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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

転生サイトにお気を付けください

作者: 夜長月虹

【第1章 日常】


 俺の部屋は息が詰まる。

 黴臭い湿った空気が喉に絡みつき、埃と汗の匂いが鼻を刺す。カーテンは閉じたまま、窓の外は薄い布越しにしか見えない。細い光が床に伸びて、散らばったゴミ袋やコンビニ弁当の容器を照らす。時計は止まっていて、時間はここでは意味がなかった。

 学校には、もう何年も行っていない。理由は特になくて、今日はなんだかだるいなと思って休んでから、なんとなく行かなくなった。

 最初はうるさかった家族の声も、聞こえなくなって久しい。俺はただ、この狭い部屋に閉じこもって日々を過ごしている。

 唯一の楽しみは、ゲームにマンガ、アニメ。そして、小説を読むことだった。中でも転生ものには目がない。

 俺みたいに冴えない男が異世界に飛ばされ、手に入れたチート能力で無双する話。


「さて……」


 平日の昼間、今日も現実を忘れるために薄暗い部屋でスマホを手に小説サイトを開く。

 俺には、何もない。友達も、夢も、未来も。でも、小説の中なら俺は英雄だ。

 似た境遇の主人公に自分を重ねる。可愛い女の子に囲まれて、誰よりも強い自分に酔いしれる。

 その日も、いつものようにネットを漁っていた。


「これは……この前読んだな」


 代わり映えのしないランキングにため息をつく。

 上位にあるものは、大体読み尽くしてしまった。

 仕方がない。たまには掘り出し物を探すのも悪くないだろう。

 検索欄に「転生」の二文字を入力して検索ボタンを押す。


「どれにしようかな?」


 どれもこれもあらすじの内容は似たものばかり。だが、俺としては気軽に読めるものであればなんでもいい。

 そう思って指を動かしていると、


「……ん?」


 ふと、奇妙なリンクが目に飛び込んできた。


『――転生サイト―― お好きな異世界へ転生できます』


 小説ではない。よくある広告バナーだ。

 赤い文字が黒い背景に滲むように浮かんでいて、なんだか血が滲んでいるみたいだ。

 どうせ詐欺か冗談だろうと思ったけど、少し好奇心が疼いた。

 クリックすると、不気味なページが開く。背景は真っ黒で、入力フォームだけが白く浮かんでいる。「転生先の希望」「名前」「住所」。それだけ。説明も何もない。


「どうせネタだろ」


 と呟いて笑う。でも、ちょっと面白そうだなと思って、つい手を動かしていた。

 転生先は、「剣と魔法のファンタジー世界」。名前と住所は本物を打ち込んだ。

 本当に行けたらどうしよう?


「……んな訳ないだろ」


 そうは思いながらも、送信ボタンを押す瞬間、心臓の鼓動が少し速くなった。

 画面が暗転して、「受付完了」と表示される。直後、スマホが震えて通知音が鳴った。部屋に反響して、心臓が跳ねた。

 メールを開くと、件名が目に入る。


『件名: 転生手続きのお知らせ』


 指を震わせながらスワイプして内容を確認する。


『お客様、この度は「転生サイト」をご利用いただき、誠にありがとうございます。お手続きを進めるにあたり、まずはお亡くなりになっていただく必要がございます。担当者が間もなくお伺いいたしますので、少々お待ちください。    転生サイト運営事務局』


 間もなく――その言葉が脳に突き刺さった。

 お亡くなりになっていただく?


「ははっ……なんだよそれ……」


 冗談じゃない、スパムだろ。と自分を納得させようとしたけど、背中から冷たい汗が流れる。

 窓の外を見ると、夕陽が血のように赤く染まっていて、カーテンの隙間から影が揺れていた。風もないのに、カーテンが微かに動いた気がした。

 部屋の静寂が耳に刺さる。ゴミ袋が揺れる音がやけにうるさく感じた。


『――ピンポーン』


 突然、インターホンが鳴った。

 思わず肩を震わせ、硬直。

 ピンポーン。ピンポーン。

 規則的で、まるで機械が押してるみたいに高く鋭い音が部屋に響く。

 恐る恐るモニターを見ると、そこにはスーツ姿の人物が映っていた。

 それだけ見ればただの営業のように思えたが、違う。明らかに異様な点が一つあった。

 顔に、白い仮面を付けている。

 目が黒く塗り潰され、口元が裂けたように歪んでいた。


「な、なに……誰……!?」


 訳の分からない来客に俺は戸惑うしかない。

 そしてその戸惑いは、そいつの手に持った物が目に入った瞬間、恐怖に変わった。


「な……んで……っ!」


 ナイフなんか持ってるんだよ!


