⑤
高く抜けるような澄んだ青空。
自室の窓から見える山麓の山頂にけぶるような雲が薄くかかっているが、晴天であることに違いはない。
陽気に誘われた鳥たちがさえずり合い、音を奏でる。
今日という吉日にふさわしい天気だった。
教会には祭礼暦という書物があり、その書物に倣って様々な儀式が執り行われる。
今日はその祭礼暦によって日取りを決められた、この国の第一王子と公爵令嬢の婚約式が執り行われる。
聖女見習いが見つかったの時以来の慶事に、国中が沸いていた。
ここ連日、教会の職員はその準備に追われて忙しなく教会内を右往左往している。
当の聖女見習いは本部に来て1年経ち、ある程度作法は身についた。けれどまだ王族の前に立てるほどではないので、教会の奥宮で一日休暇をとらせるらしい。
そんな中、私は自室で寝台の住人と化していた。
頭の芯が虚ろで熱く、それでいて首筋から肩にかけてひやりとした寒気がして、体の節々が痛む。
なんとなく原因はわかっている。
3日ほど前に教会の相談業務で対応した信徒だ。話している最中何度も咳き込んでいたので医務室へと案内したが、そこから病の種をもらってしまったらしい。
翌日には同様に咳き込み、みるみるうちに熱が出てこの様だ。
いくら神聖力という超常的な力を持っていようとも、身体は人間。不思議な力に守られて病にかからないというわけではないのだ。
神聖力をある程度自由にコントロールできるようになった。けれどまだ万全ではないようで、そのコントロールが効かなくなることがある。それは体調がすぐれない時だ。
教皇様曰く、身体が成長するにつれて神聖力が増えているのも確かで、病などで体調を崩すことで、自制するための精神力や集中力がどうしても鈍ってしまうのだろうとのこと。
そういう時は教皇様の指示で、業務を休むようにしていた。
今日は特に、国の重鎮が教会に集まる大切な儀式となる。そんな時にコントロールを失った魅力の力が暴走しては、考えるだけで恐ろしいことになるのは明白だった。
教皇様へと、自分の現在の状況と儀式に参加できないことへの謝罪をしたためた手紙を、人づてに渡してもらうように手配した。
そのまま寝台に横になっていると、居室内にドアを不躾に強めに叩く音が響く。目隠しをして、重怠い身体をなんとか起こして扉の前に立つと、これまた無遠慮にドアが開かれた。
そこにいたのは、自分の上の階位である司教をしている男だった。名前は面倒なので覚えていない。
男は無遠慮にドアを開けた癖に私がそこに立っているのに気づくと慌て、忌避するように顔を背けた。けれど私が目隠しをしているのに気づくと安心したように肩をすくめ、気を取り直して咳払いを一つ。
「本日行われるのは国の挙げての慶事。体調が悪いから儀式に参加できないなど言語道断だと、教皇様は言っておられる。この解熱の薬を飲んで無理にでも参加しろとのことだ。」
男はどこか厭らしくニヤついた顔で、私の胸元に薬包と竹筒の水筒を押しつけてくる。それを受け取りながらも、私は片眉をあげ疑わしい顔で、目の前の男に聞き返した。
「それは、本当に教皇様がおっしゃったことでしょうか。」
「間違いない。私の言葉が嘘だというのか!
