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 私が選ばなかった先。

 名前も知らない男の言葉で決めるのはなんだか癪だったけれど、私は進むべき方向を定めた。

 婚約破棄宣言をされる夜会まであと5ヶ月。

 柔らかく煮込まれた子牛の塊肉が使われたビーフシチューに、芳醇に香り立つワイン。未成年の私には公爵領産のぶどうがふんだんに使われたぶどうジュースが用意されている。

 父と母は歓談をしながら夕食を楽しみ、騎士団に入団している兄は、その会合があるからと今日は不在。

 私はナイフとフォークを手に取りもせずちびちびとぶどうジュースを口にして、両親の会話が途切れる瞬間を見計らっていた。



「おや、食事に手をつけておられませんが、どうされました?」



 空になった私のグラスに飲み物を注ぎにきた執事が異変に気づき、問いかける。そこで私がカラトリーすら手にしていないことにようやく気づいた母の視線がこちらに向いたところで、意を決して宣言した。



「お父様、お母様、食事を楽しんでいるところ、申し訳御座いません。(わたくし)、マーヴィン殿下と添い遂げる未来を想像できなくなりました。殿下との婚約を解消したいです。」



 母は驚いた表情を浮かべたものの、手にしていたナイフとフォークをテーブルに戻し、私の話をまず傾聴しようと思ったようで、私にしっかりと目線を向けてくれた。

 しかし父の方はというと、ぶふっという音と共に口にしていたワインを吹き出しそうになるのをなんとか堪え、グラスを机に戻すと激昂はしないまでも私の言葉に難色を示した。



「急にどうしたというのだ。10歳で婚約して、もう7年近く経つ。学園を卒業するまで2年弱。卒業したらすぐ結婚の予定だろう。2人の仲は良好だと、マデリーンから聞いていた気がするが?」


「ええ、良好だと思っていました。今日まで。」


「「今日までは?」」



 父と母の言葉がユニゾンする。流石、長年人生を共にしてきた夫婦だと思う。



「本日、殿下が私と昼食が摂れないと嘘をつき、()()()()()()()()()、ノエルという聖女見習いの少女と2人きりで食事を共にしていました。」



 人目につかぬ場所でという部分を敢えて強調する。私の言葉に、母は『何てこと……』と口に手を当てて、眉をひそめる。



「聖女見習い……将来的に聖女になる可能性がある娘か。ならば、教会の管理下にある娘だ。教会との関係を良好にするためという、何らかの意図があったのでは?それにたった一度のことだろう。たった一度のことで婚約解消を願うのは、早計ではないか?」



 父のマーヴィンを擁護する側に立った意見に、母が憤慨して異議を唱える。



「嘘をついてまで別の女性と食事を摂るなんて。たとえ教会側との何らかの意図があったとしても、殿下の側近候補である貴族の令息達も共に食事を摂るとか、男性ばかりの場にならぬように、未来の王太子妃であるマデリーンを誘うこともできたはずです。ましてや人目につかない場所を選ぶあたり、後ろ暗い理由があると言っているようなものではありませんか。」


「ええ、お母様の言うとおりです。それに、私は二人きりで食事をとっているのを見ただけで婚約を解消しようと考えたわけではありません。」



 私の言葉に父は嫌な予感がしたのか、聞きたくないというように目を閉じる。代わりに目を閉じた父の耳にもよく聞こえるように、はっきりと言う。



「マーヴィン殿下と聖女見習いのノエルが、唇を合わせているのを目撃しました。」


「くち……。」


「ええ、接吻です。」



 母は淡々と告げた言葉に怒髪天をつかれたように肩を怒らせてその場で立ち上がり、父はその場で頭を抱えた後、天を仰いだ。




 その数日後、私は王宮の夕食の席に両親と兄と共に、家族全員で招かれた。私達を招待したのは、私とマーヴィンの婚約を推し進めたマーヴィンの祖母、王太后陛下。もちろんこの場には、王太后陛下の他に国王陛下と王妃陛下も同席している。ただ1人を除いて。



