警告2
翌朝、キリは早起きをして、出かける支度をした。父が出かけるのを見届けると、自分もすぐに家を出た。
動悸がおさまらない。ハルに夢で見たことを伝えなければ。もうすぐこの村中に疫病が蔓延する。それから、よくわからないけどもっと他に何かが起きる予感もした。手遅れになる前に、早くハルに村を出るように伝えなければ。どこでもいい。この村から離れてさえいれば。
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ハルの家に着くと、例によってハルの両親には嫌な顔をされたが、キリはそんなことにかまっていられなかった。ハルの姿が見当たらない。ハルはどこだろう。息せききって「ハルはどこにいるのか」とハルの母親に詰め寄ったら、キリの迫力に押されたのか母親はしぶしぶ「今朝は具合が悪そうだったから、まだ寝ている」と言った。
キリはそれを聞いて顔面蒼白になった。母親の制止も振り切ってキリはハルの家に上がり込むと、ハルを探した。ハルの家は、キリの家と同じように雪国特有のがっしりとした造りで薄暗かったが、暖かくて心地が良かった。
ハルはすぐに見つかった。布団にくるまり横になっていたが、キリの姿をみると驚いたように身を起こした。意外に元気そうで、顔色もそんなに悪くなかった。むしろ、ここまで息をつめてきたキリの方が、具合が悪そうにみえる。
「どうしたの?キリ、お祝いはそんなに急がなくていいのよ」
と言って、ハルは笑った。冗談を言う余裕があるなら、大丈夫だ。
「あのっハルが病気でっそれでわたし、知らせに来ようと思って……っ」
キリの言葉は慌てていて要領を得なかったが、ハルは落ち着いてキリをなだめた。
「確かに今朝は少し具合が悪くて寝ていたけれど、そんなに大したことではないわ。それより、そんなに慌ててキリらしくないよ。落ち着いて、何があったのか話してごらん」
キリは大きく深呼吸をして、気持ちを鎮めようとした。胸のざわめきは収まらないが、それでも幾分落ち着いて話しだすことができた。
キリは順番に説明した。最近、嫌な夢を見るようになったこと。そして、その嫌な予感はとても強かったこと。今までは、夢をみても内容はあまり覚えていなかったが、昨夜見た夢は違ったこと。その夢の中にハルが出てきたこと。色々な像が頭の中に流れ込んできたこと。
「いい?よく聞いて。夢の中で、ハルはひどい病に罹っていた。大人でも死ぬような病気よ。もうすぐ、この村で疫病がはやる。早くこの村を出たほうがいい。ハルが死ぬかもしれないのは、嫌だ」
「なに言ってるのよ。今朝はたまたま寝ていたけど、わたしはこの通り元気よ。わたしが死ぬわけないでしょう…?」
ハルはキリの話を聞いても、それほど動揺しなかった。しかも動揺しないばかりか、話し終えても悲痛な顔色をしているキリを、安心させるように優しく微笑んでみせた。
「実は、キリが何か悩んでいることは知っていたの。きっとキリのいつもの勘のことだと、分かっていた。話してくれてありがとう。でもね」
ハルは急に強い色を、その黒い瞳に浮かべると続けた。
「わたしは、父さまと母さまを置いて村を出ていけない。春になって、嫁ぐまでこの村にいるわ」
「どうして!死ぬかもしれないのよ!わたし、ハルがそんなことになったら耐えられない。今まで辛いことがあっても、ハルがいたから頑張ってこれたの。お願いだから、この村を出てちょうだい。他の人がどうなっても、ハルだけは無事でいてほしいの」
納得せず震えながら反論するキリに、ハルは聞き分けのない子供を諭すように言った。
「わたしはこの村で生まれ育ったわ。この村の人々はキリに辛く当たってきたかもしれない。でもね、わたしもこの村の住人で、村人はみな親戚も同然なのよ。一人だけ、安全な場所に逃げるわけにはいかないの」
でも……と、なおも続けようとするキリを遮って、ハルは
「それにね。わたしは、まだ死ぬと決まったわけじゃないわ。勝手に人を殺さないで」
と、明るい瞳をくりっとさせて、笑った。
ハルはいつものハルだ。(ハルは、わたしよりずっと大人だ……)キリは、ハルに比べて幼い自分を恥じた。どうして、ハルはこんなに強いのだろう。わたしは、ハルを失うかもしれないと考えただけで、こんなに体が震えてどうしようもないのに。
でも、よく見ると、ハルは手を強く握り込んでいて、指先が白くなっていた。唇もかすかに震えている。そうだ、ハルだって怖くないはずはないのだ。それなのに、冗談を言ってキリを励ましてくれた。キリは、目のふちが熱くなるのを感じた。
キリは黙ってハルを抱きしめた。普段は明るく元気なハルだが、こうしてみると華奢でいかにも頼りない。着物越しにハルの体温が伝わってくる。
「わかった。わたし、自分のことばかり考えていた。ごめんね、ハル。一人だけ村を出るわけにはいかないよね。でも、やっぱり心配。身体には十分気をつけてね……」
キリが小さな声で囁くと、キリの耳の横でハルがうなずくのを感じた。キリはハルから身体を離すと、おもむろに懐から小さな包みを取り出しハルに渡した。
「なんだかおかしな順番になってしまったけれど、あらためて婚約おめでとう。これ、古いものだけど、ハルに似合うと思うし、貰ってちょうだい」
ハルは、何だろうという様子で包みを開けて、翡翠の玉簪を見つけると目を剥いた。
「だめよ!こんなの貰えない!これはキリのお母さまの形見じゃない。とてもじゃないけど、受け取れないわ」
ハルが慌ててキリに簪を返そうとすると、キリはその手を簪ごと包んでハルの胸の前まで押し戻した。
「いいから。わたしの一番大事なものを一番大事なハルに持っていてほしいの。なんでもいいって言ったじゃない。これはわたしにできる精一杯のお祝いだよ。父さんも賛成してくれたわ」
「本当にいいの?」
とハルが言うと、キリはその日初めてキリらしい柔らかい笑顔を見せた。