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 洗礼を終えた時、何か熱いものがぐるぐると体の中を掻き回しているような感覚がした。それが体の中央の心臓辺りに集まり、ゆっくりとその熱が体の端々に散っていき、霧散していく。

 その事象が落ち着くまで私は胸元を押さえて深く息を吐き、落ち着くことを願って背中を丸めて下を向いて耐えた。

 教皇様はこちらを案じて、私の背中を暖かく大きな手でゆっくりと擦ってくれた。


 ようやく私が顔を上げると、立ち上がって身を乗り出していた教皇様がソファーに座り直すのが見えた。



「あぁ、やはり……。」



 教皇様が何かに気づいたように私を見つめる。

 教皇様の橙混じりの茶の瞳に私の顔が映るのが分かるくらいには、教皇様の顔が私に近づいていた。

 視線が合っているはずなのに、どこか違うところをみているような目。

 教皇様はふと目線を下に向けると、ガラスのローテーブルに伏せて置かれていたものを持ち上げて私に向けた。

 それに私が映っていることで、ようやくソレが鏡だったのだと気づいた。

 ただそこに映っているのは私だとわかるのに、何故か自分ではない見慣れないものを見ている気がした。

 何かが違う。

 しばらく見ていて、やっとその理由に気づいた。

 瞳の色が違うのだと。

 自分の瞳はもっと薄くて淡い菫色だった筈なのに、もっと紫の色が濃く、キラキラと輝く紫水晶見たいな色に変化している。

 自分なのに自分じゃない得体のしれないモノが目の前にいるようで、なんだか不気味だった。



「かつて魅了の力を得た者も、同じように瞳の色が変化したと文献にありました。だからもしやと思っていましたが……。」


「魅了……?」



 それを私が得ることすら、天啓で知っていたのだろう。



「ええ、君が得たのは魅了の力です。魅了という言葉に君はどんなイメージを持っていますか?」



 唐突な問いかけに、ぐっと唾を飲む。いきなり聞かれても、緊張で当たり障りのない言葉しか思いつかない。



「人に好かれること……です。」



 私の言葉に、教皇様が大きく頷く。



「ええ、そうですね。魅了の力を持つことになった君は、大多数の人に好かれるでしょう。しかし、コントロールの効かない魅了の力は、暴力です。君が先ほどまでいた会場で洗礼を受けていたら、洗礼会場中の人間を魅了し……君の愛情を得ようと、君自身を手に入れようと争いが起こり、その場が血の海になっていた。だから私はこの場に君を招いたのです。」



 魅了で争いが起こる。

 その言葉がイマイチピンとこない。

 だって目の前にいる教皇様は、私が魅了の力を得たと言いながらも、洗礼前と洗礼前で態度がまったく変わっていないからだ。



「でも、教皇様は、魅了されて……ませんよね。」


「これは身体に流れる神聖力の大きさに比例するようです。君より私の力が大きいから、その力に引きずられることはないのですよ。」



 ただ口で説明されても、実感が持てないのでよくわからない。

 尚もよくわからないという顔をする私に教皇様は、真剣な表情で告げる。



「悪いようにはしません。君は私の傍で、魅了の力をコントロールできるようになるまで教会で過ごすべきです。そうでないと、君はつらい目に遭います。」



 つらい目と曖昧な言い方をされても、5歳の自分にはよくわからなかった。

 洗礼も終わったし、何だかどっと疲れた。はやく父と母に会いたい。

 洗礼をしたら大変なことになると言われながらも思ったより何もなかったことで、張り詰めていた糸が切れた。眠たい。疲れた。

 思い出した。家でみんながお祝いを用意してくれているんだった。

 こんなところにいないで、早く帰りたい。


 どうしても両親と家に帰りたいと伝えると、教皇様は困った顔をしながらも渋々、了承してくれた。

 私の手に一通の手紙を握らせて。



「両親には念の為、私が力を込めたペンダントを渡してあります。ただ血の繋がった家族には魅了の力はあまり影響はないでしょう。けれどなるべく人の顔を見るのはやめておきなさい。相手が君の目を見た瞬間、君の魅了の力が発動します。顔を伏せて、目元を隠すのです。困った時は、この手紙を持って教会を尋ねなさい。私が力になりましょう。」



 教皇様に連れられて廊下に出ると、既に両親がそこにいて、私を待っていた。

 私を見て一瞬驚いたように目を見開くと、父と母で目配せし合った後、2人で私を抱きしめてくれた。

 安心するぬくもりにホッとして、自分からもぎゅっと抱きつく。

 なおさら早く帰りたいと、そう思った。



「お母様、そんなに強く抱いたら苦しいよ。」



 帰りの馬車の中、母は私を膝に乗せて後ろからきつく抱きしめて離そうとしなかった。

 父はそんな母を止めることなく、私の手を強く握る。

 僅かな時でも私と離れることを惜しむように。

 下から両親の顔を見あげると、苦しいような悲しいような顔をしていた。そんな2人の様子を見たら、やめてなんてもう言えなくなった。



「顔を隠しなさい。」



 馬車を降りると父親に抱き上げられ、言われた通りに顔を隠すため、その肩口に顔を埋める。

 いつもならたくさんの執事や侍女達が主人の帰宅を迎え入れる。でも足元だけ見たら、たった二本の足しか見えなかった。たぶん、先触れをして玄関での出迎えを一人だけにさせたんだと思う。

