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54話 ジュニア・ハイⅡ

「……ということがあったんだよ、翠」


 ある日のこと、俺はいつものように翠の家に遊びに行っていた。

 池尻大橋のほうにある古い木造アパートの端っこの部屋で、いっしょに古い横スクロールゲームをプレイしながら、先日のできごとについて話した。

 俺はありえない頻度で炎を吐いてくるボスにぼこぼこにされていたが、翠がノーダメージであっさりと倒して、ゲームクリアとなった。

 ぷちん、と翠がブラウン管テレビの電源を落とした。


「どうするべきなんだろうか。俺は、このオーナーとやらに会いに行くべきなんだろうか。しかしそうするにしても、どう振る舞えばいいのか……」


 俺は、困ったことがあるとなんでもすぐに翠に相談してしまう。

 黙って話を聞いていた翠は、その大きな瞳で俺の顔を横から覗いた。


「驚いた。クマがパソコンのゲームに夢中なのは知っていたけど、スカウトされるほどのことになっていたなんて」

「だから、俺自身も困惑しているんだよ」


 もうずっとFPSに首っ丈であることは、翠にもそんなに話していなかった。

 以前、自分のプレイのクリップ動画をYouTubeにアップしてみたら思いのほか反響があったという話はしたことがあるが、それくらいだった。


「それで、クマはどうしたいの」

「わからないんだ。自分自身が、いったいどうしたいのか」

「迷うということは、少なからず行って話を聞きたい気持ちがあるということ。そして同時に、それには難があると感じてもいるということ。まずは、メリットとデメリットをはっきりと口に出してみたらいい。そうすれば、解決の糸口がみつかる」

「そうか……そうだな、翠はかしこいな」


 そのとおりだ。

 行くことにも問題はあるし、行かないことにも問題があるのだった。


「まずは、行きたくない理由を教えて」

「それは……単純だ。俺は、翠以外の相手だと、委員長になっていないとまともに話すことができない。そして委員長はゲームなんてしないものだ。少なくとも、FPSの対戦ゲームを生活の限界まで遊ぶようなことはしない。だからゲームの関係者に会いに行くと……俺が壊れてしまうような気がする」


 口に出してみると、俺がいかにそうした事態を恐れているのかがよくわかった。自分でもわかるくらい、声が震えている。

 目黒区立第一東中学校3年D組の学級委員長、亜熊杏介は、ゲームなんてしない。

 無遅刻無欠席で、品行方正で、うざったいくらいルールを厳格に守る男は、野蛮な対戦ゲームをやりこんでいたりなどしない。

 まして、世界ランク1位をめざすほどにのめりこむなんて、絶対に。


「ゲームをしていることなんて、俺はできればだれにも知られたくないんだ」

「なるほど。それなら、メリットのほうは?」

「……プロゲーマーになれるかもしれない」


 こちらもまた、単純な話だった。


「クマは、プロゲーマーになりたかったの?」

「ああ。俺にひとより優れているところがあるとしたら、せいぜいFPSの腕前くらいだ。それに、俺はああいうゲームが大好きだし……もしもそれをやって生活できたら、夢のようだと思う。ただ、今言った問題があったから、あまり真剣に考えたことはなかったんだ」

「それがここにきて、具体的な話が降ってきたということ?」

「そういうことになる。だから今回の話を無視したり断ってしまったりしたら……きっと、それはそれで後悔することになる」


 翠がおもむろに立ち上がった。薄いキャミソール姿で、冷蔵庫に向かう。アパートは老朽化が進んでいて、綿のように軽い翠が踏んでも、床が軋んだ音を出した。


「――つまり、状況を整理すると」


 冷やした緑茶をふたり分注ぎ足して、翠は言った。


「もしも委員長問題が解決するなら、クマは目的を果たすことができるということ?」

「そういうことになる……だが、難問だぞ。俺がやっているのはチームゲーだから、まずまちがいなくメンバーと話すことになるし」

「それでも、手がないわけではないと思う」

「ほんとうか? 翠」


 ああ、いつだって頼りになるのは翠だけだ。

 俺は、思わず前のめりになってしまった。


「その前に、まずたしかめておきたい。プロチームに入るということは、オフライン環境でもゲームをプレイしなければならない?」

「そうなる。大きめの公式大会になると、ほとんどがそうだ」

「なら、オフラインでだれかとチームを組んでプレイするとき、どういう条件なら、クマはいつものようにゲームができると思う? 現実的であるかどうかはおいておいて、あくまでクマの理想をいうなら」


