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幕間 都築伊代子の場合

「たいへん、たいへん、たいへんっっっ」


 都築伊代子は、駆けていた。

 しかも、学校の廊下を駆けていた。

 LC学園高等学校は、学園長直々の強い要望によって、なぜだか校則の第一条が〈廊下を走らない〉であることは知っていたが、それでも必死に、駆けていた!


 イヨちゃん先生こと伊代子がめざしていたのは、校舎の最上階にある、とある一室だった。

 学園長室。同時に、理事長室。

 そのどちらも兼任する、この学園の長の城だ。


「学園長、たいへんですーーーーっっっ」


 バタゴンッと入室すると同時。

 伊代子は――あ、いけない、と思い直した。

 たしかこの時間、学園長は入用だったはずだ――!

 だから、すぐに伊代子はみずからの口を両手で塞いだ。


「――才能とは、なにか?」


 と、よく通る声が響いた。

 それは、伊代子に向けた言葉ではなかった。


「それは個々人の持つ、光る物だ。しかし光源とは、それが光を放つことそのものに価値があるわけではない。光源を観測して、うつくしいと思う人間が存在して、初めてその意味をなすといえる」


 彼女は、とあるプレゼンテーション――演説の真っ最中だった。モニターに向けて、ナイフのように切れた滑舌で言葉を発し続ける。


「たとえばここに、彫刻刀で鉛筆を削ることが、世界でいちばんうまい男がいたとしよう。彼はたしかに、だれよりもはやく、だれよりも華麗に、だれよりも上手に、鉛筆を削ることができる。だがしかし、彼はそれによって輝けるわけではない。鉛筆削りの才覚という光――はっきり言ってしまえば、それは観測者によってつまらぬ光として切り捨てられる」


 広い学園長室、その奥のエグゼクティブデスクに座る、ひとりの女性。

 その姿は、巨大なモニターによって阻まれて、ここからは見えなかった。


「はっきり言おう。才能とは、その時代の価値観によって意味を決定づけられるものだ。そしてその価値観は、今この瞬間にも激流のごとく変異し続けている。ひと昔前までは、上手な鉛筆削りのように意味のないものとして切り捨てられていた才覚が、今でこそ燦々と輝くことがある。みなさんには、私がなにを指しているのか、よくおわかりだろう――そう、ゲームだ」


 そう語る彼女の背には、LUX LUDUSと横文字が書かれた掛け軸がある。

 それはラテン語で、〈遊戯《ゲーム》の光〉を意味している。


「《《プロゲーマー》》。それは気づけば、わが国でも当たり前に聞く職業となった。電子ゲームの登場から、たったの数十年のうちに、人々はその存在におおいに魅了され、だれよりもゲームに優れる者を讃え、その光源のうつくしさを認めるようになった。この私、西園寺《さいおんじ》遊夏《ゆうか》が断言しよう。この潮流は、より強くなっていく! 否、この私が強くする――!」


 驚異的な口のまわりで、彼女の語りはボルテージがあがっていく。


「全世界のeスポーツ市場規模は、すでに五千億にまで昇っている! その大半がスポンサーシップによる売上だということは、諸君もよくご存じであろう。この傾向は、近年このシーンに参戦したサウジの資本を筆頭に、依然として上昇傾向を保つと予想されている――が、それでは足りない。まだまだ足りない! この市場は、とくに国内において、この私がさらに何倍にも拡充させる。そのとき貴重な選手として活躍するのは、間違いなくわがLC学園高等学校が誇る、若き才覚、光源たちだ!」


 学園長室の壁に埋めこまれたモニターに、多くの顔写真が並んでいった。すでに第一線級として活躍する、学園の擁するプロゲーマーたちの写真だ。

 このモニターに映っているのが、まさしく今、学園長がオンラインのプレゼンをおこなっている顧客たち――日本有数の投資家たちがみている資料なのだろう。


「たとえば、先に待ち構えている国内最大の若手《ユース》大会、電甲杯。国内有数のプロチームとその協賛企業たちが出資した、年にいちどの夏の大会。これは今、旧来の学生スポーツ大会に匹敵するほどの集客をしているが、全国から選りすぐりの才能の持ち主を集める本大会において、わがLC学園は、今年度の全部門優勝を宣言――いや、予言している。これが虚言でもなんでもないことは、来月末にはおのずと証明されていることだろう」


 ゆえに! と学園長は続ける。


「市場を見通す才に長けた皆様がたが、この約束された学園に投資をおこなうことは、すなわち未来を手に入れることを意味しよう。長期的な成果はいわずもがな、短期的にいっても、人気選手の直接的な広告やプロモーション活動によって貢献を約束する。それは、わが校の開学時に出資した各企業のSGRにはやくも結果が反映されていることからもあきらか……。そしてこの成長曲線は、近く大きな孤を描き、天を穿たんとしている――行き着くところまで、その翼を伸ばそうとしている!」


