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90話 バニシングデビル

【2時間前】


 ――なぜ、六道オーナーがここに。


 se1enがラビリンスに所属していることは知っていたが、それにしても驚きだ。

 まさか、se1enが俺たちを引き合わせようとしているのか……?


 俺は、今や完全に自販機に身を隠しながら、どうしたものかと焦った。


「勝てよ――ですか。ずいぶんとかんたんに言ってくれますね。そりゃあ、世界大会に比べたらアレですが、今や電甲杯だって相当のものですよ。大会自体の価値が上がったせいか、去年に比べてもさらにレベルが上がっています」

「それはわかっているつもりだ。が、そうはいってもだ――優勝は必須としても、おれとしてはもっとカメラに映ってもらいたいところだったんだ。この時期の参加を許したのは、知名度を上げるためなのだからな……妥協のチームメイトは、きちんと働けるんだろうな」

「声が大きいですよ。心配せずとも、あいつらも余裕でバロン帯です。オートナイツの大会で場慣れもしているし、俺のプレイについてくるくらいは支障ありません」


 そこで、プシュッと炭酸の缶を開ける音がした。


「愛莉の件は、オレにやれるだけのことはやりました。が、しょせんはオレも一選手だ、できることは限られていますよ」

「……それもそうだな。まあ、そのあたりはおまけだから、構わないといえば構わないんだが――とにかく、きょうのルシオン部門で、おまえにはラビリンスの存在感は示してもらう。聞いたところでは、ダリアミッズのアカデミー生やら、来期からプロリーグに入るエイジス・ゲーミングの若手がいるのだろう? 全員、叩き潰せよ」

「はいはい、わかっていますよ。ミカエルさんにも釘を刺されましたし、優勝はしますって」

「ならいい。健闘を祈っている」


 まずい。六道オーナーが、こちらにやってきた。

 動こうとした俺は、彼と肩がぶつかってしまった。


「おっと、失礼」

「……いえ」

 

 俺は、必死に顔をそむけた。向こうは、俺の挙動が少し気になったようだったが、結局、そのまま歩き去っていった。

 心臓が早鐘を打っていた。額に浮いた汗を、俺は手の甲で拭い取った。


「そろそろ出てきたらどうだ」


 オーナーの姿が完全にみえなくなってから、se1enは言った。


「盗み聞きとは感心しないね、委員長くん」

「……そんなつもりは、なかったんだが」

「だろうね。まあ、べつに聞かれて困るような内容でもない。少なくともオレはね」


 少々ゆがんだようにみえる笑顔を浮かべながら、se1enはペプシコーラをひと口煽った。


「さっきの丸っこいおじさん、オレのいるチームのオーナーでね。それでいて、電甲杯を運営しているDL2グループの人間でもあるんだ」


 DL2グループ――DiceZer0(ダイスゼロ)LinkedCiel(リンクドシエル)labyrinth(ラビリンス)DND(ディーエヌディー)という、国内で有名なプロチームが組んでいる連合のようなものだ。

 これらのチームがそれぞれ出資、あるいはスポンサーをつけることで、この電甲杯という大型大会は開催されている。


 ここであえて質問することはなかったが、俺は以前se1enが話していた、彼と通じている内部の人間というのが、六道オーナーであることを悟っていた。

 赤城さんと組んで注目を浴びてほしいというのは、きっと彼からの要請だったのだろう。


「あのオーナーからは、口酸っぱくいろいろ言われていてね。まあ、チーム所属の選手なんてどこも同じだとは思うけど」

「……今も、かならず勝ってほしいと言われていたようだったな」

「電甲杯もそうだけど、それはべつに普段からだ。次のアジア大会のプレイオフは、絶対勝利を言いつけられているんだ。オレ、今年けっこういろんなチームから引っ張りだこだったのに、あのオーナーが奮発して取ったから、なにかと優遇してもらえるんだろうなと思ったら、逆だったよ。委員長くん、きみ炭酸は飲めるクチ?」