 俺は、一考してみた。

 俺が満足にゲームをプレイできる状態は……。


「……だれにも顔をみられないこと。それと、会話をしないことだ。俺が俺だということがバレないなら、基本どんな環境でもプレイできる……と思う」

「それは、実現が難しいこと?」

「そう思う。だって、そんなプレイヤーはみたことがないし……」

「でも、100%ありえないというわけじゃない?」

「まあ、それはそうだが」


 前例がなさすぎて、俺にはうまく想像ができなかった。


「もうひとつ聞きたい。ゲームをしていない状態なら、クマはそのオーナーと会って話すことはできる?」

「それは……おそらくぎりぎり可能だ。ぜんぜんうまく喋れはしないだろうが」

「だったら、実際に会う前にメールの文面で、まずはっきりと自分の望む条件を伝えておくことが大事。今回の場合は、自分にはチームメイトと円滑にコミュニケーションを取るのはむずかしいということを、先に宣告しておく。未成年だからプライバシーを守りたいという理由で、一切のメディア露出も断ったほうがいい」


 メディア露出。たしかに、そういうこともありえるのか。

 おそろしい話だ。


「しかし、そんな条件で向こうが呑んでくれるのか……」

「それはわからない。でも、先方は特殊な手段を講じてでも、どうにかしてクマに接触しようとした。それがほんとうなら、クマのことを相当欲しがっているはず。だから、にべもなく断るということはないと思う」


 ……ふむ。


「そしてここからが重要なのは、悩む相手にこちらから譲歩の案を出すこと」

「こっちから? なにをだ」

「クマがやりやすい環境でテストプレイしてみて、そのうえで結果が出せたときに、はじめて自分を採用してほしいと伝える。そうすれば、クマは自分が実際にプレイできるかどうか試せるし、向こうも様子を見ることができる。いわゆるウィンウィンの関係になれる」


 なるほどな、と俺は思った。

 素直に条件を出せば、決めるのは向こうになるのか。

 俺が自分に都合のいい環境でテストを受けさせてもらい、そのうえで結果が出せなければ、それは端的に俺の実力不足だ。

 プロになるなんて夢のまた夢だとわかり、諦められる。おとなしく、中三からは塾通いだ。

 その反面、もしも結果が出せるなら……。

 これまで、まともに向き合うのもこわかったような夢が、叶うかもしれない。


 プロゲーマーに、なれるかもしれない――。

 そう考えるだけで、自然と手が震えてきた。

 その手を、翠が上から覆った。


「だいじょうぶ。いっしょに文面を考えよう」

「ありがとう、翠……」

「当然のこと。わたしはいつだってクマの味方でいる」


 そう言われると心強い反面、俺はふしぎな自責の念のようなものを覚えた。

 また、翠に頼ってしまった……俺はいつか、翠に頼らずともやっていけるようにならなくてはいけないのだろうな。

 だが、それはもうちょっと後回しでもいいだろう。

 もうちょっとだけ……。


 そのあとは、俺が考えた文章を翠が推敲し、というかほとんど手直しされて、内容がわかりやすく失礼のないメッセージを用意すると、件のオーナーである六道景虎氏に送ることとなった。

 いちど済ませてしまえば気分がラクになって、気を取り直して翠とレトロゲーで遊ぼうと思った矢先に、メッセージが返ってきた。


 それは、ほとんど二つ返事だった。

 快諾。

 どんな条件でも構わないから、ぜひオフィスにいらしてください――そんな内容だった。

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