『――まずはお亡くなりになっていただく必要がございます』


 メールの文言を思い出して、喉が詰まる。

 ピンポーン、ピンポーン。

 なおも鳴り続ける音が、鼓動と混じって頭を締め付ける。

 ドアを叩く音が響いた。

 ドンドン、ドンドン。

 重くて鈍いそれは、まるで死刑を告げる木槌の音みたいに感じた。




【第2章 襲来】


 インターホンの音が止まらない。

 ピンポーン、ピンポーン。

 モニターに映る仮面の男は、じっとこっちを見ているようだった。黒く塗り潰された目が、俺の心臓を刺す。

 手にした鋭いナイフが、日光に反射してギラリと光る。ドアを叩く音が大きくなった。

 ドンドン、ドンドン。

 音に合わせてドアが軋み、揺れる。


「ふざけんな…!」


 俺は小さく叫びながら部屋の奥に飛び込んだ。携帯を握り潰す勢いで持って、警察に電話をかけようとする。

 しかし、


「は? な、んで……っ」


 画面には「圏外」の文字。Wi-Fiも死んでいる。意味が分からない。

 窓から外を見ると、仮面のそいつが下からこっちを見上げていた。仮面の歪んだ口が、笑ってるみたいに見えて、吐き気がした。


「――ああ、よかった。いらっしゃたんですね。私、転生サイト運営事務局の者です。こちら、開けていただけますか?」


 ドアの向こうから声が響く。

 電子音みたいで感情のない声。男とも女とも分からないそれに頭が真っ白になって、俺は反射的に窓から部屋を飛び出した。

 塀伝いに落ちるように下りて、外へ。

 冷たいアスファルトが靴を履いてない足裏を切り裂く。

 痛い。だが、そんなことはどうでもいい。

 後ろから足音が追いかけてくる。

 振り返ると、近づいて来る仮面の姿が見えた。反射するナイフの光で心臓が縮こまった。

 殺される! 殺される! 殺される!


「嫌だ……! 死にたくない!」


 叫びながら走る。

 道の先にコンビニの明かりが見えた。


「あそこに……っ!」


 思った瞬間、背後に気配を感じた。

 振り向くと、そこに――いた。

 白い仮面が視界に入って足がもつれる。

 刹那、ナイフが空気を切り裂いた。

 俺は悲鳴を上げて路地に飛び込む。ゴミ箱を蹴倒して、缶がカランカランと鳴った。息が切れて、足が震える。でも止まったら終わりだ。

 冗談なんかじゃない。捕まったら、殺される。


「クソ……なんでこんなことに…………ッ!?」


 路地を抜けると――仮面が静かに立っていた。


「嘘だろ……?」


 さっきまで後ろにいたはずなのに。どうやって……?


「なぜお逃げになるのですか? 私共はあなたの望み通りにして差し上げようとしているのですよ?」


 抑揚のない声に頭が混乱して、ただ逃げるしかできなかった。

 即座に来た道を引き返して走る。


「助けて……誰か!」


 街はなぜか人気がなく静かだった。助けを求める声は虚しく消える。

 どこへ逃げても、あいつの足音が聞こえる。

 コツコツコツコツ。

 絶え間なく響いて、離れない。



【第3章 追跡】


 どれだけ走ったか分からない。

 肺が焼けるように痛い。でも、立ち止まる訳にはいかない。

 汗と涙が混じって顔を濡らしていた。

 路地の暗闇から、機械的な声が響いてくる。


「手続きを続行します」


 その声が耳に突き刺さって、俺はまた走り出した。

 コンビニの前を通り過ぎた瞬間、トラックが猛スピードで突っ込んできた。

 俺を狙ってる。

 タイヤの軋む音とクラクションが耳を劈く。


「――うわぁ!?」


 転ぶように側溝に飛び込んでなんとか躱す。

 頭が狂いそうだった。

 あいつが操ってるのか? それとも仲間がいるのか?

 街は不気味なほど静かだった。人影がない。助けを求めて叫んでも、誰も出てこない。これだけのことが起きてるのに、それは流石におかしい。


「どうなってるんだ……?」


 ふと目に入った窓に映る俺の顔は、歪んで見えた。

 いや、違う。

 鏡に映ったのはあいつだった。仮面の黒い目が俺を見つめて、口が裂けるように広がる。

 俺は叫んで走り出した。幻覚なのか、現実なのか、分からない。


 公園に逃げ込んだ。

 木々の影が揺れて、まるで生きてるみたいだ。ベンチに座って息を整えようとした瞬間、背後に気配を感じた。

 振り返ると、仮面がそこに立っていた。

 ナイフが閃いて、俺の喉に迫る。俺は転がるように逃げて、茂みに隠れた。心臓が破裂しそうだった。

 茂みの中で息を殺すと、足音が遠ざかった。

 終わったのか? と思った瞬間、


「逃げられませんよ?」


 耳元から聞こえた気がして、慌ててその場から飛び出した。


「嫌だ……もう、許して……」


 学校にも行く。もう親に迷惑かけないから、頼むから、殺さないで。

 足音が聞こえる。

 涙が止まらない。

 逃げなきゃ。でも、どこへ?