 洗礼前と後で、何かが変わっていく。それがさみしくて悲しくて、言いようのない不安がかきたてられた。

 これから一体、どうなってしまうんだろうと。



 父によって顔を隠しながら私室に運ばれると、目元に布を巻かれ、洗礼に行くときに着ていた服を着替えさせられた。その時ばかりは周囲にたくさんの人の気配がしたし、着替える時に「手を上げて下さい」とか声をかけられた。

 着替えが終わって父に目隠しを外されると、いつのまにか外出着を着替えた母も部屋に来ていて、温かな湯気の上がるスープや美味しそうな彩りの温野菜、メインディッシュの肉料理や白パンが乗ったカートが部屋に置かれていた。


 帰ったら5歳の洗礼のお祝いがあると言われていたから楽しみにしていたのに、何もある様子がない。

 唯一あるとすれば、ベッドの上に恐らく連名のプレゼントと言われていた、リボンで飾り付けられた箱がある程度。

 あんなに楽しみにしていたのに、食事も美味しく感じられなくて、ほとんど残してしまった。

 つまらない。つらい。もうやだ。

 いじけてフォークで肉のかけらをツンツンしていると、不意に外から私室の扉がノックされた。



「失礼いたします。デザートをお持ちしました。入室してよろしいでしょうか、」



 その声に聞き覚えがあった。

 優しくて、近づくと乳母と似た甘い匂いがして、自分の本当の姉のように大好きな、自分の専属側仕えの侍女。名前はエラーラ。



「下を向いていなさい。」



 父に言われ素直に下を向くと、父により入室の許可がおり、カラカラとカートが押される音がする。

 目の前のテーブルの皿が片付けられ、置かれたのはチョコケーキ。約束していたケーキだった。自分をお祝いするという約束を覚えていてくれたのだと、嬉しくなって、思わず叫んだ。



「チョコケーキだ!!」



 その一瞬で父に言われた言葉が頭から吹っ飛んでしまい、私は顔を上げて喜色満面で侍女に視線を向けた。

 ほんの束の間だった。

 笑顔を浮かべていた侍女の視線が私を捉えると、時が止まったように表情が消え、真顔に変わった。



「エラーラ?」



 エラーラは魅射られたように息すら止めて、刺すような視線を私へと向けた。その口元が波打つように歪み、口角があがると、状況が一変した。



「坊ちゃま!!」



 蕩けたような表情を浮かべたエラーラの手が私へと伸び、腕を掴みそうになったのを父が制止した。

 私の身体は隣に座っていた母に引き寄せられ、エラーラから引き剥がすように抱きしめられる。



「坊ちゃま!私のこと、好きですよね。こちらへ!一緒に行きましょう!大好きなチョコケーキをたくさん差し上げますよ!!」


「誰か!エラーラを押さえろ!」



 父の声を合図に母が私の目元を手で覆い隠す。渾身の力で暴れるエラーラを取り押される父が、母の指のすき間から見えた。女性だというのに物凄い力で暴れ、床へと押さえつけられても尚、私から視線を離そうとせず、私に手を差し伸ばしたまま暴れる。

 いつも穏やかな笑顔を浮かべ、おとなしいいつものエラーラの姿からはかけ離れた姿は、恐怖でしかなかった。

 私は恐怖でガタガタと震えて母の胸元に顔をうずめ、後から後から湧き出てくる涙を抑えることもできない。


 騒ぎを聞きつけてたくさんの使用人が部屋へとかけつけ、「離せ!」とか「坊ちゃま!」とか騒ぎ続けるエラーラの声が次第に部屋から離れていく。

 この騒ぎになってようやく、教皇様の言った「大変なこと」や「つらい目」の意味が分かった。

 教皇様が私が家に帰りたいと行った時に私を帰してくれたのは、私が体験しなければわからないのだと悟ったからだろう、とも。



「……教会に行こう。」



 父の顔はエラーラにやられたのか、頬に数本の赤いひっかき傷ができて血がにじんでいた。

 低く重い声で紡ぎ出された言葉に、母はきつく私を抱きしめた。

 再び教会に向かう馬車の中でも、母は私を抱きしめたままだった。私の空いている手を、父が握りしめる。

 両親から与えられた最後のぬくもりだった。



 教皇様に連れられて教会の奥へと連れて行かれる最後の逢瀬の時、父と母が自分の指から指輪を外して私に握らせた。

 私達だと思って、私達との繋がりだと思って大切にして欲しいと。



 私は教皇様の養子となり、伯爵家の両親とは二度と家族として会うことはなくなった。



 私は家族と会えないことが、苦しくて、寂しくて、辛くて仕方なかった。

 目を閉じればエラーラの変わり果てた姿が目に浮かび、しばらくうなされてろくに寝ることもできなかった。

 それもこれも、聖女様を探すためだと洗礼を受けされられたせいだ。


 私はそのつらさを、聖女様というまだ見ぬ存在を憎むことで耐えるしかなかった。

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