38 私の家族
「俺は、お前が皆と打ち解けて仲良くなれたらいいと思ってる。
でも、お前に何か理由があってそれはできないって言うなら、なぜなのか、ちゃんと教えてくれ」
強い意志を持った目に見つめられる。
桐谷さんから目を反らせない。
いつも、私の心の中は矛盾してる思いがあった。
誰にも言いたくない。
誰かに聞いて欲しい。
誰にも近付いちゃいけない。
誰かにそばにいて欲しい。助けて欲しい。
・・・このひとになら、話してもいいんだろうか。
私の言葉を促すように、私を抱きしめる腕に力が込められる。
「・・・私、といると、不幸にしてしまいます。
だから、だから、私のそばにいたら、・・ダメなんです」
こんな風にぴったりと桐谷さんにくっついておいて、何を言ってるんだって自分でも思った。
「そう思った根拠は? 何か、きっかけがあったんだろ?」
冷静に質問された。
だから私も、落ち着いて思い返していた。あの、悲しい事故のことを。
「私・・・、あ、兄を、怪我させてしまったんです」
私達、兄妹の仲は悪くはなかったと思う。
兄は毎日部活のサッカーに忙しくて、あまり一緒にいる時間はなかったけど、家で顔を合わせば笑って話もした。
優秀な兄だった。私は平凡で、特に何も目立ったものはなかった。
兄は明るく聡明な性格でサッカー部でもキャプテンだった。
部活のサポートや遠征への送り迎えなど、兄のサッカーの応援をすることは母の生き甲斐のようだった。
それなのに・・・。
「・・・私が中二で、兄が中三の時でした。
私をかばって、兄が・・車に・・ひ・・かれてしまって。
当時兄はサッカーで名門の高校からスポーツ推薦をもらっていて・・。
でも、足の怪我で取り消しになってしまって。
母は、兄にすごく期待していたので・・。
すごく悲しんで・・・」
あの時、私を見る母の目を、今でも忘れられない。
『どうして和寿なの? この子には約束されてた将来があったのに!』
思い出すと胸が詰まった。
ぎゅうっと締め付けられるように苦しい。
「なんだよ、それ。そんなの、・・・事故なんだろ? お前のせいじゃない」
桐谷さんは眉間にシワを寄せている。何時の間にか、すぐそばに顔があった。
「いいえ。私がいけないんです。私が道路に出たから、兄は・・・」
あの時ほど、自分の行動を後悔したことはない。
私が飛んだ帽子を追いかけなければ。
あの時、兄と一緒に出掛けようとしなければ。
どんなに願っても、時は巻き戻せれない。事故はなかったことにならない。
兄の足の手術とリハビリは長く時間を要するものだと医者は告げた。
もうサッカーはできない。それは兄を、母を絶望に落とした。
それでも、二人は私を責めなかった。
「事故だ」「仕方ない」「お前は悪くない」そう言ってくれた。
・・・でも、数ヶ月が過ぎると、二人の顔にはいつも暗い影が落ちていた。
術後の経過が良くなくて兄は毎日痛みに苦しめられていたし、母はそんな兄に付き添い、すっかりやつれていった。
仕事ばかりで家族に関心の無い父は、兄が入院している時でも単身赴任先から戻って来なかった。
私は兄を励ましたかった。
元気になってもらいたかった。
毎日病室にお見舞いに行って、色々おしゃべりをして聞かせた。
兄は喜んでくれた。喜んでくれてると、思っていた。
でもある日、いつものように笑って聞いていた兄が唐突に泣き出した。
シーツに顔を埋め「僕だって、高校に行きたかった・・・!」と言いながら。
母は真っ青な顔で私を見た。
「鈴音、和寿が大変なのに、あんただけ笑って楽しく過ごさないで。
この子が可哀想でしょう!?」
そう泣き叫んで、私の肩を揺さぶった母。
「・・・家族のそばにいるのが辛くて、あえて実家から遠い場所の全寮制の高校を選びました。
でも、・・そこでも、私と親しくしてくれた人が、怪我をする・・事故があって」
声が震えた。
あの日。何があったのか未だによく思い出せない。
とにかく私は階段から落ちて、彼を巻き込んで怪我をさせた。
そして、留学生だった彼は自国に帰って行ってしまった。
彼と仲が良かった数人の子達から責められた。
『彼のこと怪我させておいて、なに呑気にしてんのよ!』
『そうよ! 人を怪我させておいて、何もなかったみたいに笑ってるなんて許せない!』
本当に、その通りだと思った。
私は、笑って楽しく過ごすべきじゃない。
兄の人生からサッカーを奪い、クラスメイトの彼にも怪我を負わせた。
「私といると、誰かにまた怪我させちゃうんじゃないかって、怖いです。
それに・・・。兄から笑顔を奪った私には、毎日を楽しく過ごす権利なんてない、から。
だから、桐谷さん。
もう、私に、あなたたちの・・綺麗で、楽しい・・世界を、見せないでください」
おねがいします、という言葉を言い終わらないうちに、桐谷さんに抱きしめられた。
息が、止まるくらいの力強い抱擁だった。