【第4章 絶望】


 体力の限界だった。足が血だらけで、感覚がない。廃墟みたいなビルに逃げ込んで、コンクリートの床に崩れ落ちた。冷たい床が熱を持った体を冷やして、少しだけ冷静になれた。ここなら見つからないかも。そう思った瞬間、遠くで足音が響いた。機械的な、リズムのある音。


「嘘だろ…」


 俺は壁に背を預けて、息を殺した。足音が近づいてくる。コンクリートを擦る音がただただ不快だった。


「お客様? 出ていらしてください」


 声がビルに反響して、頭を締め付けた。

 逃げなきゃ。でも、体が動かない。恐怖で固まった俺を嘲笑うかのように、足音はだんだんこちらに近付いてくる。


「クソ……!」


 無理やり体を動かし、俺は這うように逃げた。

 階段を下りて、別の部屋に隠れる。ドアを閉めて、物陰に身を潜めた。静寂が訪れて、少しだけ安堵する。

 その瞬間、


 ――ガチャガチャ。


 金属の軋む音。

 物陰から顔だけで覗くと、ドアがゆっくり開いて仮面が入ってきたのが見えた。


「お客様、手続きが遅れております。そろそろお亡くなりになってください」


 入り口の扉は一つ。黒い目が隠れているはずのこちらを確実に捕らえて、逃げ場がない。

 俺は叫びながら窓に飛びついた。ガラスが割れて、手が血だらけになる。でも、走った。

 どこへ行くあてもなく。


 住宅街。

 後ろからの足音は鳴り止まない。

 焦燥に駆られた俺は、目に入った民家のドアを叩いて助けを求めた。


「すみません、開けてください! すみません!」


 どこでもいい。誰でもいいから、助けが欲しかった。

 ドアを叩き続けると、ガチャッと音を立てて、中から主婦らしき女性が出てきた。

 それを見た瞬間、安堵が俺の胸を満たした。

 助かった。


「突然すみません! 変な奴に追われてるんです! 警察……警察を呼んでくださ――ッ!?」


 そこで言葉に詰まったのは、その状況を、俺の頭が理解できなかったからだ。


「痛っ……え……?」


 熱い感触に、思わずお腹を押さえる。

 恐る恐る視線を下げると、


「――ッ!?」


 包丁が刺さっていた。

 刺されたんだ、と分かったのは、持ち手に女性の手があったからだ。


「な……な、んで……?」


 訳が分からない。

 でも、そこで気付いた。

 目の前の女性の顔。全くの無表情でこちらを見るその目は真っ黒に塗り潰されていて、まるであの仮面と同じだった。


「手続き……協力……」


 ブツブツと呟く女性が、俺の腹から包丁を引き抜く。

 瞬間、血が溢れ、床を濡らした。

 途切れそうになる意識。

 気力を振り絞ってなんとか耐えた俺は、その場からよろよろとした足取りで離れた。



【最終章 後悔】


 逃げ場なんてなかった。

 足は鉛のようで、走ることができない。刺されたお腹が焼けるようで、息ができない。

 街の端にある川沿いにたどり着いて、へたり込んだ。

 あいつの足音が近付いてくる。

 もう駄目だ。

 視線を向けると、そこに仮面が立っていた。


「こちらで手続きは完了となります。お疲れ様でした」


 相変わらず抑揚のない声で淡々と言う仮面。


「死にたくない……助けて……!」


 手を伸ばしながら懇願する。


「申し訳ございません。そちらは業務内容に含まれておりませんので」


 無慈悲。無感動。望みは絶たれた。


「お苦しいでしょう? 少々お待ちください。ただいま楽にして差し上げます」


 言いながらナイフを振りかぶる仮面の姿が目に入る。


「嫌だぁ……!」


 無様に叫びながら転がって逃げようとした瞬間だ。


「――っ!?」


 ザブンと音を立てて、川に落ちた。

 水が冷たくて、肺に流れ込む。

 藻掻く力はもうなかった。

 息ができない。苦しい。大量の血液が水に溶けて視界を埋め尽くす。

 赤く染まった世界は、やがて黒く……そして、


「お客様、本日はご応募ありがとうございました。それでは、いってらっしゃいませ」


 無機質な声だけがやけにはっきりと聞こえた。

 あんなサイトさえ見なければ……。

 後悔が頭を埋め尽くす。

 俺が馬鹿だった。

 転生なんてない。都合の良い展開なんてない。

 もっと、ちゃんと生きればよかった。

 最後に聞こえたのは、仮面が立ち去る足音。機械的なそれは、まるで俺の命を嘲笑うかような音だった。

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