「王太后陛下、我がスカーレット家を夕食にお招きくださりありがとうございます。」



 父が口火を切ると、王太后陛下が我々に微笑みかける。



「長い口上は必要ないわ。楽になさい。私は親友の孫である2人の兄妹をまるで自分の孫のように大切に思っているの。だからこそマーヴィンとマデリーンが結婚し、この国を二人で支えてくれることを願っていたのよ。」



 王太后陛下が優しく慕わしげな瞳で私と兄を見つめる。けれどすぐにため息をつき、肩を落とす。

 事前に話を通してあるからこそ、その言葉の先に苦々しい思いがあるのがわかる。



「マーヴィンもこの場に呼んだのだけれど、どうしていないのかしら?」



 王太后陛下が眉をしかめ、国王陛下に話を振る。



「重要な話をするから来るように事前に伝えていたのですが、迎えをやった時には既にマーヴィンは城にはおらず。大切な用があるからこの場には来れないと、側仕えに言付けを残していました。」



 国王陛下がそう告げると、家令により有名な産地のワインが王太后に差し出される。どうやら、マーヴィンからの参加できないお詫びのようだ。

 王太后陛下はこれ見よがしにそれはそれは深く長いため息をつくと、そんなものは見たくないと辟易した様子で家令に向かって追い払う仕草をしてみせた。家令が頭を下げ、マーヴィンが用意したワインをどこかへと持ち去っていく。



「では今から話し合いを始めたく思います。議題は、わが息子、マーヴィンとマデリーン・スカーレット公爵令嬢の婚約について。」



 国王陛下の陛下の進行で、夕食会、もとい婚約解消のための会合が始まった。





 そして数カ月後、舞台は整った。

 今日は、私が二度にわたり婚約破棄を言い渡された、あの夜会の日だ。

 夜会があると必ず、マーヴィンは婚約者である私に自分の衣装に合わせたドレスを事前に送ってきていた。今回も例の赤いドレスが贈られてくるものと思い込んでいたけれど、マーヴィンからは何も贈られてくることはなかった。

 そんなものを贈られても着るつもりはなかったけれど、ドレスすら贈ってこないことに両親は憤慨していた。

 代わりに両親に頼んで作ってもらったのは、綺麗な明るい色味の紫色のドレス。ドレスには銀糸で刺繍をしてもらっており、会場のシャンデリアの灯りを銀糸がキラキラと反射して、光を放って見えるだろう。

 そう、あの学園の庭であったあの男の色だ。

 名も知らぬ男の色を纏うのは、マーヴィンへの意趣返しと、新しい自分を見つめ直すきっかけになったあの男への感謝を込めて。



 兄のエスコートで夜会の会場へと向かう。

 会場には煌々と光を放つガラス製のシャンデリアが輝いている。

 また壁際には真っ白なクロスが敷かれた長テーブルが置かれ、様々なオードブルやデザートが大皿に盛り付けられている。

 夜会の会場に足を踏み入れると、周囲の参加者の視線が集まってくるのを感じる。

 けれど周囲の視線は二分していた。

 私と兄と、もう一つは聖女見習いノエルをエスコートとしているマーヴィンへと向けられていた。

 2度の夢で見ていた通り、マーヴィンとノエルは2人で対のようなあの衣装を着ていた。

 それに気づいた兄の笑顔が引き攣り、握りしめた拳に力がこもっている。私は兄の方を見上げ微笑んでみせると、兄と共に堂々とマーヴィンの方と歩を進め、二人の目の目の前に立った。そして華麗にカーテシーを披露する。

 そこで一気に会場中の視線が集中した。



「マーヴィン殿下、いつも妹がお世話になっております。」


「マーヴィン殿下、お久しぶりですね。学園でも何かとお忙しいと食事の席も別でしたが、ようやくお会いすることが叶いました。」



 もちろん、皮肉だ。

 マーヴィンは学園で何かと理由をつけて私を避け、私と昼食を摂ることはおろか、月に一度か二度は行っていた婚約者同士のお茶会すら放棄していた。その間にノエルと親しげにデートしている現場を他の生徒が何度も見ており、私とは婚約解消間近なのではという噂が学園中に出回っていた。

