14 久しぶりの「おやすみなさい」
ふわりふわりと揺れる体。
あれ? ここ、どこだっけ?
浮上する意識。視界がハッキリすると、目の前に黒い頭があって、驚いた。
「ああ、目が覚めたか? ちょうど、もうすぐ会社だから起こそうとしてたところだ。家はどっちだ?」
「え? あ、あのっ、お、降ろしてくださ・・」
声が近い。
つまり私は桐谷社長におんぶされて移動している。
なんで?どうして?一体なにがあったんだっけ?
頭の中を総動員させて状況を整理しようとするけど、焦ってぐちゃぐちゃでまとまらない。
桐谷社長は、ピタリと足をとめると、スッとしゃがみ、私を下ろしてくれた。
でも、足はカクンと崩れ、また桐谷社長の背中に倒れこんでしまう。
そのまま、またおんぶされた。
「まあ、酔っ払ってるからしかたない。以後、気をつけろ。
今日はこのまま送ってやるから。どこだ?」
「あっちです。・・もうしわけございません」
「別にいい」
歩くこと五分。なのにいつもよりも何倍も何倍も長く感じられるのは、運んでもらっている申し訳なさか、おんぶしてもらってる恥ずかしさか、酔っ払ってクラクラしてるからか。
どれも、かなあ。
手で触れている背中はスーツだし硬いのに、すごくあったかい。
なんて不思議なんだろうと思った。
「ここです」
私が指差したアパートを前に、桐谷社長は足を止める。
「・・・ここか?」
「はい。ここです。あの・・」
降ろしてくださいと言いたいのに、社長はスタスタ歩いている。
「何号室だ?」
「・・一番右端です」
「一階かよ・・。開けて」
何故かそのままの姿勢でドアに横付けされる。ポケットから鍵を出して開けようとするのに、酔っているせいか、鍵が鍵穴に入らない。
「・・・はいらない」
「貸せ」
社長は私をおんぶしているのにも関わらず器用に鍵を受け取り、すんなりとドアを開けた。
ようやく地面に降ろしてもらったけど立っていられなくて、私は小さな玄関で座り込んだ。
「ほら、あと少しだ。しっかりしろ」
桐谷社長の大きな手が私の足からスルリと靴を脱ぎとる。
わ、わ。なんてことを社長サマに!
「あの、どうもありがとうございました」
頭を下げると眠気でまぶたが重くなる。おっと、いけない、いけない。
顔をあげると、社長は真っ直ぐ部屋の奥を見ていた。
?
「・・カーテンは?」
「え? ありますよ」
窓には白い物がかかっているのに見えないんだろうか。
「あれはレースカーテンだろ。外から見える」
「えー・・?」
そうなの?
「ベッドは?」
「そこに」
私は畳んである布団を指差す。
「・・・」
「電気は?」
「そこです」
唯一ある家具の机の上のスタンドを指差すと、社長は顔に手を当ててハア・・と深いため息をついた。
ボロいからね。呆れられてしまったよね。仕方ないんだけど。
「あの、もうだいじょうぶなので、あの・・」
帰ってくださいとは言い難いけど、言ってもいいよね。眠いし。
「明日の朝、連絡をくれ。裏に俺の番号が書いてある」
社長は名刺を一枚渡し、私の頭をポンポンと撫で「また明日な」と出て行った。
・・と思ったら。
一度閉まったドアはまた開いて、もう一度桐谷社長が顔を出した。
「お前、俺が出たらちゃんとドアの鍵かけろよ。おい、聞いてるのか?
・・ああ、いいや。鍵掛けてやるよ。ポストから落としとくから朝、回収しろ。
もう半分寝てるじゃねえか。おい、汐崎、スーツのまま寝るなよ、脱いで寝ろ」
桐谷社長の声は低くてほどよく響いて、心地良い眠りへと誘う。
もう一度頭を撫でられ、「おやすみ」と去って行った。
バタンと閉まったドアに、返事をしてみる。
「おやすみ、なさい」
久しぶりに言った、眠る前の挨拶は、かすれてしまって上手く言葉にできなかったけど、心がほうっと温かくなったのを感じた。




