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教会は静謐を重んじている。
敷かれた絨毯に靴音が吸い込まれ、あまりの静けさに、衣擦れの音をさせることすら憚られる。
聖女の衣装として用意されたのは真っ白な法衣。その胸元には、主神たる女神の瞳の色であり、翠がかった青色のエメラルドをあしらったブローチが輝く。
法衣は身体のサイズにそって新たに作られたものだけど、このブローチは歴代の聖女に受け継がれてきた国宝。数多の聖女の神聖力が込められている。それを胸にするだけで、誇らしさで背筋がすっと伸びる気がする。
あの夜会から数日後、私は家族と共に教会に招かれた。教会の教皇様や大司教様、司教、司祭等、歴々の教会の重鎮たちを前で聖女認定の儀式が設けられ、私は公式に『聖女』と認められた。
国民への聖女お披露目の儀式は2ヶ月後に行われる予定で、現在は教会の慣例を覚えたり、ありとあらゆる儀礼の数々や、聖女の力である神聖力のコントロールを学んでいる。
各国の大使と面会する機会があるので本来なら他国の言語や慣習も学ぶ必要がある。けれど私が王太子妃教育で既に終えた部分なので学ぶ必要がない。することといえば、学んだことを復習するくらい。
私はまだ学校を卒業していないので日中は学校に通い、その後に教会へと通い、夜は公爵邸へと戻る生活を送っている。
本当は聖女だから教会で生活すべきなのだろうけど、父が『聖女のお披露目もまだだし、学生なのだから、公爵邸に帰るべきだ』とごねたからだ。
結果、かなりの多忙となり、あの大司教様とゆっくり話す機会も持てずじまいだった。
なぜロベルトをけしかせて、『聖女とマーヴィン』が結婚するべきだと思わせたのか。
けしかけられたロベルトは、その対象をノエルのことだと勘違いした。
けれど夜会では、大司教様は私のことを水晶で調べる前から聖女だと確信している口ぶりだった。
ならば聖女である私とマーヴィンの結婚を推し進めればいいのに、学園の中庭で私に話しかけてきた時は、私にはマーヴィンはふさわしくないと、むしろ結婚を邪魔したい様子だった。
そこに大きな矛盾があり、どうにか2人だけで腰を据えて話す機会を作りたかった。けれどあまりの忙しさから時間が作れず、今日、ようやく時間がとれた。
教会の入り口部分にある礼拝堂は、教会関係者様はもとより一般の参拝者も多いので多くの人で混雑している。けれど教会の最奥、教会関係者でも上層部の人間が生活する奥宮は人気がほぼない。
コォンコォン。
静まりかえる廊下の石造り壁に、扉のノック音が反響する。
「マデリーンです。大司教さ……いえ、大司教、お話があって参りました。」
教会では聖女の階位は教皇の次、大司教の上である。クセでつい大司教様と呼んでいたが、目下、その意識を修正している途中である。
「聖女様!」
思い切り外向きに開かれた扉を、慌てて飛び退いて避ける。激しく開かれた扉の音が遠くまで反響していく。
下手したら私の顔に思い切りぶつけていたのに気づくと、大司教様……いえ、大司教は美しい紫水晶の瞳を申し訳なさげに曇らせた。
「すみません、まさか訪ねてきてくださるとは思わず。興奮のあまり勢いをつけすぎました。ケガは……ないようですね。」
私の顔にも身体にも傷一つなさそうなのを確認すると、ほっと表情を和らげ、そのまま深く頭を下げられた。
「いえ、顔をお上げください。先触れを怠り、急に訪ねたの私の方ですから。」
そのまま大司教の肩に手をやれば、大司教は身体を起こして調子よくにまりと笑む。
「そう言ってくださると幸いです。どうぞ、中へ。聖女様の公爵邸の私室と比べれば粗末な部屋かもしれませんが。」
大司教の肩に置いた手を取り上げられ、恭しく持ち上げられ、空いた方の手で部屋の中へと促された。
大司教の執務室は飾り気がなく実に質素な部屋だった。
壁一面の分厚い本の並ぶ本棚の横に大きな事務机。本棚に並べられた書物に太陽光が当たって書物を傷めないため、少し離れた場所に大きな明かり取りの窓。窓外には見事な花の形の窓格子があり、見応えがある。
他には向かい合うソファーセット、ローテーブルが置かれている程度で、絵画や花瓶などの調度品が一切ない。
「どうぞ。」
ソファーセットに案内され、私が座ればその向かいに大司教が腰を下ろす。