 急になんの質問だ? 俺があいまいにうなずくと、se1enは自販機のボタンを押して、スマホをICパネルにかざした。

 ピッと音がして、ペプシコーラが落ちてくる。

 ……ああ、そういうことか。


「悪いよ。払おう」

「いいんだよ。わざわざ呼んだのはオレだしね」


 奢られるのは委員長らしくなくて嫌だったが、しかたがなかった。俺は礼を言うと、ペプシコーラを受け取った。


「で、なんだっけ。ああ、そうそう。あのオーナーがオレに厳しいって話だけど」


 まだその話をするのか。

 一応、俺は謝罪を受けるためにきた気がするのだが……。


「理由を聞いてみたら、まあまあ納得したよ。というのも、オレは後釜でね」

「……後釜」

「そう。あのオーナーが期待していた選手の、後釜なんだ。あのひとは、どうやら逃してしまった魚の大きさを、ずっと後悔しているみたいでね」


 ベンチに座るse1enが、俺に上目遣いの目線を送った。


「――委員長くん。きみ、《《エニグマ》》って知っているか」


 プシュ。

 タブを引いたペプシに、俺は口をつけられずにいた。

 俺は、固まっていた。

 なにも返さずに、静止してしまった。

 

 ……この男は、なにを考えているのか。

 なにかを知っているのか。

 どういうつもりで、俺をここに呼んだのか。

 俺のなかにさまざまな疑惑が去来するも、se1enのほうは、あっさりと俺から目線をはずした。


「まあ、いわゆる愚問というやつだったか。エニグマを知らないルシオンプレイヤーが、いるはずもない」

「……ああ」


 どうにか返事して、俺は缶に口をつけた。

 慣れているはずの味が、まったくしなかった。


「委員長くん。いつか愛莉が言っていたけど、きみ、口が堅いんだってね。なら、これはオフレコでお願いしたいんだけど――じつは、エニグマは昔、labyrinthに所属していたんだよ。オレが入る前のことだ」

「そうだったのか」

「ああ。ただし、本番の試合だと使い物にならなかったらしいけど。当人もそれを気にしてか、公式試合のすぐあとにやめてしまったみたいだ。問題は、うちのオーナーがそいつに後ろ髪を引かれていることでね。さっきみたいに、後釜のオレに、穴を埋めるだけの成果を求めてくるんだよ。まったく――エニグマがだれだか知らないが、《《迷惑な話だ》》」


 ――ズキン、と。

 明確に、頭痛が戻ってきた。

 ……これは、よろしくない。

 はやく、切り上げなければ。


「……東堂くん。なかなか興味深い話だけど、ちょっと時間が」

「もうちょっと待ってくれよ。なにもただの世間話で、エニグマの話をしているんじゃない。というのも、ちょっとおもしろい話があってさ。一学期の終わりごろに、学校の近くで、変な男にあることを聞かれたんだよ。『この学校に、エニグマが入学しているか知らないか』って」


 海谷さんも言っていた話だ。

 おそらく、あの社長が雇った人間が調査をしていた一環だろう。


「なにを言っているのかと思ったけど、すぐに、とある噂を思い出したんだ」

「……噂?」

「ああ。オレたちが入学したときの話だよ。委員長くんも、聞き覚えがあるんじゃないかな――ほら、学園長がエニグマを探していて、学校に入れたがっていたっていう話だ。入学式のときに、いったいだれがエニグマなのかって、みんな血眼で探していたじゃないか。もちろん、結局そんなやつはみつからなかったけどね」


 それは、知らない話だった。

 あのときは、新しい学校での委員長生活に慣れるために必死だったし、ゲーム関連の話題からも意図的に離れていたから、俺の耳には入っていなかったのか。

 当時の俺が知らなくてよかった。

 なんなら、一生知らずにいたかったものだ。


「その不審な男が何者かはわからなかったけど、おもしろいからいろいろ聞いてみたんだよ。かなりいい性格をしていたみたいで、こっちの質問にはほとんど答えてくれなかったけどね。でも少なくとも、ただの憶測や根拠のない理由でエニグマのことを聞いてきたわけじゃないことはわかった」


