獣の目3
キリは前方で父の頸から、赤いものが吹き上がるのを見た。冬の厚着にも関わらず、どんどん赤いものが服に広がっていく。雪に散った飛沫が、彼岸花の色を連想させた。
父は声もなく、崩れた。すると、父の背中の向こうにいた父を手に掛けたモノの姿が見えた。その目は爛々と輝き、次の獲物を見据えていた。
キリはその獣の目に射抜かれた瞬間、全身を衝撃が突き抜け、金縛りのようになっていた体のこわばりが解けた。キリは急いで荷物を掴むと、脱兎のように駆けだした。
父の思いを無駄にするわけにはいかない。最後に見た父の目は優しかった。鼻の奥が焦げる匂いがしたが、今は泣いている暇などない。
背後で男衆の怒声と、ざくざくと雪を踏みしめる音が聞こえた。足元の雪はまだやわらかく、重い足枷となってキリの脚にまとわりついた。いつ追いつかれるかわからない。
うまく足を動かせないもどかしさがあったが、キリは必死で前に進んだ。山に入れば、なんとか撒けるかもしれない。今は父が稼いでくれた距離が頼りだ。息が上がり、肺がヒリヒリと痛む。
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キリの姿が山の木々の中に消えるのが見えても、村の男たちは雪に付いたキリの足跡をゆっくり追っていけばいいと、あまり急がずに歩いていた。
空はどんよりとした曇りで、半分ほど雪から頭を突き出した木々の黒と、青みがかった雪の対比が印象的だ。その中に、キリが必死で通って行った跡が残っている。
少し離れたところにキリの姿が小さく見えた。白い息が風に流されていく……と思った瞬間、いきなりキリの姿が消えた。ものすごい地響きがして、もうもうと雪煙が上がる。雪崩だ。
キリが消えた辺りまで行くと、まだ流砂のように雪が流れていた。遠くからでは見えなかったが、そこは急に切り立った崖になっていた。崖の上に雪がせり出していて、崖に気づかないことはよくある。キリも気がつかず足を踏み外し、雪崩に巻き込まれたのだろう。崖下にはまだ雪煙が立ち込めていて、雪崩の激しさを思わせた。
男たちはたった今起こった出来事が信じられず、しばらく茫然としていた。しかし、誰かが
「これだけの雪崩に巻き込まれては助かるまい。魔物は山の神が罰してくださった。もう帰ろう」
と掠れた声で言うと、一瞬その場が白けた空気になったが、皆異論はないようでそのまま引き返すことにした。どちらにせよ、雪崩に巻き込まれて放置されれば、助かる者などいない。
その時、引き返していく男たちは気づかなかったが、一対の金色の目が遠くからその様子を見つめていた。