「こうしてゆっくりお話するのはあの夜会以来ですね。随分とご多忙なご様子で。」
「ええ、そうですね。あの後はいろいろありましたから……。」
どう話を持っていってよいか、一言話した後に無駄な沈黙がその場を支配する。
大司教は、そんな私を見てくすっと笑った。私が何のためにわざわざ部屋を尋ねてきたのか、察しているのだろう。
それなら回りくどい言い方をする必要もない。私は背筋をピンと伸ばし、真っすぐに大司教に眼差しを向けた。
「単刀直入にお伺いします。大司教、貴方は何をご存知で、裏で何をしていたんですか?マーヴィン殿下の側近だったロベルトを唆した理由は?」
私のあまりに唐突で直接的な問いかけに、大司教は失笑する。
「もちろん、聖女様とマーヴィン殿下を婚約破棄させるためですよ。わざと殿下の側近のロベルトに、元聖女見習いノエルがマーヴィン殿下に相応しいと誤認させました。すべては聖女様とマーヴィン殿下を結婚させない為に。」
私と同様に真っ直ぐに大司教は眼差しを向ける。
大司教の言葉には、ああ、やはりと腑に落ちるものがあった。大司教の言葉は、けれど…と続く。
「婚約破棄させようと何度手を回しても、貴方は身に有り余る神聖力を行使して時間移動をし、過去へと戻ろうとするので本当に困りましたよ。」
やっと苦労が報われたとばかりに、大司教は額に手を当てて大きなため息をつき苦笑する。
大司教の言葉の中に初めて聞く言葉があり、私は片眉をあげた。
「時間移動……?」
ついキョトンとした表情を浮かべてしまう。
「時間移動、分かりやすく言うなら、時を戻して婚約破棄をなかったことにしようとなさったのです。
パーティー会場で婚約破棄されるたびに、聖女様は婚約破棄を受け入れず、2度ほど過去へと時間を遡る時間移動されました。そのたびに私もこの身にある神聖力を使って聖女様と共に過去に戻りました。聖女様は聖女としての力の自覚もなく、コントロールの勉強もされていませんでしたから。マーヴィン殿下に婚約破棄されて憤る気持ちから、無意識に力を使っていたのでしょう。」
婚約破棄が嫌で力を使うとか、まるで自分の思う通りに事が運ばずに駄々をこねた子供のようで、少し恥ずかしい。
恥ずかしさから顔が熱くなり、頬に手を当てて俯く。
「私も変装してパーティーに参加していたので、なんとか同調して力を使い、聖女様と同じ時空に時間移動することが叶いました。」
先程から平然と当たり前のように言っているが、大司教は不思議なことを言っている。
それだと、3回とも……。
「最初から……。私は3度、婚約破棄をされています。それらすべてにおいて、大司教が裏で手を回していたのですか?」
「ええ、そうですが?」
悪びれもせず胸を張り、あっけらかんと、当然でしょうという態度。
背筋にヒヤリとした汗が流れるのを感じる。ぞわぞわと言い知れぬ恐怖が身体を満たしていく。
私は大司教がしかけた巧妙な罠にかかったのだ。いや、私だけではない。王族すらも。
「そうまでして結婚を止めたかったのは、私が聖女だからですか?」
恐怖から落ち着かず息が浅くなり、もしかしたら手も震えていたかもしれない。
私の力のこもった問いかけに、大司教は頭を振った。
「いいえ?聖女も結婚は出来ますし、記録上、聖女と結婚した王族もおります。聖女という称号は、貴方に付随した付属品でしかありません。」
思わぬ肩透かしをくらってしまい、困惑の表情を浮かべてしまうと、何故か大司教までも不思議そうな顔をしている。何故、わからないのだと言わんばかりに。
「聖女様が……マデリーン様がマーヴィン殿下に取られてしまうじゃないですか。」
さらりの述べられた大司教の言葉が、よく理解できずに固まってしまった。何度も頭の中で言葉を反芻し、ようやく一つの答えにたどり着くと、恐怖で冷たくなった身体が逆に熱くなり、頬すら赤くなっていく。
「え、いつから……いや、初めて会ったのは学園の中庭で……いや……え、え?ええぇ?」
「私と聖女様が初めて会ったのは、もちろん、あの中庭よりもずっと前のことですよ。」
私が動揺する姿を見て、大司教がくしゃりと笑う。
「時間はたっぷりあります。ゆっくりお話しましょう、ね?」
これにて本編は終了です。
次話に大司教の過去話を載せる予定です。
全ての答えはそこにあります。よろしくお願いします。