」
男は目に見えてわかりやすくうろたえ、怒ったように声を荒げて唾を飛ばす。
熱により頭の芯が緩くなっている私でもわかった。
これは目の前の男の嘘だと。
いつもなら、私が体調が悪いことを連絡すれば教皇様から直筆の返事がきて、儀式に参加しなくてもよいように手配される。
いくら国を挙げての慶事とはいえ、儀式に私を出させればどうなるか、わからないわけではないだろうに。
そういえば……と思い出した。
司教をしているこの男は前教皇を祖父に持ち、教会入り当時は神聖力の強さから、教皇になる可能性があると目されていた筈だと。
しかしその数年後に教会入りした現教皇様に神聖力で劣り、現在はただ司教という位置に甘んじている。
「さっさと儀式の礼装に着替えて出てこい!」
男が私の鼻先で乱暴にドアを閉めると、ドスドスと荒々しく音を立てながら歩き去っていくのが聞こえた。
私は男を哀れに思った。
私が儀式で失態を犯せば、それは養子としている教皇様の責任になり、うまくいけば教皇の座から降ろすことができる……とでも思ったのだろう。
小さく矮小な頭で考えた愚かな策だ。
教会は神聖力の強さが階位に繋がる。男の力程度では、教皇になるなど1000回生まれ変わったとて無理だろうに。
おそらく別の者を使って教皇様に連絡しようにも、邪魔されるに違いない。
ましてや渡された薬包に、本当に解熱剤が入っているかすら疑わしい。
証拠として教皇様に献上する為、薬包と竹筒は白い布に包んで寝台の下に押し隠し、自分の薬箱から自ら処方していた解熱剤を取り出すと、井戸より事前に汲み置いていた水差しの水で飲み干した。
正直、教会内で信じられるのは教皇様以外で自分自身しかいないと思っている。
他人が用意した薬など、たとえ自分が毒薬を飲まされていたとして、差し出されたのが解毒薬だとても飲んだりはしない。
薬が効き始めるまで多少の時間はかかる。
かつて教皇様からいただいた目薬も薬箱取り出すと、両目に1滴、1滴とさしてまばたきを3回。
鏡で、瞳の色がじわりじわりと紫水晶から教皇様と同じ緑色に変化していくのを確認する。
11 年共にした瞳の色から逃れられるこの瞬間、何とも言えない嬉しさと悲しさがないまぜになった、割り切れない思いで胸がいっぱいになる。
胸元を押さえれば、服の上からネックレスの先の硬いものが指先に触れる。
大きく頭を振り、ため息を1つ。
今さらもう戻れない過去だと、自分に言い聞かせて。
目立つ美しく長い銀髪は、軽く結い上げて帽子の中へ。
真っ白な儀礼の法衣を着れば、緑色の瞳をしたただの神官が鏡の中にいた。美しいこの相貌は隠せはしないが、儀礼服は他の神官と同じなので多少はまぎれるだろうし、主役二人より目立たないことを願いたい。
薬が効いてきて、多少は身体が楽になった。
鏡に向かって両頬に人さし指を押し当てて笑みを作って見せると、私は居室を後にした。
女神を模した見上げるほどの高さの像が安置された国教会の大聖堂で、儀式は行われる。
まず女神像を背に、教皇様が祭壇前に立つ。私を含めた20名の神官が10名ずつその左右に並び、大聖堂の後方には本日婚約する第一王子と公爵令嬢の両名の関係者が壁際に立ち並ぶ。
荘厳な音楽と共に2人が入場すると教皇様が教典を手に祝詞を挙げ、女神像に向かって2人が婚約を宣誓する。
そのまま婚約宣誓書に2人がサインをすると、女神にも認められた婚約が締結したとみなされる。
その後、婚約を祝福する聖歌を神官が歌い、神官の代表者2人が婚約した2人の首に花のレイをかける。
そのまま2人が退場して儀式は終わる。
結婚式だと他にも儀礼的な作法があるので長時間に及ぶのだが、婚約式だけだと実に簡潔なのだ。
私は婚約する2人にレイをかける代表者として、レイの入った籠を携え大聖堂へと続く神官達の列に並ぶ。
その先頭に、教皇様がいた。教皇様は私の瞳の色の異変にいの一番に気づいてくれ、私の顔を凝視した後に私に近づいて来ようとした。それを引き止めたのは、同じ神官達の列にいたあの司教だった。
「教皇様、まもなく儀式が始まりますがどちら……に……。」
教皇様を制止する男に私が含み笑いをして見せると、男は最初、私が誰かわからなかったのか怪訝な顔をした。瞳の色がいつもの美しい紫水晶ではなく緑色だから、すぐにわからないのは仕方がない。
ただし、教皇様の向かおうとする先にいて、意味深な笑みをたたえる私。
その意味が頭のなかでようやく繋がったのか、男の額からどっと汗が吹き出し、私を背にして男は立ち塞がると同時に、更に強く声を張って教皇様を制止した。
「儀式が始まります!聖堂にお急ぎください!」
この場で自分がしたことをバラされてはたまらないと、追い詰められているのが手に取るようにわかる。その男の横から顔を出して、私はわざと助け舟を出してやった。
「教皇様、司教様の言うとおりです。お話なら、後でゆっくりとできますから……そうですよね、司教様?」