 そして夜会にマーヴィンがノエルをエスコートして、かつ対になった衣装で現れたことで、その噂は間違いではない証明されてしまっている。


 マーヴィンよりも背が高く、騎士団に在籍していて体つきもがっしりして精悍な顔つきの兄。

 その存在にノエルが蕩けたような視線を送るが、兄が目に入らない存在のように歯牙にもかけていないので、少しむっとした表情になる。

 私と兄の皮肉にマーヴィンも少なからず後ろめたい思いがあるのか、目線を泳がせて何も言えなくなっている様子。

 それでは話が進まず埒が明かないので、私から仕掛けることにした。



「マーヴィン殿下、私と婚約を解消し、そこにいるノエルという娘と婚約するつもりだという噂が出回っているのですが事実でしょうか?」



 言われる前に、聞いてしまうのが一番早い。

 周囲は私たちの会話に聞き耳を立てているだろう。

 私の問いかけにマーヴィンの表情が硬くなるが、すぐに挑むような目つきになると、傍らにいたノエルの腰に手を回して引き寄せ、周囲に聞こえるような声で宣言した。



「マデリーン、君とは婚約破棄する。君は僕にふさわしくない。僕にふさわしい相手は、この聖女見習いノエルだ。」



 二度の夢で見た、一言一句変わらぬ言葉。過去の夢ではショックを受けて抗おうとしたが、もう私の心はそんなことで傷ついたり折れたり、怒りが湧くこともない。マーヴィンのことなんて、どうでもよい。



「左様ですか。では、その理由を教えていただけますか?」



 私は1度目の夢のように突き飛ばそうとした覚えもなければ、学園でつらい思いをさせるような目に合わせたこともない。

 私がマーヴィンの言葉に悲しむでもなく、怒るでもなく、平然と受け入れたことに逆にマーヴィンの方が動揺し、ノエルの腰に回した手の先が震えている。

 動揺を抑えきれない様子のマーヴィンの代わりに、声を上げたのはノエルの方だった。



「マデリーン・スカーレット公爵令嬢様……ですよね?なぜそのように平然となさっていますの?婚約破棄の原因は、貴方ですのよ!」


「ノエル!」



 兄のこめかみがピクリとひくつき、怒りを我慢しているのがわかる。

 マーヴィンが慌ててノエルを止めようとするが、ノエルの暴走は止まらない。下位の者から上位の立場の者に、ましてや平民が、紹介もされてもいないのに話しかけてはいけないという不文律を彼女は破っている。けれど彼女が何を言いたいのか知りたくて、彼女の言い分を聞くことにした。



「貴方は確か、ノエルさんでしたね。私が原因とはどういうことでしょう……?」



 私が発言を許すと、ノエルは意気込み大きく息を吸うと、周囲に言い聞かせるようにけたたましくしゃべりだした。まるで自分たちは悪くないと、周囲に知らしめるように。



「月に一度、殿下に贈られた赤いドレスを着て、仮面舞踏会に行かれてましたよね?その時、見知らぬ殿方と休憩室に向かうのを、殿下と二人でこの目で見ました。」



 仮面舞踏会は身分を隠してできる男女の交流の場として、最近流行っているらしい夜会だ。身分を隠せるので、一夜のアバンチュールとして休憩室でいろいろ致す者もいるとか。

 ノエルの発言に周囲がどよめき、私に非難する目や好奇の目が集中する。私はというと、まったく身に覚えがなくて、首を傾げてしまった。



「赤いドレス?仮面舞踏会?そんなものに参加した覚えはありませんが。」



 まったく身に覚えがないので、すぐさま否定する。

 私のキョトンとした様子に、ノエルは興奮したように顔を赤くして更に私を食ってかかる。



「とぼけるおつもりで?殿下の側近から、マデリーン様が仮面舞踏会に出入りするらしいという情報が入ったのです。殿下は1人で確認するのが怖いというので、私が一緒に行ったんです。そしたら、殿下が贈った真っ赤なドレスを着たマデリーン様が……!」



