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願い

作者: 夏野簾
掲載日:2026/03/23

 願いは美しい。きっと、この世に”美しいもの”が本当にあるのだとしたら、願いはその一つなんだと思う。


 そうであってほしいと、思わせるくらいには。


 かじかむ手をこすりながら荷解きをする。やろうやろうと思いながらだいぶ日付もたってしまって、結局寒い中やることになってしまったのは紛れもなく自分のせいである。


 暖房をつけながらでもいいのだが、あいにくとひもじい私にとって、なるべくなら節約したい。


 一つ、また一つとダンボールを開くたび、冷え切った手が切れないか心配になる。乾燥もあいまって嫌な気持ちになるのは目に見えていて、こんなことならもっと早く整理しておけばと何度も思い返すし、後回ししたい気持ちにもなってくるが、あいにくと生活に必要なものすら出し渋っていたので、とうとう耐えきれず今日という日を迎えてしまった。衣替えはまだにしても、洋服くらいは整理しておくべきだったか。


 シンとした空気の中、まだ少し慣れない部屋を少しずつ片付けていく。幸いなことに収納には困っていなかったから、一つずつ丁寧に入れていく。別に、整理することが苦手だったわけでもないし、前まではそれもこなしていたのだから。


 上手く切り替えができないのが私の昔からの悪い癖だ。でも、悪い癖というのは、直せるなら苦労しないわけで、だからクセとして残ってしまうんだろう。決して言い訳なんかではない。直せるのなら、それこそ高校受験で第一志望に落ちてしまったときに直している。本当はこの高校じゃなかったのかなとか、あのときはあのときで楽しかったけど、時々そう考える。もしかしたら、大した変化はなかったかもしれないし、大きく変わっていたかもしれない。もう10年も前のことだし、気に病んでいるわけではないけれど、当時としては吹っ切れるのにも時間がかかったし、昔の話になると心のどこかで、落ちたけどね、と思ってしまう自分がいる。


 心はささくれだらけだ。それでも生きていくには日々をこなすしかないし、別に希死念慮があるわけでもないから、私はそういう人間なのだと思うしかない。


 緩慢な動作ではありながら、少しずつ片付けを済ませていく。


 片付けてみると案外、この部屋も広くて悪くないのではという気持ちになってきた。片付けという行為にも意味があったのだな、と少しだけ思う。心が晴れやかになるというか、確かに掃除は嫌いではないが好きでもないので面倒だなとは思ってしまうものの、綺麗な部屋にいるのは悪い気分ではない。


 さて、と。最後の荷物にとりかかろうとする。ここが一番気分が重い。


 別れたあと、彼に関係する荷物はなるべく持ってこないようにしていて、我ながら未練がましいな、なんて思ってはいたが、それでもこれは少しだけ、あのときの気持ちが見え隠れしてしまう。


 捨てたり忘れたふりをして置いてきてもよかったかもしれない。それができないから、私はいつまでたっても過去に囚われてしまうのだろうか?


 思い返せばよかったこともあったし、悪かったこともあった。でも、未来はきっと、いいものになると信じていた。


 ”いいもの”が、具体的にはわからないけれど、でもそんなに悪いものにはならないんじゃないか。だって、そう。あの時の私は、そんなに悪い気持ちではいなかったのだから。


 でもそうはならなかった。人との別れ一つでこうもダメになってしまうなんて、付き合ったときは思いもよらなかった。


 想いは身勝手だ。勝手にそうなると思い込んでいて、それは空想と変わりはない。未来を願っていたのも、今となってはただ努力をせず、なにかを得ようとしていたのかもしれない、なんて大げさなことすら考えてしまう。 


 わからない未来のことを、願い、祈り、想う。それは見えなくても――いや、見えないからこそ、願いはそれ自体でなによりもきれいで、美しい。だから、願いは願っていたくなるものになってしまうのではないのか。私が未来を想っていたのは、それがただ、美しく見えてしまって、それに惹かれてしまっただけではないのか。


 過去の輪郭を携えている、ただの箱。いい加減にと意を決して最後のダンボールを開ける。無駄に勢いよく開けたせいか、あれだけ気にしていたのに人差し指に軽く傷がついてしまった。


 作業をしていた手は乾燥でカサカサになっていたし、すっかり冷え切っていたし、なぜだかわからないけれど――いや、わからないふりをしているのだけど――目元も冷えてきた。


 シンとした空気が鼻腔を通り過ぎる。もう、すっかり冬がきた。


 

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