10 ごはんが食べたい
「ちょっといいかしら。ねえ、今夜って予定空いてる?
急で悪いんだけど来週末の予定が埋まっちゃって」
昼をすぎた頃、山本さんが私に声をかけてきた。
「汐崎さんの歓迎会をしたいんだけど、どうかしら?」
「かんげいかい?」
「ええ。金曜日の夜に、仕事が終わってから皆でお食事に行きましょうってことよ」
「あ、いえ。そんな・・、高いところには」
お食事って、きっと何千円もする。そんなお金、ない。
私が両手を小さく振ると、山本さんは「あら」と唇に綺麗な爪の指を当て、ふふふと笑う。
「桐谷社長サマのオゴリよ。皆で行きましょうよ。皆って言っても、ここにいる四人だけだから。
私が来た時にも、連れてってもらったわ。遠慮しなくていいのよ」
「は、はあ」
「ね、予定がないのなら、決まり」
「は、はい」
ということで、歓迎会という名のお食事会に連れて行ってもらうことになりました。
いったい、どんなところなんだろう・・。
「ん、七時か。今日はここで切り上げだ。支度しろ」
時計を見上げて桐谷社長がパソコンの電源を落とす。
私もデータを保存して、電源を落として鞄にしまった。支度、と言ってもパソコンの鞄はデスクの足元に置いてあるので、私の持ち物はこれだけだ。
男性二人が鞄を持って部屋を出るのについて一緒に廊下に出ると、奥の更衣室から山本さんが出てきた。
「あら。おまたせしちゃったかしら」
「いや。行くか」
「予約はとった。店は・・」
三人のやり取りを見ているだけで見惚れてしまう。山本さんはなんだかさっきよりヒラヒラしてて綺麗だし、社長はいつでもカッコいい。石橋さんも。
洗練された大人だなあと思う。
私、皆さんの中に紛れてていいのかな・・?
「あら。汐崎さん、大きな鞄、持って行くの?」
「は、はい」
「お前・・今夜も家で仕事するのか? 飲み会の後で?」
「え? はい」
「・・・」
あ。なんか変な顔されてる。
あれ? 家でもやるのって駄目なことなのかな?
「あの、いけませんでしたか?
パソコンは社外持ち出し禁止とか、決まりがありますか?」
「・・いや。構わない。でもやり過ぎはダメだ。俺が出した分だけにしろよ。
鞄、重くないか?」
「平気です」
重いけど。お店が近いことを祈ろう。
着いたお店は、和風の店で、表に赤ちょうちんが並んで光っていて、とてもキレイだった。
ジッと眺めていたら「入るぞ」と桐谷社長の手が背中に添えられる。
「あ、すみません。あの、鞄も」
歩き始めたらスッと私の肩から鞄が社長の腕に持っていかれた。
山本さんが言うには、重い物は優しい男性にお任せしちゃってもいいらしい。
けど。自分の鞄を社長に持たせる新入社員なんて聞いたことがないと思う。
でも桐谷社長は私が手を伸ばしても鞄を返そうとしない。
「俺には重くはない。気にしなくていい。それより、居酒屋は初めてか?」
「はい」
居酒屋どころか、ここ数年飲食店に入ったことがありません。
小学生の頃には行ったっけ。あの頃は、家族みんなで・・。
中は広いような狭いような。
テーブルごとに仕切りがあって、それぞれの席で笑いながらおしゃべりする人達と店内をお皿を持って歩く店員さんとでとても賑やかだ。
テーブルには普通のイスのところと、一段高くなった畳の上にテーブルが置いてあるところとがあって、私達は靴を脱いで畳の上に座る。
壁にもメニューなのか、色々な字が書いてある。柱のところにはよく分からない置物が飾ってある。
キョロキョロしてしまいそうになるので、気持ちを落ち着かせた。
「さあ。まずはビールが・・三つと、ソフトドリンクは何にする? 汐崎さん」
「そ、そふと?」
ソフトクリーム? え? そんなわけないよね。
「ジュースのことよ。ほら、ここの。オレンジ、アップル、グレープフルーツ、ジンジャーエール・・」
「お、オレンジジュースがいいです!」
憧れのオレンジジュース! 久しく飲んでいない。
勢いよく言うと、そばでメモをとっている男の店員さんがくすりと笑った。
「じゃあ、まずはそれで」
「はーい、かしこまりました。カワイイお姉サンですねー」
「汐崎さん、奥に座りましょうか」
「早く、行け」
にっこり笑う店員さんに、通路側の私と入れ替わろうとする山本さん。
店員さんにチっと舌打ちする石橋さん。
?? なに?
「さあ、何がたべたい?」
桐谷社長が私に向かって大きな写真付きのメニューを差し出す。
そこには、ありとあらゆる料理が書かれていて、私は端から順に目で追った。
この中から、食べたいものを考えるなんて!
すごい。すごく嬉しいけど、嬉し過ぎて決められない!
しばらく考えて、私はメニューを指差した。
「あの、この、・・ご飯を、お願いします」
シーン、と辺りは静まり返り、社長達は固まっていた。
・・あれ?