく復活した携帯に残っていた恋人からの送信時間は5時間も前だった。


(後で確認した処。

恋人の送信時間は5時間前だったが、実は震災が起こってすぐにメールをくれていたとのことだった。

……送信すらもそこまで時間がかかっていたのだ)



 更には消防署からも連絡が入り、ガスが停まっていることを確認してくれたという。

僕はパニックになったことを謝り感謝の言葉を口にした。

今更に慌てていた自分が恥ずかしかった。














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