予感
キリは、ふと顔を上げた。もう大分日は昇り、冬には珍しく空は晴れていて、久しぶりの青空が目にまぶしい。毎年この時期は冷えるが、今日は一段と冷え込む。自分の吐く息が白くふいごのように立ち上るのが見える。鼻の奥がツンと痛んだ。
今日は父さん、早く帰ってくるかしら。とキリは思った。キリの父、源九郎は猟師で、朝早くから獲物を捕りに出かけていた。ここ最近はあまり獲物が取れなくて、毎日日が暮れてから遅くに帰ってくる。キリは知っていた。あまり頼れる人のいない自分の家は生活が苦しく、父が苦労していることを。父は無口であまり愚痴をこぼさないが、そういうことは黙っていても伝わってくる。
キリは家の周りの雪を掘っているところだった。雪かきは、キリの毎日の日課だ。これをさぼると、おちおち家から出ることもできない。特に昨夜の雪はひどくて、朝見たときはキリと父の家は半ば雪の中に埋もれていた。父がかんじきで苦労しながら出かけていくのを、キリも手伝いながら見送った。父が出かけてからもう大分時間もたったので、雪かきはほぼ終わり、キリはぼんやり物思いにふけった。
最近嫌な夢を見る。内容は覚えていないが、まるで何かに急き立てられるような、なにか恐ろしいものがすぐそばまで迫っているような、ざらりとした感触の夢だ。なにか良くないことが起きる予感がした。キリのこういう勘はよく当たる。よくもわるくも。幼い頃はそれほど大したことなかったが、ここ数年は特に頻繁に当たるようになった。なんだか、だんだん勘が鋭くなっていくようだ。キリは人と違う自分のことをずっと疑問に思っていた。(どうして、わたしは他人と違うのだろう?どうして、他人にはわからないことが分かってしまうのだろう?どうして、髪も目の色も他人と違っているのだろう?)そう、母のように。
母さん……。キリは、母のことを思った。母は特別だ。キリの母は、キリがまだ14歳だった一昨年の暮れ、肺を患って死んでしまった。キリの母は、名を和葉といって不思議な人で、どこの村の出身とも知れず、ある日ふらりとあらわれて、源九郎と恋に落ちそのまま結婚してしまった。和葉の髪の毛は明るい栗色で、黒髪ばかりの村の中で目立っていた。和葉はおとなしい性格だったが、勘の鋭い人で、たまに予知のような言葉を口にして、それがよく当たった。村の者は和葉の予知を重宝する半面、彼女のことを気味悪がって避けていた。
キリは確実に母の血を引いていた。成長する度に、外見も特別な力も母に近づいていく。
幼い頃、キリは他人と違う自分が嫌だった。ある日、キリは何故母と自分はこんなに他人と違うのか、泣きながら母に尋ねたことがある。でも、和葉は困ったように微笑むだけだった。
「キリ、ごめんね、今はその質問に答えることができないの。キリがもっと大きくなって、お姉さんになったら話してあげる。だから今は我慢してね。いずれ必ず分かる時が来るから」
幼いキリは、まだ胸の中がもやもやしていたが、黙ってうなずいた。なぜなら、母の微笑みがとても悲しそうだったから。
和葉は寂しげな瞳をして、うなずくキリの頬に付いた涙を、やさしい白い手で拭ってくれた。
キリはそれ以来、ずっとその時のもやもやを胸に抱えて生きてきた。両親を悲しませたくなくて、母にも父にも吐き出せなかった。胸の底に澱のように溜まった疑問は、片時もキリから離れていかない。ある人物と一緒にいるときを除いて。
2011.2/9 加筆修正しました。