 頭痛が、鳴り止まなかった。

 俺は思わず額を押さえてしまったが、se1enは俺のことなど気にも留めない様子で、ひとりごとのように続けた。


「それでオレ、考えてみたんだ。もしかしたら、ほんとうにうちの学校に、エニグマがいるのかもしれないってね。それも、理由があるんだよ。うちのチームメイトも、エニグマの素顔はみたことがないって話だったんだけど――ずっとマスクをつけていたらしいからね――それでもどうやら、相当若いプレイヤーだったのはまちがいないようだったから、少なくとも、オレと年齢は近いんじゃないかと」


 とうとう、俺は相槌も打てなくなってしまった。


「さっきのオーナーのほうは、エニグマにかんする秘密は厳守していてね、なんの情報も漏らしはしなかった。でもそれでいて、エニグマが若いという話を、とくに否定もしなかった。それならいったいだれが、と考えたときに、オレが思い当たったのが――委員長くん、きみだったんだ」


 今度こそ、俺の心臓が跳び跳ねてしまった。

 se1enは、愉しそうに笑っていた。

 探偵に追い詰められる犯人どころの話じゃない。刃物を持った犯人に追われている被害者の心境で、俺は浅い呼吸を繰り返した。


「そもそも、はじめから疑問だったんだ。どうして、あの愛莉がきみに執着しているんだろうと。だってみたところ、理由はひとつもなさそうじゃないか。だから、こう思ったんだ。愛莉は、きみの正体がだれなのかを知ったんじゃないかってね」


 以前もそうだったが、se1enの推理は、微妙にピントがずれていた。

 しかしそれでも、俺にとって不都合極まりない話であることにちがいはなかった。


「そういうわけで、オレはさっきの前哨戦Bは、かなり前のめりできみのプレイを観戦させてもらったんだ。もしオレの考えが当たっているのなら、プレイをみるのがいちばん手っ取り早いからね。その結果、オレが思ったのは――――」


 固体かと疑うほどに固い唾を、俺は飲みこんだ。

 se1enの息継ぎが、まるで悠久のように感じられたあと、


「――やっぱり、オレのかんちがいだったみたいだ」


 バンッ、ガラン!

 飲み終わった缶を、se1enはつまらなそうにゴミ箱に捨てた。


「ああ、気に病まないでくれよ。きみのプレイは、素直にうまいと思った。正直、アマにしてはかなりのものだと思うよ。ただ、エニグマのプレイっていうのは、なんというか……もっと異質でね。それに、うちのチームメイトの話だと、ほんとうにただのひとこともしゃべれない人間だったっていうのを思い出してさ。委員長くんも、とくにしゃべりが得意ってわけじゃなさそうだけど、全然コミュ障なんかじゃないだろ。だから、ちがう――《《きみじゃない》》」


 ……ぎりぎり、だった。

 ぎりぎりのところで、水面に顔をあげて、呼吸ができたような感覚だった。


「結局、愛莉がどう考えてきみを選んだのかはわからないままだ。この先も愛莉とはうまく付き合っていきたいから、そのあたりの話、できれば真相を聞きたいと思っていたんだけど……って、だいじょうぶか? 顔色、ひどいけど」


 あらためて俺の顔を覗いたse1enが、眉をひそめた。

 俺は……自分がどういう様子なのかもわからなかった。

 ただし、否定するのも変だと思った。今の自分が、どこかに不調がある人間でなければしない表情だろうということは、想像にかたくなかった。


「ああ。少し、腹がな……」

「うわ、ほんとかよ。冷たい飲み物、よくなかったか。悪いな、行ってくれ。それとも、だれか呼ぼうか?」

「いや、だいじょうぶだ。すまない、話の途中に」


 ――――限界だった。


 俺は相手に断ると、早足でその場を去った。

 近くにあったトイレに直行し、空いた個室に入る。


 俺の腹のなかに、あらゆるものが渦巻いていた。


 俺の苦い過去。

 六道オーナーとの会話。

 アジア大会プレイオフ。

 labyrinthのチームメイト。

 LC学園。

 そして、死んだエニグマ――。


 それらすべてを、俺は下に向けて吐き出した。

 全部を。

 俺のなかにある膿、そのすべてを、吐き出そうとした。過去なんて、すべてなくなってしまえばいいと、そう願って。


 だが、どれだけがんばっても、粘り気のあるしがらみたちは、その姿を失せてはくれなかった。

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