パーティー、こころのすき間
心臓に負担のかかるようなおどろきはあたえないことを条件に、あたしとともやはあかりの家を次々と飾っていった。
今日、あたしたちがパーティーを開くことをあかりは知っているはずだ。とても勘の鋭い子だから。
その彼女を、おじさんが車で連れて帰るまでの間が勝負だ。
100円ショップのパーティーグッズをはじめ、風船にお菓子、ドリンクなんかも余念がなかった。
ただ少しちがうのは、だれもがほぼ無言だということ。
あかりの両親もあたしたちも、彼女の退院が一時的なものだと知っているからだ。
時おりおばさんがジュースを振る舞ってくれつつ、どこかしめっぽい雰囲気でありがとうね、と何度も繰り返していた。
あたしたちも、どう答えていいかわからず、お礼を口にしたものの、ジュースの味なんて結局わからなかった。
あかりの命以外は、完璧に飾り付けがおわった。
おばさん特性のケーキも準備できて、本来ならよろこびに満ちていなければならないはずのあたしたちのこころも、少しずつテンションをあげていった。
だけど。
ともやとはあれ以来、まともに話もしていない。ほとんどメールだけですませてしまっているからだ。
無理もないか。ふたりであんなに泣きじゃくったもんな。恥ずかしいし、なによりも、泣いたところでなんの解決にもならなかったということがよけいに気まずさを増す。
「クラッカーは買ってないし、鳴らさないんだよね?」
「うん。あかり昔に花火大会で発作起こしたことがあるから、鳴り物禁止な?」
「わかった。けど、なんかやっぱりさみしいな」
このくらいの会話がせいぜいだ。
パーティーがおわれば、ともやはアメリカに行ってしまう。そこですべてが解決するかどうかもわからないのに。
そうと知っても、親の判断だ。しかたない。
一部のテレビで本人不在の取材が流れた程度だけど。それでも、似たような境遇の人が見たらうらやましく感じるのだろう。
あかりもきっと、そうにちがいないわけで。
本当にそれでいいのかな?
ともやは、自分が知らない間にあかりになにかあっても、後悔しないのかな?
大きなお世話だけど、このままだと、ともやのこころがこわれてしまいそうに感じられる。
その時、家族が支えになってくれるのだろうか?
ともやはそれでいいの? なんて、とても聞けない。まるであたしが偽善者になったような気がしてしまうから。
やっぱり命って、重いんだな。
つづく