 彼女は、一本指を立てた。

 そのとき、ちらりと伊代子のほうに目線をやった。

 その眼光に、伊代子はびくっと肩を震わせた。


「――これまで諸君の磨いてきた審美眼、その先見の明には、おおいに期待している。予定どおり、質疑応答は十五時から。ぜひ忌憚なきご意見をいただき、双方にとって満足ゆくビジネスとなることを願っている。では、またのちほど」


 たんっ、と彼女はキーを打った。マイクがミュートになる。

 マシンガンのようにしゃべるだけしゃべって相手を圧倒する、いつもの広報活動が小休止を迎えたようだ。

 その証拠に、彼女はンナーッと意味のない疲れた声を出すと、すっかり氷の溶けたオレンジジュースをごくごくと飲み干して、ぷはーっと息を吐いた。

 おそるおそる、伊代子は話しかけた。


「あ、あの、学園長……」

「ノックもしないで入ってくるなんて、きみもずいぶんと偉くなったものだね、伊代子くん。大事な大事な資金集めの時間だというのに、もしも不手際があったら、きみはどう責任を取るというのかな」

「ぴえっ」

「まあよい。きみがドジっ子なのは、今にはじまったことじゃない。ただ有能なだけの秘書なんてかわいげがないからね、ぜひそのままのきみでいてくれたまえよ」

「秘書じゃなくて、ただの英語教師なのですが……。でも、ありがとうございます……?」


 伊代子は、学園長――西園寺遊夏に向けて、あまり納得いかないまま頭を下げた。

 ちょこなんとした身体。

 とっても小さな体軀をした女性が、巨大な椅子におさまっている。

 それは、妙齢とも異なる。ただ単に積んだ年月をまったく感じさせない、きわめて幼い見た目をしたこの学園の女王は、果たしてプレゼンがうまくいって機嫌がいいのか、にこにこしていた。

 そのせいで、輪をかけて幼く見えた。


「それで? それだけ急いで入ってきたのだ、なにか急を要することがあったのだろう。事件かね?」

「そ、そうでしたっ」


 びびっと背筋を伸ばして、伊代子は報告することにした。


「じ、じつは、わたしのクラスで担当している、亜熊杏介くんがですね……」


 その名前に、こんどは学園長の背がぴんと張った。


「ふむ。彼が、どうしたって?」

「はい。今年の電甲杯に出場するかもしれないと、当人から申告がありまして。それで、いち早くお伝えにきた次第で……っ」

「……そうか」


 きい、と学園長は巨大な革の椅子をまわした。ゆるゆると一回転すると、デスクに肘をかけて、もういちど「そうか」と言った。


「フフフ。フフフフフ」


 彼女は、まるで悪の親玉かなにかのように笑い出した。

 ひええ、と伊代子は怯える。伊代子は、学園長の笑い方が苦手だった。笑ったときだけ、とても悪そうなのだ。


「あの、西園寺先輩……?」

「学園長、だ。いつまで学生気分でいる」

「は、はいぃっ、学園長」


 学園長がマウスを操作した。よく整理されたディレクトリから2-Aの生徒名簿を呼び出すと、出席番号2番の男子を画面に表示する。

 モニターに黒縁のめがねをかけた青年が映った。

 それと、彼のプロフィールも。


「伊代子くん。覚えているかね?」

「な、なにをですか」

「もう一年半も前のことだよ。私の彼に対する決定を、きみがこの学園長室で心配していたときのことだ。それをよく思い出して、きみは私に対する敬意をより一層深めるべきだな」

「ひええ。それはもう、これ以上はムリってくらい尊敬してますぅぅ」

「疑わしいところだが、まあよい。とにかく当時、私はこう言ったはずだ。人間には、それぞれ生まれてきた星がある。そしてその星の運命からは、だれも逃れることができないとね」

「そんなかっこいいセリフ、言っていましたっけ……?」

「言っていたことにしたまえ!」

「はいぃ」


 学生時代から気に入っている後輩をからかっているからか、あるいはそれ以外の理由からか、学園長はその顔から笑みを消すことはなかった。


「ともあれ、報告ご苦労。もちろん、それは吉報だよ。そしてこれも無論だが、伊代子くん、きちんと彼が大会に出場できるよう、よきに計らってくれたまえよ」

「は、はいっ」


 学園長はふたたび椅子をまわすと、背後に置いた標語を仰ぎ見た。

 ――LUX LUDUS

 遊戯の光。


「星は巡り、いずれ還るものだよ。おうおうにして、まばゆい光を放ちながらね――」


 みずからの信ずる言の葉を眺めながら、学園長は、やけに満足げにそう口にした。


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