私の煽りに、司教の身体が僅かに震えている。虐めるのはこのくらいにして優しくしてあげようと思う。刑の執行が多少遅れるだけで、この男の末路はもう既に見えているから。
儀式が始まると、念のため私は儀式の参列者と目を合わせないように視線を下げていた。
教皇様からいただいた目薬の効果があるとはいえ、目薬をいただいたのは10年前だ。私の身体も教会入りから10年で力が増した上に、私の身体の不調で、私のコントロールが利かなくなった力がどのように作用するかわからない。
儀式はするすると進んでいき、聖歌も面倒なので口パクで終わらせた。不敬だと言われようが、王族にもその婚約者である公爵令嬢にも興味がないので、どうでもいいのだ。
とうとう儀式の最後にレイをかけるだけになり、私はなるべく力が暴走しないように腹に力を込めて意識した。
レイをかける時に、相手と目を合わせないわけには行かないからだ。
なるべく優しく畏敬の念がこもっている風な笑みを浮かべて、公爵令嬢に近づきレイを持ち上げる。
その首にかける為に公爵令嬢に目を合わせた瞬間、何故か言いようのない違和感を感じた。
初めて洗礼を受けた時のように熱がぐるぐると体を巡り目眩にも似た感覚がして、最初は自分の熱が急に上がったのかと思った。でも改めて、目の前の、首にレイをかけられんと頭を下げる少女を目にして、わかった。
彼女は聖女に違いないと。
神聖力は力が強い者ほど、自分より力が弱い者がわかる。ただし自分より力が強い者の力の強さは、弱い者からは把握することができない。
私にはわかった。成長して自分の中で大きくなった神聖力と同等の力を、目の前の10歳の少女が既に持ち合わせていると。
恐らく教皇様も、彼女に対して私と同様なことを感じているだろう。
私は、試してみる価値があると思った。
儀式が終わり参列者が控えの間に戻っていくのを確認すると、私はお茶を淹れて控えの間へと向かった。
目薬の効果は半日で切れる。目薬をしてから随分と時間が経っており、そろそろ効果が切れている筈だ。
下手をすれば自分の魅力の力で、余計な争いが起こる可能性がある。これは危険な賭けだった。
参列者の親族用の控室と本人の控室が別だとわかっていたからできたことだ。
「失礼いたします。婚約の儀を祝して、教皇様の命により特別な茶葉を使用した紅茶を淹れさせていただきました。どうぞお召し上がりください。」
何のことはない茶葉だが、教皇様が普段飲んでいる物だから品質がいいの間違いない。
私が用意した紅茶を、毒味の侍女が口にした後、許可が下りたので公爵令嬢に近づく。
深海を思わせる紺碧色の瞳、肩に流れる長い金髪の美しい少女。
魅力の力は、私から目を合わせた瞬間に発動する。侍女や警備の者とは目を合わせないように細心の注意を払った。
「どうぞ、ご賞味ください。」
私は今度は少女にあえて視線を合わせて紅茶を彼女の前のテーブルに置き、渾身の笑みを浮かべる。
彼女はテーブルに置かれたカップを手に取ると、私をそのまま見上げて微笑んだ。
「ありがとう。」
そのまま数秒の時が流れる。
「どういたしまして。」
エラーラの時とは明らかに違う。
私を求めて手を伸ばし、愛を乞う者は、そこにはいなかった。
間違いない。この少女が、国が探して続けている聖女だ。
何事もなかったように紅茶を口にして、カップを机に戻す姿を見た時、私は叫びだしそうになるのをどうにか堪えた。
お前を見つけるために、私は洗礼を受けさせられ、家族と離れ離れにさせられたのだ。
お前は私に頭を垂れて、贖罪を背負って生きろ。
そう怒りをぶつけそうになった時、不意に少女の手が私に伸び、その両の手で頬が包まれた。
虚を突かれて息が詰まり、そのままの体勢で固まっていると、少女が気遣わしげに私を見ていた。
侍女すらも少女の急な行動に驚き、それをやめさせようとしたのを少女が制止した。
「この神官様、何だか顔色が悪いわ。頬も熱い。熱があるんじゃない?」
そのまま額に手を置かれる。
確かに、目薬をさす前に飲んでいた解熱剤の効果もそろそろきれる頃合いだった。
「熱があるのに働かされているの?だめよ、ちゃんと休みなさい。」
頬に触れられて熱をはかられる。それは10年以上前の遥か遠い記憶を思い起こさせた。
遠い遠い、両親との思い出だった。
両親と出かける筈だったのに、急に熱を出して寝込んでしまった時、無理に起きようとしたのを両親が止めたのだ。
「いいから、ちゃんと休みなさい。」
まるで本当の家族が目の前にいるような錯覚に、視界が揺らいで見えた。
そこで、思ってしまった。
聖女である彼女を見つけるために私がいるのであれば、彼女も私のためにいるべきなのではないか……と。
本編を読んでいたらわかるかと思いますが、マデリーンが同等の力を持つ筈の大司教様(出会った当時は司祭)の力を認知できないのは、偽物の水晶で洗礼を受けていたからです。