 そこでその発言を止めたのは、兄だ。



「待ちたまえ。そもそもここ数ヶ月、殿下からマデリーンにドレスが贈られたことなどない。それにマデリーンは、夜は家族とともに過ごしていて夜会になど参加していない。」



 兄のピシャリとした言葉に、ノエルが「えっ」と言葉に詰まる。

 この夜会へのドレスも贈られてこなかったのだ。赤いドレスなど見たこともない。

 しかしそこまで聞いてノエルの代わりに声を荒げたのは、マーヴィンだった。



「そんな筈ない!半年前、側近を連れてドレスショップで赤いドレスを注文した。間違いない!店にはスカーレット公爵家に発送しておくようにも伝えた。それに仮面をつけてはいたが、そのドレスを着たマデリーンに似た風貌の女性が、よからぬ男と休憩室へと向かうのをちゃんとこの目で見たのだ。どうせお前はマデリーンの兄だから、マデリーンの不貞を庇っているのだろう。」



 マーヴィンの言葉に兄の眉が吊り上がり、これ以上は我慢ができないといった人相になっている。

 マーヴィンの真剣な眼差しからは、嘘をついているようには見えない。でも赤いドレスとやらは実際に我が家に届いていないし、私は仮面舞踏会にも参加していない。たとえ私が仮面舞踏会に参加していたとして、わざわざマーヴィンにもらったドレスを着て不埒な夜会にいくなんて、分かりやすいヘマはしない。

 マーヴィンはキョロキョロと周囲を見渡すと、「あっ」と声を出し、遠くにいた淡いオレンジ色のドレスを身にまとった女性を指さす。



「ほら、あの女性のドレスショップだ。マデリーンの行きつけのドレスショップだから間違いない。彼女に聞けばわかるはずだ!俺がドレスを注文したことを。」



 急に指名を受けた女性はびくりと身体を震わせるが、彼女の周囲の人間が距離を置くように離れ、彼女の存在が目立ってしまっている。

 オレンジ色のドレスを着た女性は、確かに私がいつもドレスを注文しているショップの店長だった。城に店員を呼び出して、マーヴィンとドレスを選んだこともある。今、私が身につけているドレスもその女性のショップで注文したものだから、間違いない。

 指名された女性は周囲をキョロキョロと見回した後、おどおどした様子で私たちのところまでやってきた。



「そなたの店で私はドレスを注文したな?それを配送するようにも伝えたな?」



 ショップ店員が目上の人へとあいさつやカーテシーをするいと間も与えることなく、マーヴィンが畳み掛けるように尋ねる。

 懇願にも似たその問いかけに、女性はおずおず頷いて見せる。



「確かに……殿下より、マデリーン様へのドレスの注文を受け、赤いドレスを製作しました。そして、配送するように言付けもいただきました。」



 女性の言葉にほら見たことかと、自慢げに私を見るマーヴィン。それに続いてノエルも、マーヴィンが間違ってなかったと喜色満面になる。しかしそれだけで話は終わらなかった。



「けれど、注文時に殿下といらっしゃった側近様が後ほど店に来られ、やはり殿下が直接マデリーン様にドレスをお渡しになりたいとおっしゃったとのことで、出来上がった際に側近様に連絡し、ドレスを納めた箱をお渡ししました。」



 ドレスショップの女性は事の次第に顔を青くし、声が次第に小さくなりながらも、恐る恐る答えていく。

 すると喜び一色だったマーヴィンの表情が歪んでいき、それが怒りに変わる。その表情には怒りの中に焦りも見える。



「何故だ!配送するように言ってあっただろう!これは信用問題だぞ!」



 女性はマーヴィンの勢いにびくっと震える。



「そ、側近様が委任状を持っておられましたので……それにはきちんと殿下のサインもありました。店にその委任状は保管してあります!」



 つまりは側近による私文書偽造だ。

 まさかの事実にマーヴィンは頭を抱えた。ノエルの顔も真っ青になっている。どうにか私側の不貞で糾弾しようとしたのに、どう考えても分が悪いのはマーヴィンの方だ。

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